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『大野の撫斬』

元禄九年、出羽国河辺郡二井田村支村大野邑にて起こりし惨劇につき。


[前] [資料] 黒沢市兵衛口上内容

[資料] 岡本元朝日記

 七月
二五日
 天気よし 昨大野ニ於いてご奉公之者黒沢市兵衛 小貫万七 是はご奉公に不出由 小泉清右 衛門 平塚半九郎魚釣候処大野村百姓舟ニて草積乗かけしニて口論いたし百姓二人手 負し 兄 市兵衛 弟 熊千代 是ニて大野村中村人棒ニて打すくめ縄下ニいたし候 是にて梅津下 記殿百姓故外記殿ヘ申上候由切し衆は四人之内黒沢市兵衛也 見届ニ助太刀は小貫万 七之由残二人は其節其場より早々に帰候由也 右之親類共外記殿ヘ参候てご奉公之者 [p.9] 之旨申候故早々可相渡由被申付由其後及被露尤右之衆より も其通也。 (相場1981, pp.8--9.)
[次] それでも謎は残る