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『大野の撫斬』

元禄九年、出羽国河辺郡二井田村支村大野邑にて起こりし惨劇につき。


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郷念仏講

ところでウチの親父によると、遺族やその子孫が行っている 「郷念仏講」には、この事件の発端となった 市蔵、仁蔵の兄弟の末裔は参加させてもらえなかったらしい (なんか30年だか前に、ようやく許されたか何かで 参加するようになったらしいけど)。

 なお私自身は 「伜を小屋によこさざるため死を免れた家が只一軒」の末裔 (通称?、甚助系^^) らしいので、この惨劇の 直接的な被害者の末裔ではないらしい(このへん、父とかおじさんたちの 話を聞いてても何というか、わかってんだか、わかってないんだか、 聞いててよくわかんねーんだよなあ‥)のだが、集落全体の 家主が斬られたわけだから、間接的に被害を受けたことは 間違いのないところ。 まあ、これは余談ですな。

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いろんな伝承あり?

気になるのは「はしがき」に 「撫斬に対する諸説誤伝(郡内誌に二、三発表されてゐるが 何れも確な記録がないため速断が出来ず、年代の判然しない 伝説にすぎない)に修正を加へ」とあるように、 この本以前にすでにいくつかの文献があること。だけど、 その内容がどんなものか書かれていないこと。 (仁井田大野地区以外に伝わる伝承については、 こちら[URL]をどうぞ。) ただし、 本書の内容は当時(昭和10年頃)『秋田魁新報』に載せられた記事の 再掲ということらしく、新聞だとどうしても字数制限が厳しいため、 その絡みで十分な記述ができなかった ということなんだろうけど、ちょっと勿体ない。

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