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[チラシの裏]

森達也(2012)『オカルト』

著 森達也
年 2012
表題 『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』
発行 角川書店




『職業欄はエスパー』という本(‥て、『スプーン』 [チラ裏]のことですよね?)の続編。 テーマがオカルト全般に広がったからか、なんか『スプーン』よりも 内容が薄まった感じがしますけど。そのぶん逆に、オカルトの周辺にどういう人たちが いて、どういうことを言ってるのかというのが結構わかる、 そういう業界(?)全体の見取り図的な感じになってるのが面白いというか、 勉強になるというか、そういう感じになってます。

 でも扱う範囲が広がったからといって、前作よりも「何か」が見えてきたかといえば 全然そんなことはなく。たとえば心霊科学協会の大谷理事長へのインタビューの部分を読むと:

「つまり、傾向はわかるんですね。九月は雨の日が多いとか寒冷地の動物は同じ種の場合は大型 化するとか。傾向はわかるけれど、肝心の本体がさっぱり見えてこない」 「そういう研究がなされてないからですよ」 「なぜですか」 「みんな避けるからです。やりたがらない」 「アカデミズムの人たちが?」 「アカデミズムの人だけじゃなくて、要するに、そういう研究の資料や測定の機器、あるいは知識や 経験を持っているはずの人たちが、なぜか積極的にアプローチしてこない」 ‥(略)‥ 「レポートの形とかにならないんですか」 「レポートは出してはいるんですよ。ある程度は。でも学会が関心を示さない」 「学会ってこの場合は心理学とか?」 「心理学会もそうです。あるいはさっきの話で言えば金属学会とか。いろんなジャンルに跨がり ます。でもなかなか関心を示さない」 「再現性がないからですか? 近代物理学の実証においては前提のような条件ですよね」 「再現性はまったくないわけじゃない」 「でも被験者の体調によって変わりますよね」 「体調がどう結びついているかがわからない」 「条件さえ合えば……」 「条件を満たしても結果は出てこない」 「なぜですか」 「そこがわからない」 (pp.99-100)
その方面の権威のはずなのに、なんだかモヤモヤした言い方してるなあ‥なんて 思ってしまうのですが。でも「オカルト」を巡る状況は、実のところ、 権威と呼ばれる人においても このような感じの、なんかモヤモヤした領域のまま、 現在もそのまま、ということの現れなんでしょうね。 著者(森)も
「アニミズムやトーテミズムのころから、オカルトはこの社会 において、同じ位置にあり続ける。しぶとく残り続ける。同じ形のまま。同じ量のまま。まるで 存在することそのものが、存在する理由であるとでもいうかのように。」 (p.142)
このように語っています。 だからオカルト研究の権威と呼ばれるような人でも、研究対象について誠意をもって 語ろうとすればするほど「わからない」を連発するしかない、 という感じなんでしょうかね。 実際、このインタビュー部分だけじゃなく、なんかモヤモヤしてスッキリしない感じが 本書全体を包み込んでいる感じがします。

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 このモヤモヤした感じについて、著者の森さんも頑張ってるんですけどね。

「引き下がる振りをしながら僕は、もう一太刀を浴びせようとする。我ながら往生際は悪い」 (p.102)、 「でもやっぱりこのままでは終われない」(p.133)、 「実は数ヶ月後、赤外線カメラなどいろいろ機器を持ち込んで、かなり大がかりな検証を実践し た。結果はやはり空振り。」(p.171)
そして13〜14章で行われる、ダウジングやカード当ての予備実験における、 (著者である森さんの期待を嘲笑うかのような)堤さんの外しっぷり‥。 でも、じゃあ逆に「オカルトなんて、やっぱ錯覚じゃね?」と 決めつけたくなる衝動に駆られるんですけど、そうすると (幽体離脱した木内さんが500年ほど昔にタイムスリップして) 土佐神社の拝殿に「つる」と落書きしたという話はどう説明する? 胡散臭さではこれが一番なのに(16幕)‥などなど。

 でも、そんな不確かなもので、もし本当に存在していたとしても 所詮スプーンが曲がる程度だし、マジメになって研究しようとする人もほとんどいないし、 マジメになって研究してみても何かがクリアに見えてくるわけでもなく、 何でこんなにモヤモヤしてるのかと実感するのがオチという、そんなもの。そんなオカルトに、 なぜ私たちは(という風に書くのは良くないですね。「私は」)心惹かれてしまうのでしょうか。 研究者の蛭川さんの言葉が、私の気持ちを代弁してる感じです。 (と、著者の森さんも感じたので この言葉を17幕の締めに配置したんだと思いますが‥)

「わからないからです」 「そうですね」 「わからないから研究したい。ほとんどが嘘だっていうことはもうわかっています。でもすべて が嘘とも言いきれない。だから研究するんです」 「面白いし」 「そう。とても面白い」(p.320)
知らないことを知りたい。説明できないことを説明したい。 ‥この、人が持つ本能的なものをどうしても刺激してやまないところがあるんですよね、 所謂「オカルト」は。まあ 既存の「オカルト」というのは、 「説明できないこと」を 誰かが何とか説明できるようにしてみたもの、 でしょうから。だから、その説明で納得できればそれでいいし、 納得できないときは自分なりの説明・解釈を用意したくなるもの‥‥んー、際限ないかも。 でも、本気で足を突っ込むには、やっぱちょっとモヤモヤしすぎなのが何とも


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