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中国古典にみる外道ども

中国古典にみる「外道」の用例です。といいながらインドとの区別は曖昧‥


[前] 用例(1) とにかく邪悪な外道 (法顕伝)

用例(2) ライバルとしての外道 (法顕伝)

初期インド仏教系の文献でよく見かけるタイプの「外道」像。

T2085_.51.0861b10: 之。凡諸佛有四處常定。一者成道處。二者轉
T2085_.51.0861b11: 法輪處。三者説法論議伏外道處。四者上忉
T2085_.51.0861b12: 利天爲母説法來下處。餘者則隨時示現焉。
T2085_.51.0861b13: 迦維羅衞國大空荒人民希疎道路怖畏。白
T2085_.51.0861b14: 象師子不可妄行。從佛生處東行五由延有
(大雑把概略)「仏に関する4つの大事な場所: (1)成道の、 (2)転法輪の、(3)外道を論破した、(4)母親のため天界で説法したのち 地上に戻ってきた、これらの場所。」 (東洋文庫だと「カピラヴァストゥ城」.p.82.)

‥‥「外道を論破」、つまり仏が外道との直接対決に勝利した、ということですよね。 好敵手(ライバル)に勝利、というスポ根マンガ的対立関係なイメージでしょうか。 まあ、これが基本スタンスだと私は思っていますけど。 歴史上の人物「ガウタマ・シッダールタ」に直接由来する土地に伝わる直接的な伝承は、 初期仏教期に確立されたものがほぼそのまま伝わってきている感じなんでしょうか。

T2085_.51.0866a14: 名耶婆提。其國外道婆羅門興盛。佛法不足
T2085_.51.0866a15: 言。停此國五月日。復隨他商人大*舶上亦二
(大雑把概略)「耶婆提という国は外道婆羅門が盛んで、仏法については 言うことがない」 (東洋文庫だと「耶婆提国から帰国まで」.p.150.)

‥「仏教の勢力が強い地域もあれば、外道婆羅門の勢力の強い地域もある。 この国は仏僧の自分にとってはアウェーだ」‥そんな不思議なことは言ってないですけど。 単純に「仏教じゃない別の宗教」という意味で使われてますよね。

T2085_.51.0859c22: 階上起精舍。當中階作丈六立像。精舍後
T2085_.51.0859c23: 立石柱。高*二十肘。上作師子。柱内四邊有
T2085_.51.0859c24: 佛像。内外映徹淨若琉璃。有外道論師與沙
T2085_.51.0859c25: 門諍此住處。時沙門理屈。於是共立誓言。此
T2085_.51.0859c26: 處若是沙門住處者。今當有靈驗。作是言已。
T2085_.51.0859c27: 柱頭師子乃大鳴吼見驗。於是外道慴怖
T2085_.51.0859c28: 心伏而退。
(大雑把概略)「精舎がある。この場所をめぐって外道論師と沙門が争ったとき、 沙門は言い負かされた。そこで共に誓言を立てた。 「もしここが沙門の住処ならば、霊験あるべし」 すると、柱頭の獅子が吠えた。ビビった外道は逃げた。」 (東洋文庫だと「サンカシヤ国」.p.61)

‥‥ライバルなので、当然ながら、つねに勝つとは限らない。人によっては 論破されてしまうこともある訳です。でもそれだと格好がつかないので(?) 超自然的な現象、つまり「霊験」が助け舟を出してくれた、という話ですね。 外道がライバルであるなら、それは当然なことなんですけどね。

T2085_.51.0864b08: 有羅漢住。此土丘荒無人民居。去山極遠方
T2085_.51.0864b09: 有村。皆是邪見不識佛法。沙門婆羅門及諸
T2085_.51.0864b10: 異學。彼國人民常見飛人來入此寺。于時
(大雑把概略)「この土地は荒れており誰も住まない。村はかなり遠くにある。 村人は皆 邪見をもち、仏法も沙門も婆羅門も異学も知らない」 (東洋文庫だと「達嚫国」.p.127.)

‥‥仏教の立場からすると、仏は異学(外道?)よりも優位なわけです。 でも異学は邪悪で人でなしかというと、そうではない。 異学は確かに仏道よりは劣るけど、 異学にさえ従わない・何も知らない者よりは優位である、という価値観が この文に込められているのではないでしょうか。

[次] まとめ (法顕伝)