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古典日本にみる外道ども

「外道」が日本においてどのように受容されてきたかを調査してみます。 すでに暴走の域に入ってしまってます (^_^;

[前] 『狭衣物語』(11c)

『今昔物語集・天竺部』(12c)

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Text Information

準備中

とりあえず今のところ以下を使っています:

  • 池上洵一訳注(1979)『今昔物語集7 天竺部』(平凡社・東洋文庫)
  • 池上洵一訳注(1980)『今昔物語集8 天竺部』(平凡社・東洋文庫)

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「外道」という単語を調査してみる

インドの諸国を遊行していた陀楼摩(だるま)和尚が、ある寺に赴いたときのこと。 その寺の僧にこう言われたのでした:

「あの老僧二人は若い時から碁を打つことの他にはなんの修行もせず、仏法がどんなもの かも知りません。ですから、寺の僧たちも敬遠して同席しません。ただ空しく供養される 食物をもらって食べ、碁を打つ他にはなにもしないで年月を送っているのですから、いわ ば外道のようなものです。決してお近づきになってはいけません」(v.8.p.152)
でも実は囲碁の中に無常観を見いだしていて‥という展開になるのですが、 それはここではいいとして。

 この場合の「外道」ですけど、うーん。学校とかで「あの子は成績悪いし不良だから つきあわない方がいいよ」と言われたときの「不良」と同じニュアンスですよね。

[次] 『平家物語』(13c)