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中国古典にみる外道ども

中国古典にみる「外道」の用例です。といいながらインドとの区別は曖昧‥


[前] 『梵網経』(5c)にみる外道

『破魔変文』(9c?)に見る魔王外道

※ 本ページでの引用について。とくに文献名などが記されていない場合、以下からの引用です:

入矢義高 編(1975)『仏教文学集』平凡社(中国古典文学大系60).
すみませんが、和訳しか見てません(^_^;

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「破魔変文」について

 西暦1900年頃に発見された 「敦煌文献」[Wikipedia] に含まれていたらしきもので、 本書で使ったものは『敦煌変文集』(1957; 2 vols, 北京)という出版本みたいです。 その中で、本文献はいつ、どこで作成されたのか? ‥よくわかりません(^_^;

 ただ末尾に以下のような記述があるみたいです:

 天福九年(九四四)甲辰の年、黄鍾の月(十一月)、蓂の十葉を生 ずる日(十日)、寒気厳しく筆に息ふきかけつつ書き写す (p.24a)
ここに「書き写す」とありますから、ここに記載された944年には すでに存在し、944年に書写された写本が現存している、そんな感じのこと だけはわかります。でも「変文」ですからね。 一般に変文は唐代中期(9世紀初)頃からのものと言われてますから、 9世紀から10世紀中頃(944年)までに作成されたものなのでしょう。

 また「変文」ですから。変文ですから、産地もインドじゃなくて中国で 間違いないでしょう。文中に

金仙(仏陀)が御降誕になりましたのは、もともと周の御代のこと で、像法が[中国に]伝わりましたのは漢の代からで、昭王の世に、 祥き夢を千秋に挟まれたのでございます」(pp.16b--17a)
こんな感じに書かれていて、あからさまな中国視点で物語ってますから。 そのことからも中国原産で間違いなさそうです。

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仏と敵対する魔王が「外道」

さて物語の中身に入っていきましょう。

 場面は、釈迦菩薩が 悟りを得て釈迦牟尼仏にならんとす、その直前のこととなります。 釈迦菩薩が今にも悟りを得ようとしていることに気付いた「波旬」という名の魔王が、 その「さとり」を阻止すべく立ち上がったのでした。

  たちまち魔王は忿怒して
  多く妖邪の鬼神を召し集う
  いま如来の世に出でんとするを見て
  猛き心こらえ難く怒りたつ
  おのれが邪神の類なるをも知らずして
  山をもたげ海を覆えして金人を滅ぼさんとす
  鬼神どもすべてに命ずらく
  捉え来たれ 我が心晴らさんと (pp.17b—18a)
魔王は「鬼神」どもに大号令を発し、その結果、馬頭羅刹、阿修羅神、夜叉、 魍魎鬼神、閻羅王、風神雨神‥などが集結します。 この中に人間がいるか? という話になると、それっぽい存在に ついての言及はまったくありません。それと皆「どっと天より下り、 たちまちのうちに、まっすぐ菩提樹の下に やって来ました」「邪神百万を駆り集め」(p.18b) とあることから、 この魔王の軍団は皆すべて天上界からやってきたんだろうと想像 できます。人間はいないって訳ですよね。 (でも閻羅王は魔王側についてるんですね。へー。)

 かれら魔王軍に襲撃された仏。

 さて我が仏は菩提樹の下に、念を整えて思惟したまわく、
「あの外道どもみなやって来る。どうしたものであろう」
 そこで慈悲善根の力を発し、方便もて邪徒を降伏なされますが、干 戈を用いることなく、兵馬を煩わすこともありませぬ。如来の持ちた もう武器は彼らのものとは全く異なり、忍辱の甲を着け、智慧の刀を 執り、禅定の弓を引きしぼり、慈悲の矢をつがえ、十力の馬にまた がり、精進の鞭をふるいます。慚愧の刀をふり挙げぬうちに鬼将は 驚き慌て、智慧の剣をまだ振り廻さぬうちに波旬は恐れおののきます。 煙を垂れ炎を吐く輩は、逆におのれの火に焼かれ、岩を戴き山をつか む連中は、自ら地下にめり込みます。外道が弓を引かんとすれば忽ち 弦は裁ち切れ、矢を放たんとすれば花に変わります。槍は振り廻さぬ うちに自然と折れ、剣は振わぬうちに刃がこぼれます。雷鳴は梵鐘の 響きにかわり、雹は真珠の粒に変わります。紅旗が出没すれば、香わ しい風が自ずと生じ、猛火・黒煙は栴檀のお香の霧となって降ります。 我が仏がその定力を現したまえば、外道・波旬は…怯えおののき、 大なる者は霧の中を逃げまどい、小なる者は雲の中で震えわななきま す。魔王はそれを見て、ひとまず軍を返し、羅刹は叩頭して罪を詫び ます。戈を廻らして進発し、魔宮に退却いたしましたが、その毒気は まだ収まらず、なおも怒りを発します。云々 (p.19a)
かれら魔王らの軍勢を目にした途端、仏は言い放ってます。
「あの外道どもみなやって来る」
‥‥んー。この事例を見るかぎり、中国の仏教文学、仏伝文学系では すでに早いうちから「外道」は「異教徒」とは別の意味に変わっていた ように思われますよね。だってどう考えても、魔王の手下ども、 つまり馬頭羅刹、阿修羅神、夜叉、魍魎鬼神、閻羅王、風神雨神‥などは どう考えても「異教徒」と呼べる存在ではないですよね。 それを、何のためらいもなく「外道ども」と呼ばせているというのは、 つまり「外道」は もともとの意味とは違う意味で使われているとしか 思えないですよね。

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魔王の手下は「門徒」?!

 物語は続きます。仏に撃退されてしまった魔王に対し、 魔王の三人の娘たちが、お色気作戦を使って仏の修行を邪魔しようと言い出し、 実行に移します。残念ながらこの企みも失敗し、娘たちは返り討ちにあって しまうんですけど。 この際に行われる父娘の会話のシーンでは、とくに「外道」という言葉は出てきませんが、 父王が娘たちに現状(?)を語りかけるその言葉(韻文)の中にこんな:

  我慢ならぬは 奴がいま世に出でんとして
  我が門徒を教化し尽くさんずること
  もし奴に教化せしめおかば
  門徒を教化し尽くして弟子となさん (p.20a)
こんな台詞があります。魔王の下にいる魔物どもは 魔王の「門徒」と言われてます。これ以外にも
「もしあいつに衆生を済度させておいたなら、我が徒衆は仏のもとに  身を投じるだろう。機先を制して徒衆を集め、魔宮を総動員して  瞿曇(ゴータマ)を攪乱し、世に出られぬようにするに限る」(p.17b)
という部分もあり、こちらは「徒衆」とあります。じつは魔王軍は宗教団体?! いや、違いますよね。なんか修行とかしてるようには見えないですし。 ‥ということはつまり。ここでの魔王、そして魔王の手下どもは 修行してないし出家してないし、そういう点では「異教徒」ではない。 その点では「外道」ではないのは明白です。 しかし魔王どもは誰がどう見ても仏の敵対者であることは明かでしょう。 仏の敵対者を何と呼ぶか? 「外道」じゃね?? ‥こういう考え方に立つと、 (それが妥当かは判断しかねますけど) 魔王どもを「外道」と呼んでも 間違ってはいないことになります。

 ‥まあ、初期仏教の段階では「外道」とは「敵対者」というより「ライバル」 といった感じですから、その視点からみると「仏の敵対者」を「外道」と 呼ぶのは完全に間違いですけど。大乗仏教になってくると「外道」は 「仏教の敵」という意味にぐっと近づいてきているような気がしますので、 その流れを受け継いでいるんじゃないかと思ったりします。

 んで、ひとたび魔王を「外道」と呼んでしまうと、 「外道」という語がもつ「べつの宗教の人たち」的ニュアンスが 付いてしまう。なので魔王の手下どもをつい「邪徒」とか、 「門徒」とか呼んでしまうという感じですよね。これはたぶん「外道」という 単語に引きずられてしまったという感じじゃないでしょうか。 (いやでも「門徒」はさておき、「邪徒」は実は単に「わるいやつら」という 意味でもいいのかな? それだと「邪徒」を宗教と絡めるのは無理筋になっちゃいますけど‥)

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外道は、人でなし

 ここで私なりの注目ポイントの一つとして、「外道」と呼ばれるのが 完全に人間でなくなっていることがあります。魔王そしてその手下ども、つまり 馬頭羅刹、阿修羅神、夜叉、魍魎鬼神、閻羅王、風神雨神‥などなど。 ここから何が言えるのか。

 「仏の敵対者」が人間でなくなってきたというのはつまり、仏のご存在も 「卓越した人間」からさらに一歩すすんで 「人間を超越したもの」に変化しつつあったのが、ついに完全に定着した。 つまり、仏はついに人間でなくなった。だからその敵対者も人間でなくなった。 ‥‥ということは言えそうですよね。 仏と外道の対立構造はこの世のものではなくなり、目にみえない世界へと 持ち越されていった、と。

 そしてもちろん、インドで「外道」と呼ばれていた人たちが、中国では ほとんど姿を見ることのない人たちだったことも大きそうですよね。 「外道」がなんか「実際には存在しない想像上の動物」と同じような扱いに なってしまい、そのせいで外道を「人でないもの」にしてしまうことが 比較的容易であった、と。

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ちなみに「降魔変文」だと‥

ここまで紹介してきた入矢編1975には「降魔変文」という文書も翻訳されています(pp.25b--53b)。 こちらは祇園精舎の取得とコーサラ国での布教の公認をめぐって、 波斯匿王の前で、仏の「最も若年の弟子」である舎利弗と、 既得権益をもつ六師外道の労度叉との神通力合戦の物語です。六師が山を出したら 舎利弗は金剛を出して山を破壊し、 六師が水牛を出したら舎利弗は獅子を出して水牛を始末してしまう‥などなど。 この結果 舎利弗が勝利して、六師は仏門にくだって善哉善哉‥という話なんですけど。 ここでの「外道」は、完全に人間、仏教たちのライバル的存在な人たちを指しています。 ‥‥何というか、昔ながらの意味で使われてますよね。 つまりこの時期の中国は「外道」は人間じゃなかったり、人間だったりという感じで安定してない ことから、たぶん「外道」は人かどうかとか修行者かどうかは多分どうでもよくて、 単純に「仏や仏教徒らと敵対する存在」を示す言葉として使われてた感じでしょうか。 でも外道を「人じゃないもの」と考えても まったく問題なくなってるというのは、 結講デカい変化が起こってると見てもよさそうですよね。

 それはそうと個人的に気になったこと。神通力合戦の最中、

二度も仏家が勝ちを制し
外道は智尽きて立てん策なし (p.47a)
こんな表現が出てくるんですけど。「外道は智尽きて」の「智」というやつ。 文脈からみると、どう考えてもこれは「神通力で出すもの」以外の意味はあり得ないと 思うんですけどね。「智」って一体何なんですかね。

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