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古典日本にみる外道ども

「外道」が日本においてどのように受容されてきたかを調査してみます。 すでに暴走の域に入ってしまってます (^_^;

[前] 『今昔物語集・天竺部』(12c)

『平家物語』(13c)

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Text Information

まずは書誌情報を広辞苑から。

へいけものがたり【平家物語】

軍記物語。平家一門の栄華とその没落・滅亡を描き、仏教の因果観・無常観を
基調とし、調子のよい和漢混淆文(わかんこんこうぶん)に対話を交えた散文体
の一種の叙事詩。平曲として琵琶法師によって語られ、軍記物語・謡曲・浄瑠
璃以下後代文学に多大の影響を及ぼした。原本の成立は承久(1219〜1222)〜仁
治(1240〜1243)の間という。成立過程には諸説あるが、早くから読み本・語り
本の系統に分れて異本を派生したと考えられ、前者には六巻本(延慶本)・二
○巻本(長門本)・四八巻本(源平盛衰記)など、後者には一二巻本に灌頂巻(か
んじようのまき)を加えた覚一本・流布本などがある。治承物語。平語。
(→1)平曲(へいきよく)
本は東北大附属図書館から借りてきました。借りてきた本の書誌情報は以下。
高木市之助,小澤正夫,渥美かをる,金田一春彦 校注, 『平家物語 下』(日本古典文学大系 32), 1960, 岩波書店
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「外道」という単語を調査してみる

とりあえず見つけたのはここ。巻第十の維盛入水のところ。 維盛が入水自殺をしようとして、ふと妻子のことを思い出してしまったのに対し、 瀧口入道が励まして言った台詞の中。どんな身分の人でも恩愛の道は どうにもならないし、まして夫婦は前世の契りも深いし、と述べたあとで‥

第六天の魔王といふ外道は、欲界の六天をわがものと領じて、 なかにも此界の衆生の生死をはなるゝ事をおしみ、或は妻となり、 或は夫となて、これをさまたぐるに、三世の諸仏は一切衆生を一子の 如におぼしめして、極楽浄土の不退の土にすゝめいれんとし給ふに、 妻子といふものが、無始曠劫よりこのかた生死に流転するきづな なるがゆへに、仏はおもういましめ給う也。さればとて御心よわう おぼしめすべからず。 (p.282)
この「外道」の部分にもきちんと注がついてて、そこには 「仏教以外の教。またその教を奉ずる者。」と書かれている。

 でもなあ。第六天の魔王(注によると自在天王)は非仏教かもしれないけど、 「仏教以外の教えを奉ずる者」に該当してるのか?? と考えると、 『曾我物語』にみる「外道」と同じで、 人間以外のものをそう呼んだ用例として理解した方が妥当のような気がする。

 ちなみに、この事例ではいちおう「外道」と「三世の諸仏」とが対称的な ものとして描かれているんだけど、 その外道は単に「衆生の生死をはなるる事をおし」んでいるだけなので、 イデオロギー的な対立点とか、両立不可能性とかが全く感じられないんだよね。 そのへんで、なんか「非仏教」よりも「仏でも人間でないもの」という意味合いのほうが 強く印象に残ってしまう。対称的だけど対立的じゃないというか、本来的にあるはずの 対立的・両立不可能的なところがボヤけてしまってるというか。

[次] 『曾我物語』(13c頃?)