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古典日本にみる外道ども

「外道」が日本においてどのように受容されてきたかを調査してみます。 すでに暴走の域に入ってしまってます (^_^;

[前] 『平家物語』(13c)

『曾我物語』(13c頃?)

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Text Information

残念なことに私は以下の本しか持っていないので、 以下の本のみに頼った調査内容になっている。

出典:
市古貞次,大島建彦 校注,『曾我物語』(日本古典文學大系 88), 岩波書店, 1966
たぶん問題はないと思うが.. (^_^;

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まえおき

『曾我物語』に「外道」という単語が出てくることは、以下の本によって 知った。

網野善彦,『異形の王権』(平凡社ライブラリー),平凡社,1993.
この本の 47 ページにある以下の記述。
「異類」あるいは「異形」という言葉は、 もとより古くから使われているが、鎌倉期以降、しばしば 「異類異形」とつらねられて用いられる場合をふくめ、一種の 妖怪、鬼、鬼神などについての形容にさいしての用例が多い。(*29)
この注29のところだ。以下に引用。
*29 -- 例えば『今昔物語集』巻第六第六話の「異形の鬼ども」、同上巻第十三 第一話の「さまざまの異類の形なる鬼神ども」からはじまり『太平記』 巻第五の「異類異形ノ媚者」、同上巻第二十七に現われる「異類異形」の 「夭怪」、さらに『曾我物語』巻第六の「異類異形」の「外道」など。
ということで、さあ調査開始だ!!

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「外道」という単語を調査してみる

さて。さっそく『曾我物語』を見てみよう。 この巻六にあることはわかっているので、探してみると . . . あったあった。 p.245 の「弁財天の御事」で始まる「ふん女」物語の中に出てくるなあ。 えーと、この部分について注にはこう書いてある。

五百の卵から生まれた子が、かれらを捨てた母とめぐりあう物語は、 雑宝蔵経一の八・九から出て、今昔物語集五の六にも引かれる。 (p.245, 注16)
さてこの「ふん女」物語については、上の注にだいたいの概略が書かれて あるけど、だいたいこんな感じ。引用と説明文を混ぜてみよう。
「昔、大國流沙の水上に、ふん女といへる女あり。天下にきこゆる長者也。」 「ある時、おもはざる懐妊」して産んで「みれば、人にはあらで、 かひ子を五百うみたり。」つまり子供じゃなくて卵500個を産んでしまった、と。 衝撃を受けた ふん女は「箱に入れて、流沙の波にながしすてけり。」 「きよはくといふ貧道無縁の老人」がこの箱を拾ったところ「いつくしき 男子にかへりぬ。」結局500人全員が生まれて「一つもつつがなく、 成長しけるぞ、不思議なる。」しかし500人も子供ができちゃったんで、 「命をたすからんとする程に、心ならず猛悪になり、おもはずも、欲心に 住す。瞋恚を旨として、驕慢にあまりければ、 外道にもちかづきにけり。」窮乏してる彼らは、 ある計画をたてる。そうだ。ふん女のところには財物があるから強奪しよう。 でも ふん女は信心深いので、そううまくいかないかも。 「『さらば、外道どもをかたらい、かれらが神通の力を かりて、やぶりてみん』『しかるべし』とて、非天外道と いふ物のもとへ」行って応援をとりつけた。 また「そのほか、異類異形のちた外道ども、 おもひおもひの装束にいろいろの旗ささせ」集結してくる。しかし 信心深い ふん女には諸天の味方がつく。さて。「死生不知の 外道ども、おめきさけびて、みだれ入」ったのに対し、 諸天も応戦する。ところで 人間界では五百人が名乗りをあげたところ、ふん女がそれが自分の子と 気付き、大団円。「夜叉羅刹をだにもしたがへて、たけくいさめる武士も、 母一人のことばに、皆々なびくぞあわれなる。かくて、城中にいざなひ、 親子のむつび、ねんごろなり。」(p.245-250)
どうもオレの読解に間違いがなければ(それが一番アヤシイ^^;)、ここでの 「外道」は 非天外道(アスラのこと)・異類異形のちた外道・夜叉羅刹 といった感じで、 完全に人間以外のものを指してるよね。まあ、実はこれは『異形の王権』に あった
「異類」あるいは「異形」という言葉は、 もとより古くから使われているが、 鎌倉期以降、しばしば 「異類異形」とつらねられて用いられる場合をふくめ、 一種の妖怪、鬼、鬼神などについての形容にさいしての用例が多い。(p.47)
この部分ですでに言われていたわけなんで、単にこの文の確認をしただけに なるんだけど、とりあえず「鎌倉期になると、人間以外のものを『外道』と 呼ぶ事例が出てくる」ということは確認できた。 [Table of Contents]

余談

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『今昔物語集五の六』の用例について

この用例は以下の URL で読めることが判明。

[ 今昔物語集 (鈴鹿家旧蔵) 所蔵巻一覧 // 巻第五 (京大図書館) ]
この「般沙羅王五百卵、初知父母語第六」のところだ。 これを見てみると、500人の子どもたちは「生活が苦しくてグレちゃって」という 過程は経ていないことがわかる。たまたま敵国の王子として育てられて、 攻めてきたときに産みの親のことを知って和解、と。

 『雑宝増経』は今後の課題。でもまあ『今昔』と『曽我』の関係を見てみると、 『今昔』のほうが記述内容が naive にも思えるので、『今昔』から『曽我』への 増広の過程で「外道」絡みの記述が追加されたような気もするよね。だから 『雑宝増経』はちょっと期待薄かも :(

(based on the pages of (1998 | 1999.1))

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