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[前] 「切支丹宗門来朝実記」(18c) (その1) |
「切支丹宗門来朝実記」の、話の続き。
[Table of Contents]はびやん・白応居士論争が契機となった、秀吉公による南蛮人送還計画から逃げ出した 信徒「ごうずもう」は、4年後に泉州堺夷町中浜に「市橋庄助」の名で、外科医として住み始めます。 同様に信徒「しゆもん」も嶋田清庵の名で、堺の本浜に本道の医師として住み始めます(p.567a)。 そして1588(天正16)年9月。「なんか面白いことないか」と秀吉公に聞かれた 堺天王寺屋宗珍油屋常祐が、この二人の名前を上げます。とにかく すごい腕で、 あの中国の伝説の医師・左慈みたいとの噂だと。秀吉公は興味を持ち、 二人を召し出します。
秀吉公に「なんか珍しいものを見せろ」と言われた両人。水を入れた鉢を用意させ、 そこに菱形に切った紙を入れたら、何と、紙がまるで魚のように泳ぎだします。 しかし、じきにまた紙に戻るのです。皆ビックリです。(p.567b) この他にも、卵を握って呪文唱えるとヒヨコになり、すぐ鶏になったところで再度呪文唱えると もとの卵に戻ったり‥なんてことをして皆を驚かせました。
[Table of Contents]すると秀吉公はこう言います。「幽霊を見てみたい」と。そして夜。月夜でしたけど。 両人が呪文を唱えると、月影にわかに曇り、周囲は真っ暗になります。風さっと吹いて。 出た、出ました! 「植込の影から幽霊と覚しき女、白きものを着し髪をさばき、 杖にすがつて顕れ出たり。」(p.568a)
幽霊をじっと見ていた秀吉公は、気付きます。あの幽霊は、自分がむかし木下藤吉と 名乗っていた時に奉公していた菊じゃないか、と。 菊は秀吉が出世した後にまた尋ねて来て、また奉公させてくれと言って来たが、しかし 菊は以前、雑言をはき自分の言うことを聞かなかったから奉公はダメと断った。 しかし菊がグチグチ言うので手討ちにしてやったのに。何故こんな女を出してくるのか、と。 もう秀吉公はご機嫌を損ねてしまいました。
[Table of Contents]そののち。座敷にてご褒美をいただけるかと待っていた両人を待っていたのは、 捕手役人らでした。縄をかけられる二人。なんで??
この話について、 このページ的に気になるのが「外道邪法の仕業」という表現ですよね。 紙を呪文で金魚のように見せたり、 卵を呪文でヒヨコにしたり鶏にしたり卵に戻したり、 幽霊を(幻出するんじゃなくて、実際に死後世界から死人を)呼び出したり‥。 現在の我々から見ても、あやしい、人々を惑わす「幻術」としか言えないもの。
たぶん実際にキリスト教徒がそんな幻術を持っているとは思えませんので、 たぶんこの市橋庄助の幻術の話は実話ではない --- 実話をベースにしているかも しれないが、びっくりするほどの付加増広が行なわれているのは明白と思われます。
[Table of Contents]しかし他方では、当時の切支丹たちは宣教師たちの「術」の存在を信じていた、との話もあります。
でも、じゃあ、なんで 幻術=切支丹 という方向に話が膨らんでいったのか。 それを考えてみると、やっぱり「キリスト教は外道で邪法だから」という 評価が影響を与えているんじゃないかと思ったりします。 つまり。キリスト教は外道で邪法だから、たぶん、その道をきわめていくと、 「いかにも外道邪法な術」を身につけるに決まってる! と。 (とくにキリスト教排斥後は 人々の周囲にキリスト教徒がいなくなりますので、 余計にそういう妄想を発達しやすかったんではないでしょうか。) んで、 じゃあ、その「いかにも外道邪法な術」って何? という感じに考えてみると、 妄想を膨らませてみると、やっぱり人々を惑わす幻術だろ? 紙を呪文で金魚みたいにしたりとかさー、と。そんな感じで 話が膨らんでいったんだろうと思うんですけど。
となると。上で紹介した白応居士の論争のところでは「外道」は 初期仏教的な感じで使われていたという話を書きましたけど。 こちらの場合はそうでなく、ずいぶん邪術者的な、かなりあやしい、 ちょっと‥いや、かなり人間の領域を飛び出した悪人ども。 そういう意味で使われていることになります。んー。 こちらのほうが日本的な いかにも ありがちな用例に近いとは思いますけど。 このすぐ前に出てくる白応居士の例のところでの用例との 落差の大きさは何なんでしょうか‥。
やっぱりそれって、 この「切支丹宗門来朝実記」という書物が、あちこちからの 引用のツギハギで作成されたということなんでしょうか。
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