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古典日本にみる外道ども

「外道」が日本においてどのように受容されてきたかを調査してみます。 すでに暴走の域に入ってしまってます (^_^;

[前] 『曾我物語』(13c頃?)

『歎異抄』(13c)

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Text Information

ちなみに『歎異抄』については、『広辞苑』に以下のように書かれています。
たんにしょう【歎異抄・歎異鈔】‥イセウ

一巻。親鸞の語録。親鸞の没後、弟子唯円の編といわれる。親鸞没後に起って きた異義に対し、師の真意を伝えようとしたもの。
テキストの作成年代としては、だいたい 1294-5 頃じゃないかと 『仏教文学』には書いてある。(p.325)

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「外道」という単語を調査してみる

『歎異抄』のなかで「外道」が使われている箇所はここ :
七 念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心 の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。 罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、 無碍の一道なりと云々
ここで、上にあげた『仏教文学』の対応部分の翻訳を見てみましょう。
他力を信じた念仏の行者に対しては、日本の天地の神々も尊敬し、 仏教に害をなす悪魔も邪魔をすることができない。(p.53)
なんか「魔界外道」がセットで「仏教に害をなす悪魔」という意味で 取られてますね。またこの後に「魔界外道」に関する説明も書かれて いますので、ちょっと写経してみます。
【魔界外道】
普通魔界といえば天狗道のことで、天狗になることを魔界に堕ちるという。 しかしここでは悪霊邪神というふうに解すべきで、天神地祇の反対概念である。 また外道もインドで仏教以外の宗教や思想を外道といったのとはちがい、 悪神邪霊を指している。ところがこれらの魔界外道も、仏教や伽藍の守護神と なることがあり、これを護法善神という。それが天狗であったり、鬼で あったり、山の神の化身の狼や狐や猪や蛇であったりする。宗教学的には 「中間神霊」とよぶべきもので、死霊が神に昇華しない中間的存在として、 祟りやすい荒魂の段階にある霊的存在である。これがここにいう魔界外道の 正体にほかならない。鞍馬天狗は大僧正とも魔王尊ともよばれ、奥之院に まつられる護法善神なのである。(p.54)
さらにその後にも書いてあるので、ついでに。
だから天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍せずといった。しかしこの 言葉の裏には、釋尊の菩提樹下の成道に、諸天や天女が花を降らし、 悪魔外道が邪魔することができなかったイメージがえがかれている。(p.54)
なんか「魔界外道」と「悪魔外道」というのは区別して表現されてるみたい ですね。ちなみに「悪魔外道」については [ 佛成道を邪魔した「外道娘」 ] を参照のこと。 . . . とかいうのはともかく。ここでの「外道」は 上の説明によりますと「悪神邪霊」と書いてますね。個人的には、 単なる「悪神」一般を示すとするよりは、 『曾我物語』と同じように(参考)、 アスラなど、ある程度の具体的なイメージを伴ったものを指していそうな 気がしています。「悪魔外道」もそうだし。 まあ、いずれにせよ「仏教以外の宗教や思想(に関連した人)」を 意味する単語ではなさそうなことは確かです。「魔界」という 限定詞(?)も付いてるし。(dvandva と解釈したほうがいい?? ^^;)

[次] 「切支丹宗門来朝実記」(18c) (その1)