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[Folk] 日本での庚申信仰(メモ)

題 [Folk] 日本での庚申信仰(メモ)
日付 2013.11



江戸時代など盛んだった「庚申信仰」について。私はどうしても腑に落ちないことがあります。 そこで「庚申信仰」について、とにかくメモを残していこうと。そんな感じのページです。

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庚申信仰とは

「庚申信仰」って知ってますか? 町中とか歩いてると、ときどき「庚申」と書かれた塚というか石塔というか石碑というか、そういうの 見たことないですか? [参考]

 昔の人たちが何故こんなのを建立したかというと、そこに出てくるのが庚申信仰、そして 「庚申待」「守庚申」という行事です。干支が「庚申」の日の夜、普段は人間の体内にいる「三尸」という虫が 人間の身体を抜け出し、自分のイヤなことを「天帝」にチクりに行く。 それによって自分にとっては不利な情報、隠しておきたい情報が「天帝」に筒抜けになってしまい 自分の寿命を削られてしまう。 それを防ぐため、自分の身体から「三尸」の虫が出て行かないように夜通し起きて見張る。 --- これが「守庚申」という行事の主な目的とされています。

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三尸? 天帝? 何それ??

 この「守庚申」という行事には、「三尸」「天帝」など、普段我々の耳慣れないキャラが 出てくる訳ですけど。これはどういうことかといえば。この風俗はもともと中国にあったもので、 それが日本にも輸入されてきた。そんな感じみたいです。んで、この風俗が、 江戸時代を中心として 庶民のあいだで大流行した、と。 (これ、NHKの「タイムスクープハンター」でも取り上げられてましたね。)

 しかし。ここで私がどうしても腑に落ちないのは「三尸」「天帝」です。江戸時代に、 庶民のあいだで大流行したのであれば、日本文化のあちこちに「三尸」「天帝」を感じさせる 文化の名残があってもおかしくないはずですけど、これらは庚申信仰以外の文脈で 見たり聞いたりすることがほとんどありません。とくに「天帝」など、それほど重要な キャラであれば勿論 仏像菩薩像などと並んで「天帝像」とかがもっと大量にあっていいはず ですけど、そういうのはあまり見かけないですよね。

 日本の場合は、祭祀対象となる いろいろな神様と、仏菩薩を 「本地」というキーワードで合体、あるいは対応付けをおこなうことも 多いんですけど[たとえば地蔵十王経]。 天帝の本地はあの仏様‥とかいう設定も、寡聞にしてほとんど聞いたことが ありません。庶民のあいだで大流行した宗教行事の主役の一人としては、天帝様、あまりに 影が薄すぎないですか??? 庶民のあいだで「守庚申」が盛んであったことは、 「庚申」と書かれた塚とか石碑が大量にある以上、事実であったとしか言いようがないとは 思うのですけど。しかしその主尊であるはずの天帝様の影が薄すぎる、つまり 庶民が「庚申」に込めた思いというのは、もっと別のところにあったんではないですか? ‥そのへんに何か違和感を感じないですか?

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じつは供養と豊作祈願? (五来)

そんな中。 五来重『石の宗教』(2007)に、以下のような記述があるのを見つけました。 庚申は 中国の「三尸」「天帝」に関連したものが 日本に伝えられたものですけど、 それが貴族たちの間で流行した、と。これは本来的な「守庚申」だったんですけど。 この流行はやがて修験の山伏たちによって庶民にも広められるようになるのですが、 それが伝えられる際に

先祖の荒魂(あらみたま)をまつる 「荒神」(こうじん)祭があったものが、音韻の類似から庚申に変化したものであろう。 (五来2007, p.181)
つまり、貴族たちの間で流行した「三尸」「天帝」セットはどこかに行ってしまって、 「庚申」と音の響きが近い「荒神」とゴッチャになってしまったのでは、と。 そしてその結果、名前と行為は「庚申」だけど趣旨は「荒神」という感じになったのでは、 という推測です。

 んで、この庶民の「守庚申」、 「庚申待[Wikipedia]」と呼ぶこともあるみたいですけど、 とにかく一晩中起きてる点は道教由来の守庚申と同じではあるけれど、

庶民の庚申講には、神なり仏なりが存在して、これをまつり、供養することによって禍を去り 豊作を得ようとしたことが、貴族の守庚申とまったくちがう点である (五来2007, p.204)
実際、道教や貴族の守庚申では「本尊」なるものは用意していなかった、だって この行事は神様も仏様も関係ないから! というのが普通のようですけど。 庶民の守庚申ではよく青面金剛を御本尊として用いるようです。

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全国に普及の原動力は、医者かも(窪)

しかしこの五来説には、重大な問題があるようです。それは‥

世に、庚申信仰の本質を豊作祈願とし、庚申さんの本質を作神 とする説がある。なににもとづいてこんなことをいうのか、私にはわからない。 (窪徳忠(1956;10版1990)『庚申信仰』山川出版社, p.277)
つまり、証拠不十分すぎないか? という致命的な問題ですね(^_^; (もちろん「作神だ」とする人たちも いることはいますけど、決してそれは多数派とはいえず、 ましてそれが本質かという話になると怪しい、という話。窪1956,p.74)。

 そして。私にはどうしても気になる「三尸・天帝の痕跡が日本に残ってなくね?」 という点について、窪1956はこんな感じに言っています:

もし三尸説が、中国からの直輸入のかたちで村 に伝わっていったとすれば、おそらく人々はうけいれなかっただろう。かれらは、自分たちにわかるもの、または 親しみやすい形にかえて、あるいは自分たちなりの解釈を加えてから、はじめてうけいれただろう。いまでは、同 じ村のなかのとなり同志の字でも、庚申さんの信仰やいい伝えがちがっているところが多い。‥(略)‥  こんなわけだから、中央の人たち、いいかえれば宮廷貴族や武家や中国の書物をよんでいた人たちだけは三尸の 説や信仰を知っていたけれども、村の人たちは知らなかった、といえるか もしれない。 (窪徳忠(1956;10版1990)『庚申信仰』山川出版社, pp.284--285)
つまり。今だって、年中行事のほとんどについて我々は由来などあまり知らなくても 「そういうものだから」とかいって やってるじゃないですか。たぶんそれと同じで、 知ってる人は知っていた。しかし村人は よく知らないで庚申待をしていた 人も多かったでしょうし、別に詳細とか由来を知らなくても祭はできるじゃん! ‥‥ という感じなんでしょうか。

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三尸駆除の医術として普及?

 でも三尸も天帝も何だかよくわからず祭をしていた、という話になると、 祭の目的は何? ということが不思議になってくるんですけど。 窪1956では上記のような「豊作」ではなく、ズバリ「長命」が目的だろう、と言ってます。 古代日本において‥

「病気の原因はほとんど、神のたたり・悪霊・死霊・狐狸・鬼などの「変化」や 「荒ぶる神」のしわざとされ」「だから悪疫がはやれば、すぐに加持祈祷にたよってとめようとする。 そこに僧で医者をかねる僧医がでる原因がある。そのころの僧は最高のインテリで、 なかには入唐して中国の医学を勉強してきたものもあった。その学んできた医学のなかに、 三尸の説があるのはあたり前である」 (窪徳忠(1956;10版1990)『庚申信仰』山川出版社, p.283)
つまり、三尸とか天帝とかがよくわからない人でも、(当時の最高のインテリである)医僧に 「三尸というのが身体に悪いです。三尸駆除には守庚申がいいみたいですよ」と言われたら、 そりゃ訳わからなくても やるでしょ、といった 感じでしょうか。

 ただこれは平安時代、そもそも日本で何故「庚申待」をするようになったか、 という話なんですけど。でも「とにかくエラい人が『やった方がいい』と言うから、やった」 という構図は後代の、民衆に広がった「庚申」でもそのまま当てはまりそうな話ですよね。

山伏はある意味では僧医であり、各地をめぐってあるいたり、「だんな場」の人たちをひ きいて修行のために山にはいったりする。そのあいだに、庚申の信仰について話をすることもあっただろう。だか らこれらの人たちによっても、また各地にひろめられたにちがいない。 (窪徳忠(1956;10版1990)『庚申信仰』山川出版社, p.286)
これ以外にも神道ルート(庚申=猿田彦、という神道的解釈は山崎闇斎(17世紀)あたり発祥じゃね? と 窪1956,p.153)、富士講ルート、「庚申之本地」などの説教ルート、伊勢まいりルートなど、 さまざまなルートがあったろうと推測されています。

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道教思想というより仏教行事として伝わった?

でもちょっと気になるのは、庶民レベルでやられてる「庚申待」が 青面金剛・猿田彦などの神仏を拝むスタイルになっていて、それは 中国から入ってきて平安時代に貴族たちがおこなっていた守庚申と違いすぎてないか? ということなんですけど。

 これについて。まず中国における三尸説の展開なんですけど、三尸説は中国でかなり 流行したらしく、やがて道教の枠をこえて儒者、 そして仏教の人たちにも唐末頃には普及していたらしいです(窪1956,pp.234--238) (また中国ではやがて三尸説と北斗信仰が結びつき、その結びついた形のものも 仏典経由で日本に伝わった? と窪1956,p.265)。 そして清代中国での庚申会の内容といえば、徹夜して諸仏を崇拝するという、 日本の庶民的な庚申待とかなり似た感じの儀式になっていたようです(窪1956,pp.238--242; 清代以前は? というと史料がなく不明といった感じ)。

 つまり「庚申」の日本への浸透ルートは 中国における道教思想が平安時代に日本に入ってそれで終わり、という訳ではなく。 仏教化した庚申、徹夜で神仏に礼拝する形式の仏教的庚申も 中国における仏教信仰の一部として いろいろなルートで 日本に伝わった可能性もあったのかもしれません。 日本人にとっては、やっぱ仏教信仰の一部としてのほうが受け入れやすい感じになりますからね。

 ちなみに。民衆レベルの守庚申ではよく青面金剛がご本尊といった形の 位置づけになっていることが多いですけど。現存する石碑などを見ると、 江戸時代初期(1980頃まで)は弥勒・阿弥陀・釈迦などの仏教の仏菩薩が刻まれた石塔ばかりで、 青面金剛が出てくるのはそれより後、猿田彦はもっと後、そんな感じみたいです(窪1956,p.103)。 なぜ庚申=青面金剛になったのか? 真相は不明ですけど、窪1956は以下のように推理します。

よくわからないけれども、大師は青面金剛法と庚申待の やり方とを別々に唐からもらたしてきたのではないだろうか。ただ注意しなければならないのは、このころからだ いぶのちまで、庚申待と青面金剛法とは別々に行われていたことである。(窪1956,p.119)
私にもよくわからないけれども、 のちにのべるように、智証大師が青面金剛法と庚申待のやり方とを伝えてきたので、それを室町時代の末か江戸時 代のはじめごろの密教関係の僧侶が混同してむすびつけてしまった結果ではないかと考えている。(窪1956,p.105)
智証大師円珍の名前が出てくるということは、天台宗寺門派系の影響が強そうですね。

 また、なぜ庚申と青面金剛が結びついたか? については菊地2012に以下:

青面金剛法では西南に坐して修法するという。これは庚申の方角とされる。密教が守庚 申を取り込むにあたり、青面金剛を本尊とする条件がひとつととのった。
 つづいて「大青面金剛呪 法」は伝尸病平癒の功徳を 説く。この病に苦しむ者は 呪文を千遍となえよとあ る。そうすれば病は癒える という。伝尸病は三尸の焚 滅によって治るとされた。 (菊地章太(2012)『道教の世界』講談社選書メチエ520, p.139)
このように書かれているのを見つけました。 伝尸病というのは肺病のようですけど。‥んー。庚申講と肺病の結びつきが強いか? というのは ピンと来ないものがありますけど。両者の結びつきの起源としてはそんな感じなんでしょうか。

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盛んだった理由「夜ふかし、ごちそう」

別の本を読んでたら、こんな記述も見つけました:

猿田彦神 や、見ざる聞かざる言わざるの三猿も「庚申さん」の本体に加わった。それは「申」が動物のサルに 当てられることから日本でこじつけられたことも、最近の研究でわかっている。「三尸」については、 中国では、ミミズのような虫や牛頭に人間の一本足がくっついたような奇妙なものを想像しているが、 日本人の感覚ではついていけなかったらしい。しかし、庚申さんが命の長短を決める権限をもつとい う信仰だけは、変質せず、オールマイティの神として重宝がられたようだ。そのうえ、この庚申の日 は、おおっぴらにごちそうを食べながら夜ふかしができる。いや、それが行事の目玉とあっては、盛 んになるのは無理もない。 (福永光司・千田稔・高橋徹(2003)『日本の道教遺跡を歩く』朝日新聞社, p.244)
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日本における庚申の大衆化という点から見ると、いくつかポイントがあります。
  • 「庚申」の「申」=サル=猿。なので大衆化とともに猿との関連が深まった
  • 三尸は正直ピンと来てない、けど‥
  • 庚申が長寿と関連している、という点だけは受け継がれた
  • 守庚申流行の最大のポイントは「おおっぴらにごちそうを食べながら夜ふかしができる」

 馬頭観音に「馬」の文字が入っているから、だから家畜の供養と結びつける‥と。そういう 伝統が日本にはありますから。ですから「申」の字つながりで庚申と猿が結びつけられるというのは、 いかにも、といった感じですかね (庚申と猿田彦の結びつきもどうやら「サル」だろ? という 感じみたいですから;窪1956,p.153)。

 それと個人的には「ごちそう」というのは現実的には非常に重要な視点だよなあ、と グッときました。

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三尸虫は、蟯虫?!

ここまで述べてきたように、生前の善悪行をチクられて‥というと、天帝三尸虫コンビよりも 「地蔵十王経」[URL]に あるような閻魔同生神コンビのほうが、日本人にはピンと来るんじゃね? とか、 私は思っている訳なんですけど。そのへんと何か関係していそうな用例を見つけましたので、 ここにメモしておきます。

 茨木の元行(1568;永禄11)『針聞書』[URL]という書物があるんですけど。 この中にある「蟯虫」というページ。人に害を与えるものとして、絵を交えて、 ずいぶんユーモラスな姿で描かれていますけど。 この虫がどういう虫かという説明が、この絵の上に、こんな感じに書かれています:

庚申ノ夜出テ枕ノ下ノ奥マテ閻魔大王ニツケ申虫也
[大雑把訳] 「庚申」の夜に出てきて、枕の下の奥(夢?)の内容まで閻魔大王にチクりやがる虫だ。

 ‥おお! まさにこのページで私が思ってることと、絶対何か関係してきそうなネタですよね。 「庚申」の名のもとに、「三尸」だったものを「蟯虫」、 「天帝」だったものを「閻魔大王」に、それぞれ書き換えています。そして『針聞書』が書かれたのは、 日本で「庚申待」が盛んになる江戸時代の、ちょっと前‥。んー。 『針聞書』のこの記述を どう理解すべきかというのは、現状よくわからないです。けど、 とにかく言えることとしては、 何で「蟯虫」とか「閻魔大王」という単語に書き換えたかといえば、たぶん何よりも 「三尸」とか「天帝」という単語でピンと来なかったから。 だから、もっとシックリ来る別の単語に変えたんですよね。 まさに三尸の日本的需要ですね。

 ‥‥なんて思ったんですけど。 じつは中国でも「三尸」はいまいちピンとこなかった人が多いみたいで、 日本と同様、蟯虫的なものと混同されて理解されてるパターンが多かったみたいです(窪1956,p.195)。また当初(抱朴子,4c頃?)は「三尸」という名前の一匹の鬼神だったものが、いつしか「三匹の尸」と 解釈されるようになっていった、とか(窪1956,p.196)。 まあ、民間に流布する伝承って、基本、どこでもそんな感じなんでしょうね。

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庚申関連文献

 その後、さらに調べてみたら「庚申縁起」もしくは「庚申因縁」なる書物があり、 それが江戸期以降の、庶民的な庚申信仰と関係しているらしいことがわかりました。

 この「庚申縁起」についてはかなり多くのバリエーションがあるみたいですけど。 現存するものの中では成立が最も古く、そして最も流布してるのではないか? と 思いたくなる「天王寺系」と言われるもの、なかでも宇佐八幡蔵といわれる 『庚申因縁記』を ようやく見つけました[リンク先に大雑把訳があります]。 1496(明応5)年作であるかのように書かれてますけど、真偽のほどは不明です。

 ‥「天王寺系」ということで、非常に当然のこととは思うんですけど。 完全に仏教化したものですね。「三尸」も後半に一応出てはきますけど、 なんか完全に盲腸みたいな感じ、単なる「邪なもの」程度のものになっていて 「天帝」とは全然結びつかなくなってますね。 そしてその天帝は「帝釈天」。庚申を行うと、帝釈天が守庚申をした人の 氏名をメモして、その人のために動いてくれる‥。 これ『地蔵十王経』における以下:

「衆生は皆、それぞれ「いっしょに生まれた神」(同生神、魔奴闍耶)を持つ。 左の神は悪行を記録する。羅刹のごとき姿で、決してその者から離れず、どんな些細な悪事でも 書き漏らさず。右の神は善行を記録する。こちらもどんな微善でも記録する。 (地蔵十王経::閻魔王 の大雑把訳)
この「右の神」を髣髴とさせますよね。つまり「天帝」の解釈の中に、 なんかウッスラと閻魔王が入ってるような気がします(上でも紹介した茨木の元行(1568;永禄11)『針聞書』[URL]だと「閻魔大王」になってましたね。三尸じゃなくて蟯虫ですけど)。 「天帝」は日本人には何だか訳わからなかったから、 閻魔大王とか帝釈天とかに変更されてるんですね。

 そして守庚申の目的がすごい。前夜に過去仏を、中夜に現在仏を、後夜に未来仏を 念仏することにより、過去現在未来における悪業消滅‥。そして、あわよくば 天酒菩薩のように、菩薩様になってしまおうなんて‥。 夜通しおこなう、単なる仏教行事になってますね。 だから、ということでしょうか。先祖供養とも豊作とも、そして本来の目的であるはずの 健康長寿とも 何の関係もなくなってますけど。どういうことなんだこれは‥


関連(?)情報

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