[Table of Contents]「仏敵を亡ぼそう」‥え?!
ある本を読んでたら、こんなことが書かれてたんですよ。
仏が不思議なしるしを示して、盗人の悪をやめさせたことが本当に分かった。至誠は恐るべき力があ
る。感応する神霊は必ずあるものだ。涅槃経巻十二に仏が「わたしの心は仏法をおもんじる。婆羅門が
方等の教えの悪口をいうのを聞き、その命を絶った。そこでそれ以来仏法の悪口をいう人を殺しても地
獄に堕ちない」といっているとおりである。また同じ経の巻三十三に「仏法を悪くいう者は永久に亡ぼ
そう。そこで、この理由で、蟻を殺しても殺生罪になるが、仏法を悪くいう者を殺しても殺生罪にはな
らない」といっているのは、このことをいうのである。
(原田敏明・高橋貢訳(1967)『日本霊異記』平凡社東洋文庫, pp.117--118.)
中二十二「佛銅像盗人所捕示霊表顕盗人縁」の最後のところです。
因果応報は本当なのだ。誰も見てないようなところでも、ゴマカシはきかないのだ。
‥なんてことを しみじみと語っているところですけど。
その景戒の持論を補強する材料として、涅槃経が2箇所、引用されています。
この引用文にちょっと引っかかりました。一つ目は「俺は仏の悪口をいうヤツを殺した。
それ以降、仏法の悪口をいうやつを殺しても地獄に堕ちない」と、まるで仏世尊が
敵対者の殺害を奨励するかのようなことが書かれていること。そして二つ目。
こちらも基本、同じようなことを言ってるんですけど、さらにひどく「仏法を悪くいう者は
永久に亡ぼそう」と、かなり怖い決意らしきものをしていることです。
そしてその理由が「仏法を悪くいうものを殺しても罪にならないから」って、
いくら何でもそれは なくないか?? (^_^;;
[Table of Contents]私が断片的に知ってる「涅槃経」
でも、仏教経典て、あれほど大量にあって、しかも書かれてることは文献ごとに結講バラバラな
ことを書いてるわけだから、別にそういう記述が仏典のどこかにあっても そんなに不思議じゃ
ないよなー、なんて思ったりもするわけですけど。
[Table of Contents]「殺してはいけない」
でも涅槃経については‥
(大雑把訳ぽい物語) もし王、あるいは大臣、名家の当主、もしくはウパーシカ(男信者)たちが、 法を護持しているビク(僧)を守る、つまり、法を守るために武器を手に取ったとしても、 その者は戒律を破った訳ではないことを認めないわけにはいかなくなるのだ。 ただし、武器を使うに当たって、ただ相手の生命を奪うことだけは してはいけない。「相手が邪魔だからポア」なんて問題外だ。(52b7) これさえ守れば、その者は最もすぐれて戒を護持している者といえる」
[ものがたり] (原典:
[SAT:大正374]
[SAT:大正375])
こんな感じで「武器を持つのは仕方ない。でも殺すな」と述べてる箇所があります。
[Table of Contents]「肉を食べてはいけない」
上記以外にも‥
(大雑把訳ぽい物語) カーシャパ。私は今日以降《弟子になる者たちは、どんな肉であっても(58a2)食べ てはいけない》と説くのだ。よいか。 カーシャパ。肉を食べる者というのは、どこかに行く、あるいは留まる、あるいは 座る、あるいは横になる、これらのいずれにせよ、 その匂いをかいだ衆生どもは皆、その者に対し恐れおののくものなのだ。 ‥(略)‥
つまり、衆生たちは 肉を食べる者から肉の匂いをかいでしまったとたん、おののき、 死ぬという恐ろしい概念をイメージしてしまうのだ。水中に生活するもの(58a4)とか、 平地の上で生活するものとか、空中を動きまわるもの、いずれの動物であっても、 すべて、その者から離れて逃げだし、『こやつは自分たちの敵だ』と言うはずだ。 それゆえ、菩薩たちは肉を食べようとはしないのだ。 衆生どもを導くものだからこそ、肉を食べることを教え、(58a5)食べるようなフリ までしてみせるわけだけど、正確には食べていないのだ。
[ものがたり] (原典:
[SAT:大正374]; 以下にも同様の記述::
[SAT:大正374]
[SAT:大正375] など)
このように「とにかく肉は食べてはいけない。
『自分も食べられるかもしれない』と思われる可能性があるから」と、
たとえ どんな状況であっても「殺」からは極力遠ざかるべき、という志向が
ハッキリと読み取れます。
んで。私はたまたま(?)涅槃経にこんな記述があるのを知っていましたので、
その同じテキストに
「仏の敵対者は殺しても構わん」とか「永久に滅ぼそう」なんて普通に書かれてるもんなの??
ということが非常に気になってしまったのです。
[Table of Contents]仏敵を殺しても地獄に堕ちない
ということで。霊異記の訳に書かれてるのは本当か? というのを、ちょっと見てみます。
まずは涅槃経巻十二にあるとされる「仏敵を殺しても地獄に堕ちない」のところ。
探してみたところ、たぶんこれですね。
善男子。我於爾時心重大乘。
聞婆羅門誹謗方等。聞已即時斷其命根。
善男子。以是因縁從是已來不墮地獄
(大雑把訳: 善男子。そのとき我が心は大乗に傾いていた。
バラモンが仏門を誹謗するのを聞き、すぐに命を奪ってしまったのだ。
善男子。だがその後、その因縁によって地獄に堕ちることはなかった)
[SAT:大正374]
[SAT:大正375]
ここにつけてみた私の大雑把訳ですけど、上記「霊異記」の引用部分につけられた翻訳とは
ちょっとニュアンスが違ってます。なんでニュアンスが違ったかというと。
これは涅槃経内での文脈を見たからです。
涅槃経の文脈について。これは仏が前世を語る場面で、その前世の話として出てきているのです。
--- むかし仏は(仙預という名の)王であった。大乗経典はあったものの、仏教関係者は一人もいなかった、そんな時代。
そんな時代であったが王(=仏の過去生)は大乗経典に心を寄せていた。だからバラモンどもが大乗の悪口を
言ったのを耳にしてムカついて殺してしまった。でもそのせいで地獄に堕ちることはなかったぞ。
つまり、大乗仏教をお護りすればそれほどの勢力(果報)があるのだ。
‥と、そういう話の中で出てきている文です。
その文脈をわかったうえで大雑把訳つけてみたんですけど。この大雑把訳であれば、仏は
(今生で)殺人した訳でも、殺人を奨励した訳でもないことはわかります。‥よかった。
[Table of Contents]仏敵は永久に亡ぼそう
そしてもう一つ気になったのは、ちょっと解釈を工夫するとジェノサイドというか
ホロコーストというか、そういうのを正当化しかねないような危ない発言、
「仏敵は永久に亡ぼそう」です。
これについても調べてみたところ、たぶんここだろう、と。
世尊。一闡提輩以何因縁無有善法。善男
子。一闡提輩斷善根故。衆生悉有信等五
根。而一闡提輩永斷滅故。以是義故。殺害
蟻子猶得殺罪。殺一闡提無有殺罪。
(大雑把訳: 「世尊。一闡提どもは、なにゆえ善法がないのですか」
「善男子。一闡提どもは善根が断たれているからだ。
衆生は皆、信などの五根を有している。だが
一闡提どもは、それを永遠に断絶したからだ。だからこそ
アリを殺しても殺罪になるが、一闡提を殺しても殺罪にならない)
[SAT: 大正374]
[SAT: 大正375]
涅槃経にはたしかに「一闡提輩永斷滅」とあり、
霊異記の翻訳では これを「仏法を悪くいう者は永久に亡ぼそう」と
訳しているんですけど。これも涅槃経の文脈を見てみると、
その文のちょっと前に「一闡提輩斷善根故」(808c09)とあることからも、
「(仏が)一闡提輩を永遠に断滅」よりも「一闡提輩が(善根を)永遠に断滅」と
した方が無理のない解釈という気がします。
‥仏は大量虐殺宣言をしていた訳ではなさそうです。ホッとしました。
ちなみに「仏敵を殺しても殺罪にならない」というのも おそらく、
仏が仏敵殺害を許容したとかいうレベルで理解してはいけない気がします。
文献をちゃんと見てないのでアレなんですけど。
文脈的には「仏も過去世で仏敵を殺してしまったが、地獄堕ちしなかった」、だから
殺しても殺罪にならないぜ、という感じですから、たぶん
「(仏敵の殺害について仏はどう考えるかというのはさておき)
因果の法則・輪廻転生の世界観において、仏敵を殺してしまった者は
「殺罪」ゆえ地獄に堕ちてしまうしかないのか? ‥いや、仏も過去に
殺してしまったことがあるけど地獄に堕ちなかったから、意外と大丈夫
みたいだよ。やっぱこれは大乗仏教のご加護か、あるいはきっと
一闡提輩が「因果の法則」に見捨てられたか、どっちかなんだろうな」
‥と、だいたいこんな感じのノリの話なんじゃないかと妄想します。
[Table of Contents]正解は? (不明)
‥いや、もちろん、私の解釈が的外れである可能性もあるんですけど。
でも、どこから「殺していい」的か解釈が出てくるのか、
興味あるじゃないですか。そこでちょっと調べてみてるんですけど(調査中)。
- 遠藤嘉基,春日和男(1967)「日本霊異記」岩波書店 日本古典文学大系70.
この本を見ると、以下のように書いてます:
涅槃經十
二卷文 如佛說 我心重大乘 聞婆羅門誹謗方等
斷其命根 以是因緣 從是來 不墮地獄 又彼
經
卅三卷云 一闡提輩 永斷滅 故以是義故 殺害蟻
子 猶得殺罪 殺一闡提 無有殺罪者 其斯謂
之矣
此人者 誹謗佛法僧為衆生不說法無恩義故殺无罪者也
(遠藤春日1967, pp.242--244)
([日本霊異記 巻中] にもオンライン版)
涅槃經十二卷の文に、佛の說
くが如し。「我が心大乘を重みす。婆羅門の、方等を誹謗すと聞き、其の命根
を斷つ。是の因緣を以て、是より以來、地獄に墮ち不」といへり。又彼の經
三十三卷に云はく「一闡提の輩は、永く斷滅せむ。故、是の義を以ての故に、
蟻子を殺害するだに、猶殺罪を得るも、一闡提を殺すは、殺罪有ること無し」
といふは、其れ斯れを謂ふなり。
此の人は佛法僧を誹謗し、衆生の為に法を說か不、恩義無きが故に、殺して罪无き者なり。
(遠藤春日1967, pp.243--245)
これが本文。これを見ると、
私が大雑把訳で「一闡提どもは、それを永遠に断絶したからだ」とした箇所は
「一闡提輩 永斷滅」だけであり、その読み下し文も
「一闡提の輩は、永く斷滅せむ」となっています。
[ 1996版はどうかを見る ]
ちなみに、その後に出版された「新 古典文学大系30『日本霊異記』ではどうなっているか。
一応チェックしてみました。
涅槃經十二卷の文に佛の說きたまふ
が如し「我が心に大乘を重ぶ。婆羅門の方等を誹謗るを聞きて其の命根を斷つ。
是の因緣を以ちて是れより以來地獄に墮ちず」と。また彼の經の三十三卷に云
はく「一闡提の輩は、永く斷滅つが故に、是の義を以ちての故に、蟻子を殺害
すすらなほ殺の罪を得れども一闡提を殺すは殺す罪有ること無し」とのたまふ
は、其れ斯れを謂ふなり此の人は佛と法と僧とを誹謗り、衆生の為に法を說かず、思義無きが故に、殺すとも罪無きなり。
(出雲路修 校注(1996)『日本霊異記』新 古典文学大系30, 岩波書店. p.96)
(上で紹介した 遠藤春日1967, pp.242--244 の原文部分と、
出雲路1996, p.246 の原文部分で異なる部分だけ)
-
「從是來」 ⇒ 「從是以來」
-
「永斷滅 故」 ⇒ 「永斷滅故 」(最後の「故」が文節末に)
-
「恩義故殺无罪者也」 ⇒ 「思義故殺無罪者也」(恩を思に)
(1967では空白だったのが1996では句読点に変わっているところ、
漢字が すべて新字体に変更されているところ、そのへんの違いは無視してます。)
これだと「一闡提が断滅」か「一闡提を断滅」か どっちにすべきか
よくわからない感じなんですけど。そのページの頭注を見ると‥
23 わたしの心は、仏道(大乗)を重んじる。だ
から、婆羅門教徒が大乗の教を悪くいうと聞け
ば、その生命を絶つのだ。この原因によって、
これ以来(殺生をしたからとて)地獄に堕ちるこ
とはない。「婆羅門」は、Brāhmaṇa. 司祭者の
階級で、印度四姓の最高位にあるもの。「方等」
は、大乗に同じ。→補50。
(遠藤春日1967, p.243 注23)
1 一闡提の連中は、永久に亡ぼそう。だから、
この理由によって、--蟻を殺すことさえ殺生
の罪となるのだけれども--、成仏の見込みのな
いものを殺しても、殺生の罪にならないのだ。
一闡提は、icchantika の音訳。本来解脱の因が
なく、本性として成仏し得ない者。もとの意味
は、「熱望を抱く」。
(遠藤春日1967, p.244 注1)
2 この一闡提は、三宝をそしり、衆生のため
に教法を説かず、恩を受けることがないから、
殺しても罪にならないものである。(上の涅槃
経の文句の説明である。)「誹謗」は、→119
頁注4。→補51。
(遠藤春日1967, p.244 注2)
おおっ!!
「一闡提の連中は、永久に亡ぼそう」‥‥これ、つまり「一闡提を断滅」という
解釈になってますよね。
‥‥私は最初、最初に「おっ?」と思った「霊異記」の和訳本、
その著者である原田・高橋両氏が ここを訳すとき、ひょっとしたら
「涅槃経」の対応部分を見ないで訳したのではないか、
そんな疑いを持ってました。
なぜ、そういう疑いを持ったかと言えば。霊異記に引用された「涅槃経」の記述は
唐突に単に「一闡提輩 永斷滅」の一言だけです。これだと
「一闡提輩は永斷滅する」か「一闡提輩を永斷滅する」のどちらで解釈すべきかが
わからないですよね。だから「ここは仏の発言だから、仏を主語にして
『(仏は)一闡提輩を永斷滅する』が妥当だろう」と考えたんじゃないか、と。
でも引用元になっている「涅槃経」の文脈から判断すれば、
ふつー、「一闡提輩は(善根を)永斷滅する」のはずなんだけどねー。
残念だけど、ちょっと間違えちゃったねー。
‥‥と、思ってたんですけど。
でもこの遠藤春日1967を見てわかったんですけど。
遠藤春日1967, p.485b の 補50 および 補51 には
ちゃんと「涅槃経(大正374)」の該当部分が引用されています。
つまり彼ら(専門家の人たち)は、きちんと涅槃経の当該部分を読んだうえで、
上記のような解釈をしていたことがわかります。
原田高橋両氏の単純な間違いなどではなく、逆に、その業界全体における
常識的な解釈ということですよね。
‥‥ええ〜?! 解釈間違えてるの、俺のほうなの?? (-_-;
ちょー不安になってきたんですけど。
[Table of Contents]「仏罰」との関係ならアリ?
‥でも待てよ。「涅槃経」の文脈に即した解釈が正解じゃなくて、この場合、
この「霊異記」において この引用文がどう解釈されているか。また、
この「霊異記」の引用が、後代の人たちにどういう意味で理解されてきたか。
‥これがここの翻訳に影響を与えている可能性はありますよね。
つまり「霊異記」を伝えてきた中世近世の人たち、この人たちがこの引用部分を
「一闡提輩を永斷滅しよう」と解釈してきた、そんな歴史があるとするなら。
ここではやはり「一闡提輩を永斷滅しよう」という訳をつけるべきですよね。
そのへん、どうなんでしょうか。
そのへん、よくわからないんですけど。ちょっと考えてみました。
仏が「一闡提輩を永斷滅しよう」と決意した、なんて解釈は可能なのか、と。
‥‥たぶん可能でしょうね。だって「仏法僧を謗った悪人に仏罰があたって
悪人は死んでしまった」なんて感じの話、割と ありがちじゃないですか。
たとえば同じ「霊異記」の下19に‥
そのとき詫摩郡(いまの熊本県飽託郡)の国分寺の僧と、豊前国宇佐郡矢羽田の
大神宮寺の僧の二人は、その尼を憎んで、
「おまえは外道者だ」
といって、嘲笑し、あざけってからかうと、仏法の守護神が空から降りて、桙で僧を突こうとした。
僧は恐れ叫んで死んだ。 (原田高橋1967, p.192)
こんな風にあります
[関連]。
これは僧を謗ったゆえに亡くなったという話ですけど、こんな話は
あちこちで見ることができます。
なんで仏罰で死ぬのか? なんて考えた場合、「仏が一闡提輩を永斷滅しよう」
と決意したから、とすると何かスッキリしますよね。
そういうことなんでしょうか。
(つづく、かも。新情報があれば追加しますけど‥)
[Table of Contents][Budh] オウム真理教「ポア」との関係
(別ページに切り分けました。こちらをクリックしてください)
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