[前] 『梵網経』(5c)にみる外道 |
※ 本ページでの引用について。とくに文献名などが記されていない場合、以下からの引用です:
入矢義高 編(1975)『仏教文学集』平凡社(中国古典文学大系60).すみませんが、和訳しか見てません
(^_^;
[Table of Contents]
西暦1900年頃に発見された
「敦煌文献」[Wikipedia] に含まれていたらしきもので、
本書で使ったものは『敦煌変文集』(1957; 2 vols, 北京)という出版本みたいです。
その中で、本文献はいつ、どこで作成されたのか?
‥よくわかりません(^_^;
ただ末尾に以下のような記述があるみたいです:
また「変文」ですから。変文ですから、産地もインドじゃなくて中国で 間違いないでしょう。文中に
さて物語の中身に入っていきましょう。
場面は、釈迦菩薩が 悟りを得て釈迦牟尼仏にならんとす、その直前のこととなります。 釈迦菩薩が今にも悟りを得ようとしていることに気付いた「波旬」という名の魔王が、 その「さとり」を阻止すべく立ち上がったのでした。
かれら魔王軍に襲撃された仏。
「あの外道どもみなやって来る」‥‥んー。この事例を見るかぎり、中国の仏教文学、仏伝文学系では すでに早いうちから「外道」は「異教徒」とは別の意味に変わっていた ように思われますよね。だってどう考えても、魔王の手下ども、 つまり馬頭羅刹、阿修羅神、夜叉、魍魎鬼神、閻羅王、風神雨神‥などは どう考えても「異教徒」と呼べる存在ではないですよね。 それを、何のためらいもなく「外道ども」と呼ばせているというのは、 つまり「外道」は もともとの意味とは違う意味で使われているとしか 思えないですよね。 [Table of Contents]
物語は続きます。仏に撃退されてしまった魔王に対し、 魔王の三人の娘たちが、お色気作戦を使って仏の修行を邪魔しようと言い出し、 実行に移します。残念ながらこの企みも失敗し、娘たちは返り討ちにあって しまうんですけど。 この際に行われる父娘の会話のシーンでは、とくに「外道」という言葉は出てきませんが、 父王が娘たちに現状(?)を語りかけるその言葉(韻文)の中にこんな:
‥まあ、初期仏教の段階では「外道」とは「敵対者」というより「ライバル」 といった感じですから、その視点からみると「仏の敵対者」を「外道」と 呼ぶのは完全に間違いですけど。大乗仏教になってくると「外道」は 「仏教の敵」という意味にぐっと近づいてきているような気がしますので、 その流れを受け継いでいるんじゃないかと思ったりします。
んで、ひとたび魔王を「外道」と呼んでしまうと、 「外道」という語がもつ「べつの宗教の人たち」的ニュアンスが 付いてしまう。なので魔王の手下どもをつい「邪徒」とか、 「門徒」とか呼んでしまうという感じですよね。これはたぶん「外道」という 単語に引きずられてしまったという感じじゃないでしょうか。 (いやでも「門徒」はさておき、「邪徒」は実は単に「わるいやつら」という 意味でもいいのかな? それだと「邪徒」を宗教と絡めるのは無理筋になっちゃいますけど‥)
[Table of Contents]ここで私なりの注目ポイントの一つとして、「外道」と呼ばれるのが 完全に人間でなくなっていることがあります。魔王そしてその手下ども、つまり 馬頭羅刹、阿修羅神、夜叉、魍魎鬼神、閻羅王、風神雨神‥などなど。 ここから何が言えるのか。
「仏の敵対者」が人間でなくなってきたというのはつまり、仏のご存在も 「卓越した人間」からさらに一歩すすんで 「人間を超越したもの」に変化しつつあったのが、ついに完全に定着した。 つまり、仏はついに人間でなくなった。だからその敵対者も人間でなくなった。 ‥‥ということは言えそうですよね。 仏と外道の対立構造はこの世のものではなくなり、目にみえない世界へと 持ち越されていった、と。
そしてもちろん、インドで「外道」と呼ばれていた人たちが、中国では ほとんど姿を見ることのない人たちだったことも大きそうですよね。 「外道」がなんか「実際には存在しない想像上の動物」と同じような扱いに なってしまい、そのせいで外道を「人でないもの」にしてしまうことが 比較的容易であった、と。
[Table of Contents]ここまで紹介してきた入矢編1975には「降魔変文」という文書も翻訳されています(pp.25b--53b)。 こちらは祇園精舎の取得とコーサラ国での布教の公認をめぐって、 波斯匿王の前で、仏の「最も若年の弟子」である舎利弗と、 既得権益をもつ六師外道の労度叉との神通力合戦の物語です。六師が山を出したら 舎利弗は金剛を出して山を破壊し、 六師が水牛を出したら舎利弗は獅子を出して水牛を始末してしまう‥などなど。 この結果 舎利弗が勝利して、六師は仏門にくだって善哉善哉‥という話なんですけど。 ここでの「外道」は、完全に人間、仏教たちのライバル的存在な人たちを指しています。 ‥‥何というか、昔ながらの意味で使われてますよね。 つまりこの時期の中国は「外道」は人間じゃなかったり、人間だったりという感じで安定してない ことから、たぶん「外道」は人かどうかとか修行者かどうかは多分どうでもよくて、 単純に「仏や仏教徒らと敵対する存在」を示す言葉として使われてた感じでしょうか。 でも外道を「人じゃないもの」と考えても まったく問題なくなってるというのは、 結講デカい変化が起こってると見てもよさそうですよね。
それはそうと個人的に気になったこと。神通力合戦の最中、
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