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『大野の撫斬』

元禄九年、出羽国河辺郡二井田村支村大野邑にて起こりし惨劇につき。


[前] 事件のあらすじ(3)

切上という地名

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原文

三、 切上

此の事件に関連して必ず口の端に上るのは、現在仁井田村に、 入る国道に散在してゐる切上部落である。古川辺にて良民を 斬った刃の血糊の未だ乾かざる頃、久保田城下梅津邸から かつかつ馬蹄の音高く大野村さして走って行く武士があった。
「武士を打擲侮辱を加へたる理由に依り多くの良民を虐殺する とは穏当を欠く所業、而も吾が領土内にて我が良民が‥‥、 現場に駒を飛ばして速かに斬殺を思いとどまらせよ」

[p.7] それは地頭梅津の指令に私刑場へはせつける急使の騎馬だった。 だがその時はもう遅く現場に間に合はず、斬殺を終った武士達が 凱歌を奏して引上げて来る途中で会った。

其処で切上げの名は、使者が武士に向って 「梅津様より取止めの御沙汰」と云ふのに対し「もう切上げ終った」 と云ふ問答の切上がその侭地名に冠し、現在切上部落と称されて ゐると云ふ伝説である。


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概要

この事件との関連でよく話題にあがるのが、 いまも秋田市仁井田に存在する「切上」という地名である。 古川で惨殺が行われた直後、まだ斬殺に使った刃の血糊もかわかない時間帯に、 黒沢どもの悪だくみを知った領主・梅津氏が、黒沢らの暴挙を止めるため 急使を差し向けた。しかし急使は事件には間に合わず。 大野村での斬殺を終えて悠々と引き上げてきた黒沢ら一行と、 大野村への入口のあたりで遭遇した。そこで黒沢らは「もう切上げ終わった」と 急使に語ったのが、そのまま「切上」という地名となった、という伝説である。

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つぶやき

正直いって、この「切上」伝説はガセだと思います。リアリティを感じない‥ (後述)

 ‥でも、じゃあ「切上」の由来は何なの? は わからないんですけど。 でも。たぶん、切上って、二井田村本村の北端で、二ツ屋村とか福島村との境目にあたる エリアじゃないですか。だから切上の「キリ」は 「キリのいいところで」の「キリ」、つまり

  1. 区切り。切れ目。「--のよいところでやめる」「--をつける」
  2. (多く「きりがない」「きりのない」などの形で用いる)かぎり。はて。際限。「欲をいえば--がない」
[きり【切り/▽限り】 || goo辞書]
なので「切上」は「村の区切り、村の端っこ」という意味だったんじゃないかと私は妄想します。

(この「切上=区切り」説は、『大野の撫斬』(1935)でも武藤氏の推測として紹介されています。(p.18,22))

 そこに撫斬事件由来の噂がついて、 その噂が印象的だし話のネタに丁度よかったので広がってしまった。‥と、そんなところじゃ ないでしょうか。

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