以下の文書は、
※ 東京国立博物館蔵『餓鬼草紙』は、詞書がないため大雑把訳できない。
本ページの関連資料として [ 餓鬼草紙 - e国宝 (京都国立博物館) ] がある。 本ページの大雑把訳を読む際は、 こちらの「e国宝」のページを参照しながら閲覧することを推奨する。
鬼あり 食水となづく。
長い髪は乱れて顔を覆いかくし
物を見ることもできません。
飢え渇きの火が全身を焼くのに堪えかねて、
河のほとりへ行って水を飲もうとするのですが。
そこに水を守る鬼どもが現れ、追いかけて叩こうとするので
逃げ惑うしかありませぬ。そこで
河を渡った人の両足からの滴りを嘗め、それで生命をつなぐのです。
過去に、酒を水で薄めて売った人。
ミミズが沈んでいても知らぬフリで酒を売った人。
これらの人が、これに堕ちます。
同じ食水餓鬼はまた、亡親のために水を汲んで施す人たちの、 その滴りにありついて飲み、それで生命を保ちます。
目連がはじめて六神通を獲得したとき、亡母の恩に報いたいと 願い、亡母の現状を見ると亡母は餓鬼になっておりました。 目連は悲しみ泣いて鉢に食物をいれて母のもとに趣き 食べさせようとしますが、母の口に食物が入る前に 焔となってしまうのです。悲しんだ目連は 仏のもとに参り、母を救う方法はないか伺いをたてます。
[Table of Contents]仏は仰せです。 「汝、飲食を用意して自恣の僧を供養せよ。そして、その 残飯を母親に与えればそれを食せることもあるだろう」と。 目連は仏の仰せに従い、残飯を持っていき亡母に薦めたところ、 それは焔にならず、思うまま食すことができたのです。
[Table of Contents]恒河のほとりに五百の餓鬼がおり、 無量劫のあいだ水を得られずにおりました。 河のほとりにおりながら、水がすべて火になってしまい 飲むことができないのです。 そのとき仏が河のほとり鬱曇鉢林下にお越しになりました。 五百の餓鬼どもは仏のもとに詣り「我が苦しみは 堪え難し。お助けくだされ」と申します。 仏はさまざまな鬼どものため慳食の咎を説かれますが、 鬼どもは自らの苦しみに気をとられ、仏言を聞くどころ ではありません。そこで仏はまず仏力により鬼どもに 水を飲ませ、そののち諸法を説かれました。 これを聞いた鬼どもは、たちまち餓鬼の姿を捨て、 天人の身体を得たのです。
[Table of Contents]
鬼あり 焔口となづく。
その容貌は醜く、痩せて枯れて、口中で火が燃えていて
咽喉は針のようであり、髪乱れ爪長く牙尖り、
非常に恐ろしいものであります。この餓鬼が阿難尊者と会い、
苦患が堪え難いことの悲しみを語ります。
これを聞いた阿難尊者は憐れみ、これら餓鬼の苦しみを
救う手立てを仏に伺います。そして仏号を唱え、
諸々の布施をおこない、餓鬼の苦患を救うのでした。
仏が阿難に教えられたとおりに、修行者(比丘)が 鉢にいろいろな食物を盛り、
「南無多宝如来 妙色如来 広博如来 離怖畏如来」このように四仏の御名を唱え、救抜餓鬼陀羅尼を七回唱えたのち、 肘を伸ばして清浄な地面に食物を移せば、 仏法の力によりムチャクチャ大勢な餓鬼ども皆が、 食を得て満足できるのです。