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中国古典にみる外道ども

中国古典にみる「外道」の用例です。といいながらインドとの区別は曖昧‥


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『法顕伝』(5c)における外道

はじめに

『高僧法顯傳』(大正No.2085; [SAT])において 言及されている「外道」です。 法顕は、西暦399年にインドを目指して長安を出発、 404年頃に中インド到達、410年頃にスリランカ到着、 413年に南京到着、という日程でインド旅行を行いました(長沢1978,pp.240--243.)。 この5世紀初頭の「法顕」はどういうニュアンスで「外道」という語を使っていたか。 それをちょっと見てみましょう。‥‥ただ、実際にインドにおいて見聞した記録を まとめているわけだから、「外道」の用例も中国的でない、インド的な用例に 引っ張られてしまっている可能性があることは否定できないのがイマイチかも。

「東洋文庫」として言及してるのは以下です: 長沢和俊(1978(第2版;初版1971))『法顕伝・宋雲行記』平凡社(東洋文庫194).

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