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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


 

Introduction // はじめに

In early dawn of 16th January, the pilgrims of the 33 Kannons of Kubota (Akita City) perform "Fudauchi", the traditional folk and Buddhist event of sticking or nailing the pilgrimage slips of paper or wood to the wooden board in each temple. Pilgrims are recommended to make pilgrimage for three or more successive years after the death of their family members.

知る人ぞ知る 感じではあると思いますが、 秋田市には「久保田卅三番札所」というものがあります。 江戸時代に選定されたものらしいですけど、 「かんのんさま」を お祀りしてあるお寺さん(パワースポット?)を 三十三ヶ所、 久保田(江戸時代の町名。現在の秋田市中心部)の城下町から選定し、 善男善女がそれらを「巡礼」できるようにしたものです。

 江戸時代はおそらく、いろんな目的を持った人たちが いろんな日、気が向いたときに「巡礼」してたん じゃないかと思います。しかし 現代において「久保田卅三番札所」(ただし今は廃寺・郊外移転 等のため33箇所より少なくなっていますが‥)を巡礼して回る人たちの 大部分は、じつは巡礼の理由も日時も ほぼ決まっています。 日時は毎年、風雪吹きすさぶ一月十六日未明(一月十五日深夜。日付の変わる午前零時スタートが基本、のはず)。 理由は、 不幸にも亡くなってしまった身内の供養のため。‥何故そういう 伝統ができたのかはわからないんですが、とにかく「身内に不幸が あったらその供養のため不幸が起こった翌年から三年連続で 一月十六日未明に三十三番札所を回って「御詠歌」を唱えながら 『札打』なるものをすべし。基本、宗派関係ないから」という小正月の 伝統が秋田には残っているのです[*註]。 (ただ「ウチは一向宗だから、しないよ」という発言を聞いたことはあります。)

 なお「かんのんさま」については [梵文法華経24かんのんさまの章]を、 「三十三」という数字については [なんで「三十三」なの?]を、また 「ふだらく」については [かんのんさまは南(南方補陀落)に]を、 それぞれ別途に用意しましたので、そちらをどうぞ。

[久保田三十三観音霊場(札打ち)]
天和(てんな)年中(1681〜1684)久保田の平野屋甚兵衛によって久保田三十三観音霊場 の札打ち行事が始められた。一月十六日の未明、西国三十三ヶ所の霊場にみたてて 行われる。泉の熊野神社観音堂を一番霊場として、順に札所を巡礼して札打ちを する。札は最近に亡くなった近親者の戒名を墨書した木札(紙札)で、御詠歌を 歌いながら札打ちし、八橋の普門寺(帰命寺が代行)を三十三番の美濃の谷汲山と して打ち止めする。秋田市の冬の民俗行事である。 (秋田魁新報社編『秋田三十三観音霊場めぐり』1998(H10) より)

[久保田三十三番観音霊場] 菅江真澄『久保田の落穂』の中には「久保田補陀洛は 西の寺めぐりになずらへて、六郡めぐりそめしに、またなずらへて天和(1681〜84)の はじめ、平野屋甚兵衛といふ人巡礼そめ」とあるから、江戸時代中期には「西国 三十三番巡り」や「秋田六郡三十三番巡り」を真似て実施したのだろう。毎年一月 十五日の夜から翌十六日にかけて、三年以内に亡くなった近親者の戒名を木札に墨書し、 観音霊場を一番から三十三番まで巡回し、ふだらく(御詠歌・西国三三番の御詠歌を 代用)を謡いながら、木札を寺社の所定の場所に打ちつける。厳寒の雪の中を泉、手形、 楢山、寺町、保戸野、八橋と徒歩で回るものであり難行であった。特に手形から 楢山までは田の畷の道であり、全行程約五時間のみちのりであった。一方、寺社の 門前に物売りや酒店の出店が出るほどの賑わいであった。
現在はワープロで印刷した紙の札を糊で貼り、画鋲で打つつけ、足にかえて 乗用車で回るのが主流となった。平成十三年一月十六日、四番長泉寺、五番長泉寺で 札打ちを見学した。四、五番は長泉寺とあるが実際は明田の磯前神社境内の観音堂が 札打ちの場所である。四番では楢山の若い夫妻が応対し、五番では明田の奥さんたちが 応対し、鉦を叩き、ご詠歌を謡って協力していた。札打ちは地区の人達の奉仕で 成り立っていたのである。 (『秋田市史 第16巻 民俗編』2003(H15); pp.558-560)
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