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仏説地蔵菩薩発心因縁十王経

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』
(発心因縁十王経、地蔵十王経)の大雑把訳です。

底本は 石田瑞麿(1986)『民衆経典』筑摩書房(仏教経典選12). です。
ページ番号は、この石田1986における対応箇所です。
石田1986 は『大日本続蔵経』(2-乙23-4)を用いているようです[CBETA][NIJL]


[前] 1:秦広王から4:五官王

5:閻魔王

 [8] 「五番目は閻魔王国、地蔵菩薩である

 閻魔王国(人間の地から500ヨージャナの距離)は無仏世界、預弥国、 閻魔羅国とも呼ぶ。大城で周囲を鉄垣で囲み、四方に鉄門を開く。門には檀荼幢が はためき、 その上に安置された人頭形人、これが人々の本性を見抜くこと、手中にある果物を見るが如し。 その右にあるのが黒闇天女の幢で、左が太山府君の幢である」 そのとき世尊は皆にこう告げられた。 「衆生は皆、それぞれ「いっしょに生まれた神」(同生神、魔奴闍耶)を持つ。 左の神は悪行を記録する。羅刹のごとき姿で、決してその者から離れず、どんな些細な悪事でも 書き漏らさず。右の神は善行を記録する。こちらもどんな微善でも記録する。 これらを双童と呼び、亡者の生前における善悪をすべて書き、閻魔王に報告するのだ。 王は記録に基づいて亡者を問いただし、行いを算定して判定を行う。 さらに、例の人頭が報告してくる所見も判断材料となる。 また光明王院、善名称院という二院あり。 この光明王院の裏手に鏡台があり、浄頗梨という名の、光り輝く王鏡が置かれている。 かつての施しの功徳によって、このすごい王鏡を王は得たのだ。 閻魔法王がこの王鏡に向かうと、現在過去未来の この世のすべて、感情ある者のことも、 そうでない者のことも、ハッキリ見える。 さらに八方の各方向ごとに業鏡が置かれる。これはすべての衆生の行為を映し出す鏡である。 閻魔王は同生神と人頭の報告を聞き、さらに亡者どもの髪を引っ張って右回りさせる。 するとその鏡には亡者が生前行った善悪の行為がすべて、 まるで向かい合った人の眼や耳を見ているようにハッキリ写るのだ」 (p.215-221)

 [9] そのとき同生神が立ち上がり、仏にこのような偈を申し上げる。

業鏡に 写りし亡者の 行いは 生前我が 見たのと同じ
わずかでも 違うところは ありはせぬ 姿と影が 一体の如し
すると亡者は驚きふるえ、かような頌を述べる。
生前に 業鏡あるを 知ってれば 罪業避けて 暮らしたものを
身を削る 気持ちにさせる この鏡 男も女も これを知らない

 閻魔法王がこう告げる。「儂は人間世界の暦に関する習慣に合わせ、 正月五月九月の いわゆる長月の十斎の日、この日に人間世界に趣き、 善福を行う人をチェックする「監福監醮使」(監福監醯使?)を派遣しましょう。 白馬に乗って飛び回り、瞬時にやって来て行動をチェックしたのち また瞬時に帰還して我にいかなる善福をなしたか報告させましょう。 悪罪なす者のためにも同様に、通奏通府使を派遣しましょう。 いま儂は衆生どもの業を念入りに判定しますが、このことを知らぬ者は 悪業したい放題で、地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ちまする。 だが儂にも慈悲がない訳ではございません。 善福なす者どもは、十斎日には十戒を守り、苦しんでる者には慈悲をかけるべきです。 1日には定光仏を、8日には薬師瑠璃光如来を、14日には賢劫千仏を、 15日には阿弥陀仏を、18日には地蔵菩薩を心から念じ、日の出から朝食時まで 供養し称名すれば四悪道に堕ちて苦しむことなし。 23日には勢至菩薩を、24日には観世音菩薩を、28日には毘盧遮那如来を、 29日には薬王菩薩を、30日には釈迦牟尼仏を念じよ。 このように十斎に励みながら一年、十戒を保ち十尊を念じ続けるならば。 疫病・五病の鬼使は近づけず、寿命百年、よき百年を得て、 没後は諸仏とともに過ごすでしょう。

 また儂と、奪魂神のダキニ衆、伝屍鬼の起死鬼。この儂らをセータラ月(一月)・ シラバナ月(五月)・マカシラ月(九月)の、各月の前半・後半にそれぞれ一週間、 黄昏時に供養すべし。香花金米銀銭銀幢銀幣仙果(ざくろ・なつめ)清茶を備え、 北方を礼拝し、心をこめて大神呪を108回念じよ。さすれば儂等は慈悲ゆえ 供養を受け取りましょうし、供養の甲斐も出てこようというものです。 さすれば、もしもの時。その者の名が「死簿」に載っていたときでも、 前に行っていた呪文のパワーにより「生書」に書き換えられ、 事故に遭っても死なずに生き延びましょう。大ボラ吹かない者も事故死なし」と。 そして仏前でその神呪を説く。

「おん えんまえい だらまらじゃや そわか」
さらに閻魔法王は監福使に告げる。「もし、この呪を毎日108回念じる者がいたら。 その時は、大勢の我が手下とともに常にその者の周囲につき、大事に保護せよ。 願いはすぐ叶えてやれ。苦しんでいたらアカダ薬を与え、公園とか温泉を求めるなら、 それらの願いは満足させてやれ」と。監福使らは かしこまり、そのとおりにする。 人々の善悪業から、七種の結末(六道か極楽)のどれに割り振るかの判定を行うはずだ。

 ある神様の偈。

五七日 亡き者たちの 怒声やむ 恨みのこころ まださめやらぬ
無理矢理と 業写す鏡 見せられて やっと気がつく 生前したこと
(pp.221--232)

[次] 5:地蔵菩薩の誓願