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弥勒出顕成就経(一部)


 

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Introduction

以下ノ本文ハ

大石凝真素美「仏説観弥勒下生経 弥勒出顕成就経」 (『大石凝翁全集 第3輯』,国華教育社(名古屋),1924) [URL]
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関連URLs: [仏説観弥勒下生経(一部)]

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文献作成は19世紀の日本

 『弥勒出顕成就経』と、タイトルに「経」と付けられているので、昔より伝わる 仏教経典のように思ってしまいそうになりますが、 19世紀末に大石凝真素美という人が書いた書物です。そのへん、混乱しないようにしましょう。

 タイトルが『弥勒出顕成就経』となっています。 本書と同じ大石凝が著作した『仏説観弥勒下生経』の中に 「嗚呼釈迦氏の器量は明治聖代の今日此日本帝国に於て弥勒出現成就経の選述あるに依て初めて其の真実を明かに発見し」 (下巻.p.9)とあり、 そのことから、明治期の日本で著作された 『弥勒出現成就経』というタイトルの書物があることがわかります。 それがこの『弥勒出顕成就経』と同じものを指しているのか、 あるいは本書とは別のものを指しているのか、そのへんのことは現状では私にはわかっていません。 (『弥勒出現成就経』[URL]を見てみると、 そちらの p.22b のあたりと、ここで紹介する『出顕経』の p.35 のあたりが一致しているみたいですので、 たぶん『出現経』と『出顕経』は同じもののようにも思えます。)

 ここでは、弥勒降臨の時期が「仏滅後56億7千万年後」ではなく、じつは 「仏滅後3000年」である旨を述べている箇所を中心として紹介します。

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本文‥の、ほんの一部

[対応する原文はこちら]

[p.34] 善は自か ら善矣。悪は自から悪矣と。審判する事を得る也。故に闘に勝ち遂げるたる者が善と 成り。敗けたる者が賊と成り。一悪奸の利口が邦家を覆がやす如き。妄々界は。皆 滅尽する也。○之を弥勒当来下生の時といふ也。●竜華三会の暁也と賛成する也

将に此好時節が。当来する大機会は。釈迦文仏が。降誕の其日より。凡三千年に距 るの途にして。必成就する也と。予定し。爰に深意を籠めて。世の両端を叩き尽し。 照り徹し貫きて。其三千年と云ふを。更に五十六億七千万年余と。表章したる者也。 [p.35] 仏種智を得て以て。此章の理由を審判するに。三千年と謂ふ所を。直言を用ひ ずして。例の得意の。謎を以て。五十六億七千万年余と。演説したるは。蓋し年 は稔也念也。其念は呼吸也

故れ無事全盛なる大人の息は。一分間に三十六息也。一時間に二千一百六十息 也。一昼夜即二十四時間に五万一千八百四十息也。一ヶ月即ち三十日十二分の 五間に一百五十七万六千八百息也。一ヶ年即ち十二ヶ月間に一千八百九十二万 一千六百息也。三十年間に五億六千七百六十四万八千息也。三百年間に五十六 億七千六百四十八万息也。三千年間に五百六十七億六千四百八十万息也是の如 く概算して深意を示したる者也

然り而して其三十年は成道の紀也。其三百年は弥勒の名世に揚るの紀也。其三 千年は弥勒の治化世界に普く成るの紀也。故に正真弥勒出現の紀は此三十年よ り三千年間の枢に有る者矣 [p.36]

然り而して其枢たるや。世界第一の美稲を産する。大日本国に。諸外国が。輻 輳して国界を見る其年也。即ち明治の聖代也

実に釈迦文仏が。明に予定する所は。釈迦誕生より。三千年に距る。段楷に。正に 出現する事疑無し。然り而して其的時の年度は。一大地球上。明に通信して。工芸 技術也。諸の学術也。天地物。一切の事。凡其底を叩き。自由自在を募るが故に。動 もすれば。優勝劣敗し。強者が弱肉を食ふの。憂ある也。其時に際し。必。至真の大 度衡を照して。一切に極点を執らしめ。至真の大治を興す。至真の大真人が。出現 する事。必定也と。決定したる者矣。之を演説するに。三百年間の。息数を以て。 五六億七千万年余と表章して。遠く前後を籠めだる者矣。故れ人。精神を究め竭 して卒に爰に至る也と云也

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概要

大雑把にまとめると「釈迦仏は、三千年後に降臨ありとは直接は言わず、 得意の謎かけをした。 年というのは実は稔・念のことであり、念というのは呼吸のことだ。 ふつう大人は1分に36回息をするから、ええと、300年で56億7648万息、 3000年で567億6480万息だ。ポイントは3つ。まず(釈迦仏誕生後)30年、 これは『さとり』に要する時間。 次が300年、これが『弥勒』の名前が世間に伝わるまでの時間。 そして3000年、これが『弥勒の世』が世界に浸透するまでの時間。 つまり弥勒出現の時期は、釈迦仏誕生後30年から3000年までの間、ということ。 そしてそれは大日本国、明治の聖代に間違いなし。」 ‥‥3000年は567億息だから、ケタがズレちゃってますけどね。

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「億」は億じゃない可能性もある

 ところで「億」のケタについては、 他のところでも書きましたが、 実のところ 仏典どうしで「億」がどういう数字なのかが統一できていない ことが知られています。現在だと「億」は一万の一万倍なんですけど、 昔からそう決まっていた訳ではない、ということですよね。 経典によっては十万を「億」と書いたり、 百万を「億」と書いてみたり、千万を「億」と書いてみたり‥と、そんな感じです。

 つまり経典に「一億」とあった場合、実際はそれが10万〜1億を指している 可能性があるということです。同様に、あの有名な「五十六億七千万」も、 567万〜56億7千万を指す可能性がある‥のは無理かな? 「七千万」と書いてますから、 その前に書いてる「億」は「千万」より上の桁である必要があるから、これだと 現在でいう「億」以外の可能性はなさそうですね。ただ、この数字について正確に見てみると、 その出典となっているはずの『佛説觀彌勒菩薩上生兜率天經』(大正452)には 「五十六億萬歳」[SAT]と書かれています。「億万年」をどう解釈するか、というのは正直よくわかりません。億を10万と解釈して561万年という解釈はできるのかな?

 閑話休題。「五十六億七千万」というのを だいたい567万くらい、と解釈可能になると、 弥勒仏出現時期が 従来の伝承よりもムチャクチャ早くなるわけですけど。 ‥‥でも正直、どっちにせよ我々にとっては同じことですよね、やっぱ。 釈迦仏が亡くなってから現在までを約2500年として、 釈迦仏から弥勒仏出現までの間隔を567万年としたうえで、 釈迦仏から弥勒仏への時間を100メートル走に譬えると、 現在地点はスタートから 0.044% 地点、距離でいえば 4.4cm地点にすぎませんから。 ものすごく善意の解釈をしたとしても、 それでもやっぱりゴール地点はあまりに遠すぎです。

 なので「56億」と「567億」を、大石凝氏は なんかちょっとムニャムニャした感じに しちゃっていますけど。 仏典どうしでケタが2〜3個程度ズレてる可能性があることを考えれば、 1ケタをムニャムニャする程度であれば、 それほど無茶な辻褄合わせという訳でもなさそうですね。

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年=稔=念=呼吸

 ところで、年を呼吸と解釈するところで「年」は「稔」で「念」で呼吸のこと、 という具合に、「年」と「念」の間に「稔」を挟んでます。 たぶんこれが大石凝説のポイントで、これによって 弥勒仏出現時期をイッキに現実的なところまで引き寄せることに成功してます。

 稔について 念のため書いておくと、稔は「みのり」、収穫のサイクルを示す語として「年」と 同じ意味で使われる、と漢和辞典にも書かれています。また実際に碑文等にも 「永正十五稔」[Wikipedia]と刻まれている例も、 それなりにあるようです。つまり「年」と「稔」は同じ意味で使われていた、と。

 そして。それを踏まえて出てくるのが「稔」は「念」という考え方ですよね。 そして「念」とは呼吸のことである、と。

 これについては正直「強引すぎるなこの解釈‥」とは思っちゃうんですけど。 でも同時に「よくこんなこと思いつくなあ‥」と感心してしまうのも確かです。 「稔=念=呼吸」の図式って、(強引すぎですけど) けっこうスゲー発見だと思います。

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[めも] 「人寿八万四千歳」ともあるが‥

また経典によっては「人の寿命が八万四千歳のとき、弥勒が出現」のように書かれてることも あります。たとえば以下:

壽命具足八萬四千歳無有中夭。 [ 佛説彌勒大成佛經 (大正456) p.14:429a26 [SAT] ]
これらについての解釈も一応、書いておきます。(そのうちページ分けるかも)

故れ経中に。人寿八万四千歳と 云者は。其天寿の限りと云事也。其実は百年にても。千年にても。各自皆。其天寿 を保ち遂げ卒りて。敢て大夭せざるを以て。八万四千歳といふたる者也。 [ 『大石凝翁全集 第3輯』1924, p.42 ]
[ 大雑把訳 ] 経中に人の寿命八万四千歳とあるが、それは寿命の限りとの意味である。 実際の寿命が百年だろうが千年だろうが、それぞれが天寿を全うすれば。 早死にすることなければ。それを八万四千歳と言っているのだ。

 ムチャな解釈? ‥いやいや。実際に仏典を見ると、八万四千という数字は、 非常によく目にする数字です。大石凝翁も指摘しておられますが、 人数だったり、年数だったり、長さだったり、煩悩の数だったり‥と、 とにかく「むっちゃ多い」といった感じの意味をあらわす数字として 安易に使いまわされてる数字であることは間違いなさそうです。 だから八万四千という数値そのものにこだわるな、という大石凝翁の ご指摘には私も賛同できます。

 ただ、だからといって「それが天寿を全うすることだ」と解釈するのは 正直ちょっとアレですけど‥。


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[ふろく]下生時期が早い伝承

 なお、弥勒菩薩が仏滅後2500年後に下生する‥かもしれない、 という伝承(?)が東南アジアにもあるようです。

上座部仏教圏においては、釈迦仏の時代は五千年とされ、その半数に当る 二千五百年のすぎた時点で弥勒仏下生の可能性が生じるとの解釈があり、中国では民衆の生活が破局に瀕する場合、メ シアとしての弥勒仏の下生が目前に迫りつつあるとの主張がなされたのである。 (鈴木中正(1982)「イラン的信仰と仏教との出会い」. 宮田登編(1984)『民衆宗教史叢書8 弥勒信仰』雄山閣出版,p.243.)
この「二千五百年後に弥勒仏下生の可能性が」的な記述には註がついていて、註によると "Sarkisyanz, E.[1965], "Buddhist background of the Burmese revolution," The Hague., pp.94--95, 151--152." とあります。「ビルマ革命における仏教的背景」‥ビルマ革命って、 1962年のクーデター(Wikipedia)のことなんでしょうか。とするなら、 かなり現代だなー、とは思います。‥でもそれってやっぱ、自分たちの革命を正当化するために 「今の自分たちこそ、その2500年だ!」なんて言いだしてた可能性がありそうだなー、とは 感じるんですけど。こればっかりはその Sarkisyanz 氏の文書そのものを見てみないと 何とも言えないですね。‥入手が面倒くさそう‥(なので、たぶんこのまま放置します)。

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[ふろく] 弥勒信仰は いまも生きている

このように、弥勒下生の時期が、その時々で、いろんな人たちに いろいろと都合がよいように利用されてきたことについて、鈴木中正氏は以下のように述べています:

弥勒世界の出現は無限大の未来に置かれた形であり、その 限りにおいて未来予言に必要な迫力を欠くといわざるを得ない。しかし別の角度からみるならば、仏教がダニエル書や ヨハネ黙示録のような確立された典拠を欠いたことは、かえって下生の時点を現実の必要に応じて随意に近い時点に設 定することを可能にしたのではなかろうか。 (鈴木中正(1982)「イラン的信仰と仏教との出会い,p.243.)
‥「666とマイトレーヤ(弥勒)」[URL]を見ても、 弥勒下生信仰というのは、現代もなおハッキリとイキイキと活きている 信仰(ただし、その中身は人とか団体によってバラバラだが)だということはわかるんですが、 それは、下生時期に関する 有無を言わさぬような権威的な記述が存在しないから。つまり、弥勒下生について いろいろ解釈できる余地がそこに残されていたため、結果として いろんな人たちが独自解釈をそこに ブチ込むことができ、それゆえ弥勒下生信仰は今でもアクティブに活きてる信仰となっている‥ という感じでしょうか。面白いなー。