「佛説目連正教血盆経」[URL]に関する メモです。もうちょっと記述量がたまったら独立したページ群にしたいと思っていますが、 現状、独立させるほどは分量が多くないので とりあえずここに‥。‥と思ってましたけど、 そろそろページ分けした方が良いかも。
[Table of Contents]設定としては 女人が男どもよりもはるかに罪深い となっていて、そこに注目すると 現代的にはいろいろ問題があるのは確かですけど。私個人としては、 江戸時代は血盆経信仰が盛んであったなどという話を聞くと、どうしても 母親をはじめとした女のご先祖様に対する 当時の人々の強い「思い」を 感じてしまいます。
[Table of Contents]目連がいた場所は「羽州追陽県」とあります。日本で羽州といえば出羽国、いまの 秋田県・山形県に当たる場所なんですけど。この舞台として設定されているのは日本ではなく、 どこなのかなー。インドから中国にかけての地域のどこかかな? でも、そこに血盆池地獄がある と書かれていますから、地上のどこかではない、異世界なのかなー。 そのへん、正直よくわかりません。 ちなみに、日本で1466年に書写された『(聖徳)太子伝』(天台宗系)には 「羽林国」と書かれているようです (高達2002;「三、血盆経信仰の広がり」[URL])。 「羽林(うりん?)」とすると、この 音の響きは 「盂蘭盆」の「盂蘭(うらん?)」と近い感じがしますけど、どうなんでしょうか。
また『血盆経和解』の冒頭「由来」によれば、一説には 本当は『烏州』であったものを間違ってしまった、とあります。 なぜ間違えたか? それは『血盆経』を広めたのが出羽国羽黒山の僧だったから。 出羽国の僧だったので「烏州」を「羽州」と間違えて書いたのがそのまま広がったから、と 書いています(『血盆経和解』の6コマ目。日光の覚源上人が伝授された説のところ)。 んー、どうでしょう?
でもとにかく、ここでの「羽州」は秋田県とか山形県とかではないことは確かだと思います。
[Table of Contents]本経は中国原産の産地偽装、いわゆる「偽経」という位置付けになっています。つまり本経の 成立を考えるうえでは、中国における「血池」がどのようなものかを考える必要がある訳ですけど。 しかし残念ながら、そのへんの事情を探る材料が少ないみたいで、詳しいことは よくわからないとしか言いようがない感じみたいです。
[Table of Contents]中国の道教に「血湖」というのがあり、それが 「道家の血湖道場すなわち産亡婦女の追善の法事」(澤田瑞穂(1991)『修訂地獄変--中国の冥界説』平川出版社, p.32)、という感じのものだそうです。 お産で亡くなった婦女の追善に関連して「血湖」という語を使っていることから、 これが中国・日本仏教における「血盆」と何らかの関係がありそうなことはわかります。 ただ残念なことに、現存する関連資料が乏しいため わかることはこの程度、つまり「何か関係ありそうだ」という程度のことだけで、 この両者の影響関係がどうなっているかとかいうことまではよくわからないみたいです。
[Table of Contents]ちなみに、上記の「血湖」が言及されている文献が おそらく南宋末期(13世紀末?) だろうということですから、たぶんその時期には「血湖」はあったんだろう、という 感じのようです。対する仏教の「血盆経」については‥
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しかし。女性が出産によって汚れてしまうというのは、父母の生みの恩 育ての恩を重視する 中国の人たちには納得できないものがあったようで、 中国の勧善書(儒釈道三教の混融)『玉暦鈔伝』(清代流行。16世紀くらい?)では、 僧尼の所説(血盆経の内容)は間違いだ、と述べているようです。どう違うかといえば、
地獄変修訂 |
ここで「尼僧の解釈は間違い」と言っていることから、当時の中国ではやはり 「女人が血池地獄に堕ちる」という血盆経の信仰が相当広まっていたことがわかります。 そしてそれに対して無理な解釈を持ち出してまで否定する人たちがいた。 つまり、血盆経がいう「母親は必然的に地獄堕ち」と いう設定にはとても納得できない人たちも やっぱりいて、彼らは 「禁止事項を破ったら男女を問わず地獄に堕ちるのだ」と主張していたことも わかるわけです。
[Table of Contents]日本でこの経典が流行したのは中世末期頃、 地獄絵を携えて諸国を巡り歩いた熊野比丘尼らの存在がデカいんだろうな、 という感じのようです。地獄絵の中にある、真っ赤な池で溺れる女人たち‥ その由来を語るにはピッタリな内容であり (というか、逆か。血盆経があるから、その内容をわざわざ地獄絵に追加したんでしょうね)、 しかも それを耳にする 女の人たちにとってそれは他人事とは思えなかったでしょうし‥。
[Table of Contents]室町時代の『御伽草子』に含まれる「天狗の内裏」という作品、そこに 「血の池地獄」が出てくることが知られています。
「天狗の内裏」には、いくつかバージョンがあるみたいですけど。 そのうち岩波文庫(島津版)などに掲載されているものの「血の池地獄」部分の大雑把訳を 以下に紹介します:
[大雑把訳] 向こうを見れば、広さも深さも80000由旬の血の池がある。「これは何か」と問えば 「これこそ女人の堕ちる血の地獄」との返事。 つまり女人は世間にある時、月に一度の月水のとき、または出産のとき。 そのときの衣装を脱ぎ捨てて海で洗ったなら、龍神の咎めあり。池で濯げば、池の神が深く戒められる。 水組み上げて濯いだのち、その水を捨てたなら地神荒神の御身に剣を刺すようなもの。 川で濯げば、それを知らぬ誰かがその水汲みて仏に手向けたり、出家者を供養さしあげたりしたとき、 不浄食を差し上げたことになるのだ。
ここでの苦患について。血池の水面に鉄網が張られている。ここに五色に変じた五人の鬼たちが、 人々を池の水面へと追い立てて、この網を渡れと呵責する。しかし中程までも渡ることはできず、 足踏み外して水に堕ち、五尺(約150cm)の身を沈め、長い髪は浮草のようだ。浮き上がろうとしても 鉄杖で押し込まれ、「あら悲しや」との声は蜘蛛の糸ほどか細い。 「これこそ汝が世間にて為した罪咎よ。我を怨むなよ」との獄卒どもの怒鳴り声は、鳴神よりも恐ろしき。
「かような苦患は、如何にすれば避けられるのか」とお聞きになられると「そうですなあ。 世間にて、133品ある血盆経を保持し、もしくは御念仏を行って、後生は善所と祈れば、 すぐに浄土へと参れましょう。逆に、世間にて善をなさずに悪を好み、邪慳の心しか持たずに 仏も法も知らぬまま死んだ女の罪業の報いがこれです」との返事。 (島津久基編校(1936)「天狗の内裏」『お伽草子』岩波文庫, pp.260--261. の大雑把訳) [弘前市立弘前図書館蔵 写本のコマ24--26]
ちなみに。「天狗の内裏」の異本の中には、ちゃんと血の池地獄の責苦について以下:
日本人と地獄 [ 石田瑞麿 ] |
‥このように責苦の内容がちゃんと書かれてるものもあります。 池の血を呑みほすように責めるところから、石田2013はこれが「飲血地獄」(『地蔵菩薩本願経(大正412)』[SAT]) と指摘しています(石田2013, p.211)。ただこの「飲血地獄」は地獄名が書かれるだけでその内容は不明なんですよね。そこが残念。 (『仏説仏名経』(大正441)中の「大乘蓮華寶達問答報應沙門經」、そこに 剥皮飮血地獄というのが描かれてますけど、これはちょっと違う感じです。エグいです)
ただこの「天狗の内裏(十一段写本)」はちょっと特別で、「天狗の内裏」の諸写本のうち、これだけ 記述が長いんですよねー。後から いろいろ書き足した可能性が高そうです。 「十一段本」の場合、さらに蓮華一本を手にした女人がいたとき、また これを憐れんだ義経公が法華経の提婆品の経文を池に投げ入れたとき 「あら有難や、弥陀女来、紫雲をたなひき、西方じやうどへ、御助有」(p.615a) という 他にはないエピソードが追加されています。 つまり「血の池地獄」絡みの責苦と、そして救済の両方を追加していて、 ストーリーをさらに盛り上げようとする意図が感じられます。
[Table of Contents]「佛説目連正教血盆経」[URL]のページで 大雑把訳をした原本についてです。
松岡秀明(1989) 「我が国における血盆経信仰についての一考察」 [URL]中で「G本」と されているものですねこれ‥あれ? 松岡では「佛説大蔵正教血盆経」 (28.5cm×18.5cm×2.0cm)となってる! 各要素が 錦2003 と微妙に違うのは、 どういうことだろう?? でも錦2003のベースになってる文書を参照してるみたいだし‥ というのはさておき。このG本と本ページの底本が同じとすると。 裏面には「宝暦六丙子年/七月吉辰日」とあり、 それによると1756年作成(松岡, p.88)。江戸中期ですかね。
高達奈緒美さんという方の2002年の発表をベースにしてるらしい [ 血盆経信仰の諸相 ]というページによると以下:
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