[ 外道TOP :: GEDO in 震旦 ]

中国古典にみる外道ども

中国古典にみる「外道」の用例です。といいながらインドとの区別は曖昧‥


[前] 『法顕伝』(5c)における外道

用例(1) とにかく邪悪な外道 (法顕伝)

T2085_.51.0862b02: 長三丈廣二丈高一丈餘。有一大乘婆羅
T2085_.51.0862b03: 門子名羅汰私迷。住此城裏。爽悟多智事
T2085_.51.0862b04: 無不達。以清淨自居。國王宗敬師事。若往
T2085_.51.0862b05: 問訊不敢並坐。王設以愛敬心執手。執手已
T2085_.51.0862b06: 婆羅門輒自灌洗。年可五十餘。擧國瞻仰。頼
T2085_.51.0862b07: 此一人弘宣佛法。外道不能得加陵衆僧。於
(大雑把概略)「羅汰私迷という一人の大乗婆羅門子がいた。王も含め、 国じゅうに尊敬された。これでは外道どもも仏僧を攻撃できない。」 (東洋文庫だと「マガダ国」.p.97.)

‥‥外道がどのような手段で攻撃してくるか書かれてないんですけど。 「攻撃できない」ことの理由が「王も含め、国じゅうに尊敬された」ことであるなら、 たぶん議論のような正々堂々なタイプの対決ではなく、もっと後ろ暗い、 なにか邪悪で陰湿な攻撃を妄想してしまうのです。

T2085_.51.0860b04: 塔。從此東南行十由延。到沙祇大國出沙祇
T2085_.51.0860b05: 城。南門道東佛本在此嚼楊枝已刺土中。
T2085_.51.0860b06: 即生長七尺。不増不減。諸外道婆羅門嫉妬
T2085_.51.0860b07: 或斫或拔遠棄之。其處續生如故。此中亦有
..
T2085_.51.0860b11: 舍處。須達長者井壁及鴦掘魔得道般泥洹
T2085_.51.0860b12: 燒身處。後人起塔皆在此城中。諸外道婆羅
T2085_.51.0860b13: 門生嫉妬心欲毀壞之。天即雷電霹靂終不
T2085_.51.0860b14: 能得壞。出城南門千二百歩道西。長者須達
(大雑把概略)「沙祇城の南門から出る道の東に、仏がかつて土中に刺した楊枝あり。 楊枝は七尺となり変わらず。嫉妬した外道婆羅門どもはこれを切ったり捨てたりするが、 また生えて元どおり。‥(略)‥ 鴦掘魔得道般泥洹燒身處など仏教由来の塔に嫉妬した外道婆羅門どもが 塔を怖そうとするが、天から雷が落ちて壊すことができない。」 (東洋文庫だと「沙祇大国」「コーサラ国」.p.67--68.)

‥‥外道婆羅門の攻撃の理由は「嫉妬」であり、攻撃手段も「切ったり捨てたり」ですから。 あまり罪のないガキのイタズラみたいな攻撃ですが、立派な「邪悪な攻撃」と いえましょう。

T2085_.51.0860c19: 歩道西。佛昔共九十六種外道論議。國王大
T2085_.51.0860c20: 臣居士人民皆雲集而聽。時外道女。名旃遮
T2085_.51.0860c21: 摩那起嫉妬心。乃懷衣著腹前似若妊身。於
T2085_.51.0860c22: 衆會中謗佛以非法。於是天帝釋即化作白
T2085_.51.0860c23: 鼠嚙其腰帶。帶斷所懷衣墮地。地即裂生
T2085_.51.0860c24: 入地獄。及調達毒爪欲害佛生入地獄處。後
T2085_.51.0860c25: 人皆幖幟之。又於論議處起精舍高六丈
T2085_.51.0860c26: 許。中有坐佛像。其道東有外道天寺。名
T2085_.51.0860c27: 曰影覆。與論議處精舍裌道相對。亦高六
T2085_.51.0860c28: 丈許。所以名影覆者日在西時。世尊精舍影
T2085_.51.0860c29: 則映外道天寺。日在東時外道天寺影則北
T2085_.51.0861a01: 映。終不能得映佛精舍也。外道常遣人守其
T2085_.51.0861a02: 天寺。掃灑燒香然燈供養。至明旦其燈輒移
T2085_.51.0861a03: 在佛精舍中。婆羅門恚言。諸沙門取我燈自
T2085_.51.0861a04: 供養佛爲爾不止。婆羅門於是夜自伺候見
T2085_.51.0861a05: 其所事天神將燈繞佛精舍三匝供養。供
T2085_.51.0861a06: 養佛已忽然不見。婆羅門乃知佛神大。即
T2085_.51.0861a07: 捨家入道。傳云。近有此事繞祇洹精舍。有
T2085_.51.0861a08: 十八僧伽藍。盡有僧住。唯一處空此中國有
T2085_.51.0861a09: 九十六種外道。皆知今世後世。各有徒衆
T2085_.51.0861a10: 亦皆乞食。但不持鉢。亦復求福於曠路側。立
T2085_.51.0861a11: 福徳舍。屋宇床臥飮食供給行路人及出家
T2085_.51.0861a12: 人來去客。但所期異耳。調達亦有衆在常
T2085_.51.0861a13: 供養過去三佛。唯不供養釋迦文佛。舍衞城
(大雑把概略)「むかし、ここで仏が96種外道と議論した。 このとき外道女が嫉妬心から衣服を懐に入れて妊婦姿となって 仏を謗った。帝釈天が腰紐を切って衣が地面に落ち、地が裂けて 女は地獄へ。ここに仏精舎と、影覆という外道天寺あり。 外道はつねに人を遣わせて外道天寺を守り、掃除焼香燃燈供養する。 だが朝になると燈が仏精舎にある。「仏沙門どもめ、燈を盗みやがって」と 婆羅門は怒ったが、夜中に燈を仏に捧げるのが他ならぬ天神なのを 目撃してしまう。婆羅門は仏道に入った。 この中インドには96種外道がおり、みな現世来世を知る。みな弟子を持ち 乞食するが、鉢を持たない。」 (東洋文庫だと「コーサラ国」.pp.71--73.)

‥‥これは外道女の話と、寺を守る外道という2つの話が連続してますね。 まず外道女。「嫉妬心」から、妊婦を偽って仏に「とんだ破戒坊主だ」攻撃を仕掛けたわけ ですので、これは『法顕伝』で書かれた中でも最も邪悪で卑劣な攻撃になるんでしょうね。 そして寺を守る外道。仏沙門どもが自分らの燈火を盗みやがって! と疑っていたら、 じつは犯人は自分が崇拝している天神だった、という話ですけど。 これは「邪悪」のカテゴリに入れるべき話ではないですね。対立者なんだけど、んー。 この外道は結局 仏門に帰依するわけなんですけど、 その理由は「論破された」とかじゃなくて「自分が崇拝していた天神が仏教に 帰依してたと知ったから」なので、これはどう解釈したらよいんですかね。 地域の土着宗教が、広範囲でチカラを持った大宗教に呑み込まれてしまったような、 そんな経緯を感じてしまいそうになりますね。 となると「邪悪」でも「ライバル」でもないのか。んー。

[次] 用例(2) ライバルとしての外道 (法顕伝)