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庚申因縁記(庚申縁起)


 

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Introduction

以下ノ本文ハ

五十嵐文蔵(2002)『庚申信仰の伝播と縁起』小学館スクウェア. pp.140--145.
此ノ文書ニ於テ紹介サルル、宇佐八幡蔵「庚申因縁記」ノ大雑把訳デアル。


「庚申縁起」と呼ばれるものと同じだと思うんですけど、 よくわかりません。 (最初「庚申縁起」という題でページを作ったんですけど。大雑把訳を 改めて見返してみると「庚申因縁記」となってましたので、題を改めました。)

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大雑把訳

庚申因縁記 (明応五年)

庚申因縁 庚申の因縁は辛丑年まで遡る。1496(明応5丙辰)年から遡ること795年、 701(大宝元 辛丑)年正月7日のこと。申の刻(夕方。午後3〜5時頃)のこと。 摂津国難波の天王寺の民部僧都重善という坊様のところに、17歳ほどの童子が訪れ、 このように申された。---

 私は帝釈天様の使者です。 「摂津国の天王寺といえば日本で最初の仏教の寺であるが、その寺にいる 六十余歳となる民部僧都という坊さんに以下のことを伝えるので、きちんと伝えるべし」との 帝釈天の仰せを受け、やって来たのです。これをよく守って、世界じゅうに広げてください。

 それは年に六度の庚申のことです。これを守ると、過去現在未来の徳となります。 守庚申の日は心を鎮めて、申の刻(午後3〜5時)に南に向かって水浴びし、 浄衣をまとって南側に棚をつくり、申の刻から守るべきです。 (※ここから話とぶ)

 守庚申を行えば 帝釈天が童子を派遣し、庚申をする人らの名を記録させ、彼らのため高さ三丈の塔をたてて 過去現在未来と守護してくださります。守庚申を行って得られる3つのメリットといえば: それは(1)過去の罪業消滅、(2)現在の願いかなう、(3)未来の仏果を得、その仏塔に住むことができる。‥このようなものです。 過去の罪業は現在に報いが出ますし、現在の罪業は未来に報いが出るわけですけど、 国王将軍大名貴族から賎民に至るまで どのような人であっても欲望を持たぬということは ありませぬ。神仏僧は一族を、国王は覇権を、男女は愛人を、貴族を財宝を‥と、 衆生はいろいろな欲望をもつのですが、その罪業によって(未来に)地獄に堕ちてしまうのです。 そこで守庚申。これを守れば帝釈天が憐れみくださり焔魔王に談判してくださり、 それゆえ現世の願いはすべて叶い、(未来でも)地獄を逃れて浄仏すること間違いなし。 なので大唐(中国)でも天竺(インド)でも守庚申は行われています。 そして今こうして日本にも伝えられることとなりました。 (※ここで話もどる)

 庚申をおこなう座敷ではまず南方に向かって焼香し、赤色の花をたて、燈明と飯をお供えして ください。そして夜半になったら丸い菓子をお供えし、明け方には飯、そして諸供物を お供えしてください。その夜は悪いことは考えず、善きことだけ三世の願望だけ念じるべきです。 むかし天酒菩薩が庚申を守りきって三世願望を叶えたゆえに天酒菩薩となられた、という 例もあります。同様に庚申を守れば六地獄の苦しみを逃れることもできます。 庚申は年六回ある訳ですけど、最初の庚申で死出山の苦しみから遁れ、 二度目の庚申で三途の苦から、三度目で無間地獄の苦から、四度目は餓鬼道の苦から、 五度目は畜生道の苦から、六度目は修羅道の苦から、それぞれ遁れることができます。 つまり悟りを得ること間違いなし、です。

 庚申の日は よく洗った衣装を着、身を清浄にし、一心に守るべきです。 戌亥の刻(午後7〜11時)には五穀を3つの土器に入れて供えてください。 子丑の刻(午後11〜午前3時)は飯や丸物などを供えてください。 寅卯の刻(午前3〜7時)は赤飯を土器3つに盛って供えます。そして夜通し壇上を 赤い花でかざり、戌亥の刻(午後7〜11時)には文殊薬師などの過去の七仏を念じて ください。 子丑の刻(午後11〜午前3時)は青面金剛や釈迦如来など現在の七仏を念じます。 寅卯の刻(午前3〜7時)は六観音、阿弥陀如来など未来の七仏を念じるべきです。 仏教経典のなかに庚申経というのがありますが、 この庚申を守る諸国万民僧俗男女は、その家来や親族までも皆、七難あっても お釈迦様の袈裟により退散させてしまうのです。

 庚申経によれば、彭(eKanji data::m3913)子、彭常子、命児子、窈窅子、我が身より離れるべき、 この四つの虫が人間に大きな害悪をもたらしますので、 夜明けのときにこの歌を七度繰り返し唱えてください:

  青鬼らヤ 亥子ヤ申子ノ 我床ニ
    ネタレドネヌソ ネタルトゾネル
そして自分の牙を3x3の九回、ハツハツと噛み鳴らして寝れば、 その夜は鬼神どもは恐れをなして近寄らぬでしょう。庚申の夜は、 垣の根に寝てはいけません。五辛を食べるのもダメです。 忌中の人も、庚申については穢れを気にせずOKです。

 ともに夜通し精進する人たちが、三年で18回ある庚申、それを一度も怠りなく 守ったら「一座」と呼ばれますが、それを達成すれば すべての願いは叶うでしょう。守庚申は仏事ですから、大逆修を行う功徳も得られますし、 過去現在未来の助けとなるでしょうし。自分の懐具合に応じた供物をお供えすれば、 現在過去未来の逆修となりましょう。この旨、日本の隅々まで伝え広めてくださいます ようお願いします。

 --- 童子がこう語ったのちに紫雲たなびき、童子は消えてしまった。

 民部は深く尊敬し、やがて日本国じゅうに伝えた。また童子が天にご帰還されるとき、

  「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
この文句を108回唱えるべし、とも言っていた。

また八六会という、年6度の会がある。これは 梵天、帝釈天、四天王、諸仏、諸菩薩らのため行なわれる大法会のことであるが、 この会の9日目が庚申に当たる。この庚申で供えた米や銭は、来世で7倍になって 返ってくる。また庚申の夜に腹を立てると、神仏のご加護の力が失われてしまうゆえ 厳禁である。以上が、民部僧頭が帝釈天より伝えられた内容である。 けっして疑うことなく、悪念を捨て、読経してご本尊の悟りのうちに入ることこそ 肝要である。

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めも

庚申に関するメモは、別ページに分けました。とりあえず [ [Folk] 日本での庚申信仰(メモ) || チラシの裏 ] をどうぞ。

[Folk] 日本での庚申信仰(メモ)

「701(大宝元 辛丑)年正月7日のこと」とありますが、その大宝元年に「庚申」絡みの 何かが本当に起こったのか? という点については ちょっと あやしい、といった感じのようです(窪徳忠(1956;10版1990)『庚申信仰』山川出版社, pp.121--122)。

 ところで。この『因縁記』の後半に、取ってつけたように出てくる呪文の和歌:

  青鬼らヤ 亥子ヤ申子ノ 我床ニ
    ネタレドネヌソ ネタルトゾネル
これはどうやら平安時代、藤原清輔『袋草紙』中の「しや虫の歌」がネタ元みたいですね。曰:
 しや虫や 去ねや 去りねや 我が床を
      寝れど寝らむぞ 寝むぞ寝たれど [ 1)ショケラの語源 ]
‥なるほど。「亥子ヤ申子ノ 我床ニ」は 「いね(去ね)や さる(去る)ねの 我が床に」と読むのですね。深い‥

 んでこの呪文の和歌近辺が、たぶん「守庚申」が日本に入ってきた当初からの 名残が伝えられている部分なんでしょうけど。この「取ってつけた」感が すごいですね。他の記述から見事に浮いてて、他のどの部分とも絡まってないです。 しかもその肝心の名残部分でさえ、これを読んだだけでは三尸(いや、ここでは一匹増えて 四尸になってますけど)がいったい何なのか、どういう害悪をもたらすかが 全然わからない、と‥