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インド系古典にみる外道ども

インド系古典仏教文献における「外道(tīrthika)」で、目についたものを集めてみました。

[前] 非仏教徒としての「外道」

仏教内他派としての「外道」

[Table of Contents]

爲貪利養故説外道論議・謂是邪見人説外道論議

2 0262_,09,0036c04(00):<ver>爲貪利養故説外道論議
3 0262_,09,0036c10(00):<ver>謂是邪見人説外道論議

12章(漢訳13章)。 この前後の部分を切り出してみるとこんな感じ :

0262_,09,0036b25(00):<ver>惡世中比丘邪智心諂曲
0262_,09,0036b26(00):<ver>未得謂爲得我慢心充滿
(snip)
0262_,09,0036c03(00):<ver>而作如是言此諸比丘等
0262_,09,0036c04(00):<ver>爲貪利養故説外道論議
0262_,09,0036c05(00):<ver>自作此經典誑惑世間人
0262_,09,0036c06(00):<ver>爲求名聞故分別於是經
「悪い時代の(仏教の)出家者は邪な智慧をもち心がネジまがっている。 ヤツらは言う。『これなる出家どもは利得を求めて外道の議論を説く』」 ちなみに「外道」が出てくる部分の Skt. はこんな感じ。
asmaaka.m caiva vak.syanti laabha-satkaara-ni^sritaa.h /
tiirthikaa vata-ime bhik.suu svaani kaavyaani de^sayu.h //8//
(KN 272-9)
[大雑把訳] 「ヤツらは利益とか名誉に依存してて、私たちをこう言う。 『これらのビクどもは外道で、自分たちのカーヴヤを説きやがる』」 (vata って indeed でいいんだよね?^^;)

 つまり『法華経』では「あやつらは仏教内外道だ!!」ということは 書かれていないんだけど、「本当の仏教徒である自分たちをエセ仏教徒扱い、 具体的には『外道』呼ばわりするヤツらが出てくる」と言ってるんだよな。 ここからは、経典製作者自身が「それは仏教じゃない!! ブッダはそんなこと 教えてない!!!」と言われたであろうことを予想させるよね、やっぱ。 『自作此經典』と言われる、とも書いてるし。

[次] 分析