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まずは書誌情報を広辞苑から。
高木市之助,小澤正夫,渥美かをる,金田一春彦 校注, 『平家物語 下』(日本古典文学大系 32), 1960, 岩波書店[Table of Contents]
とりあえず見つけたのはここ。巻第十の維盛入水のところ。 維盛が入水自殺をしようとして、ふと妻子のことを思い出してしまったのに対し、 瀧口入道が励まして言った台詞の中。どんな身分の人でも恩愛の道は どうにもならないし、まして夫婦は前世の契りも深いし、と述べたあとで‥
でもなあ。第六天の魔王(注によると自在天王)は非仏教かもしれないけど、
「仏教以外の教えを奉ずる者」に該当してるのか?? と考えると、
『曾我物語』にみる「外道」と同じで、
人間以外のものをそう呼んだ用例として理解した方が妥当のような気がする。
ちなみに、この事例ではいちおう「外道」と「三世の諸仏」とが対称的な ものとして描かれているんだけど、 その外道は単に「衆生の生死をはなるる事をおし」んでいるだけなので、 イデオロギー的な対立点とか、両立不可能性とかが全く感じられないんだよね。 そのへんで、なんか「非仏教」よりも「仏でも人間でないもの」という意味合いのほうが 強く印象に残ってしまう。対称的だけど対立的じゃないというか、本来的にあるはずの 対立的・両立不可能的なところがボヤけてしまってるというか。
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