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安藤健二(2006)『封印作品の謎2』

著 安藤健二
年 2006
題 封印作品の謎2
発行 太田出版



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封印作品の謎(2) [ 安藤健二 ]
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注意事項

 本ページは 安藤健二(2006)『封印作品の謎2』の あらすじでも、感想でも、書評でもありません。 いつか、ひょっとして何かの話題に出すかもしれない時のための 自分用のメモ・備忘録的なものであり、それゆえ、元の書籍の 文脈を大きく外れたことを書いていたりしますので、誤解なきようお願いします。 (え? そんなものオープンにするなって? ‥いやー。すみません。オープンにしておかないと、 自分で書いたメモの存在さえ忘れてしまうもので。健忘症か?^^;)


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1.引き裂かれたリボン(キャンディ・キャンディ)

絵を担当した、いがらしゆみこさん側の(たび重なる)暴走‥という話に尽きてしまいますね。 でもこの裁判の際に「マンガは誰のものか」という争点が表面化してきたのは面白いですね。 マンガにおける原作者の位置付けって、本書p.59のあたりにもありましたけど、 かなり難しいものなんですね。権利関係を考えると、アイデアも作画もすべて一人でやるのが いいんでしょうけど、でもなー。アイデアと作画って、やっぱ、求められるものが違うからなー。 役割分担するのが いいとは思うんですけどね。『ゴルゴ13』は脚本を外注してますけど、 そんな感じか、あるいはマンガ原作者が作画スタッフを揃えるか。そんな感じで プロダクション体制にするのが一番‥‥ああ、そうか。プロダクション体制を作るのも タダではないから、すでにある程度の売れっ子になってるか、あるいは これからほぼ確実に売れっ子になることが確定している状況でもない限り プロダクション体制を作るための資金は捻出できないから、つまり最初はやっぱ誰でも 一人で原作と作画をしないと どうしようもないのか。 ふつう、金ないし。‥んー。難しいですね。

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2.悲しい熱帯(ジャングル黒べえ)

まず。やはり国内の市民団体「黒人差別をなくす会」ですよね。 実は一家3人から成る市民団体で、「独特な正義感」(p.122)に基づく、 善意の第三者による、代理糾弾をする人たち。「年末には飲み屋の請求書のように、 必ず手塚作品への抗議文を送ってくる」(p.122)人たち。正体がわからないから、 いわゆる解放同盟系の人たちかと勘違いして、ビビった「大抵の企業は 抗議されるとすぐに謝っちゃう」(p.122)、でも「どこが問題なのか ディスカッションしましょう」(p.124)と言われると黙ってしまう人たち。 --- まあ、今だとたぶんよくある苦情電話とか苦情メールの類ですよね。 当時は珍しかったんでしょうか。というかやはり、上にも書きましたけど、 いわゆる解放同盟系の人たちかと勘違いしてしまったことが大きいんでしょうか。 解放同盟系の抗議は 「西成区の公会堂に、解放同盟が動員をかけたのか、500人くらい来てました。 もう後ろのほうは見えない。『どうしてこういう作品が出来たんや! 内部で誰も チェックせんのか? 組織はどうなってるんや!』と始まって、『そういうことを社長は 知ってるのか?』と。その手の質問がわーっと来た。ある程度大人しくなった時期でも それだから、僕だってそれ以前の激しさはよくわかるよ。足を踏んづけられるような 糾弾会には出てないけど、実際に500人だかに囲まれてごらん。それで後ろのほうじゃ ヤジが飛ぶわけです。『社長が出てくるまで俺らは帰らんぞ』と。‥(略)‥ マスコミの過剰な自主規制が始まったのも、『あんな思いは二度としたくない』って いう気持ちがあったんだと思います」(p.114) ‥いや、わかりますよ。一般市民が抗議の声をあげても、その声がいくら正当なもので あったとしても、軽視されるか無視される。それが普通ですから。 抗議の成果をちゃんと上げていきたいと思ったら、一市民として声をあげるだけじゃなく、 あの手この手を使っていかないといけないということ。 そして差別問題というのは、あの手この手を使ってでも解決するに値する問題であること。 ‥でも、ちょっと やりすぎだったかもしれませんよね。 その激しい糾弾の結果、言論の自由を守るべき出版社側がその糾弾行動に ビビりすぎちゃって、とにかく「くさいものにはフタ」的な極度な自粛を行なうように なってしまうとは。いや、無論、出版社を「この腰抜けどもが!」と言ってしまうのは 簡単ですけど。でも「おまえも500人に罵声飛ばされてみろよ!」と言われると、 私なんかもう、何も言えなくなりますけどね。とにかく、いろいろ不幸だったとしか 言いようがないですけど。 このへん、講談社の「手塚治虫漫画全集」の再出荷にこぎつけた担当の人はスゴかったですね。

 と、ここまで抗議の話を延々と書いてきましたが。じつは「ジャングル黒べえ」は 抗議された形跡がないんですよね(本当のところは「黒人差別をなくす会」が取材を 受けてくれないため不明のまま。ともかく痕跡は見当たらない)。 抗議された痕跡があるのは「オバケのQ太郎」の一話だけで。 その抗議に付随する形で、どうやら出版社が「差別問題の抗議は怖い」と過剰反応しすぎて、 「ジャングル黒べえ」まで自主規制してしまった疑いがきわめて濃厚と。でもこの自主規制は 良くないとは思いますけど、「500人の罵倒」を想像すると あまり強くも責められないですけどね。

 さて。では黒人に対する表現の、何が差別なんでしょうか。 「「黒人」のほとんどが、丸い黒い顔にドングリ目玉と大きく誇張した厚い唇に作られ、 その容姿の大半が、(1)裸に腰ミノ姿で手にはヤリやオノを持つ「野蛮人」」(p.127) ‥このへんからこの章は、この表現ははたして規制するほどのものなのか、 というところに話が行き、あのサンコンさんも「僕は、はっきり言って 見ててうれしく感じるよ。悪い気はしない。逆にこういうのを問題にする人は 考えすぎなんです。『インディアン、嘘つかない』とか『日本のサムライ』とかと 同じで、民族の特徴をPRすることは決して悪いことじゃない」(p.137) と言ってます。私も無論、「丸顔にドングリ目玉と厚い唇」程度でアウトとかいうのは 無理すぎだろう、そんなこと言いだしたら、あのお菓子のカールの 「カールおじさん」だってアウトだろ? それでいいの?? なんて思ったりしましたけど。

 でもたぶん、なんで「黒人」のステレオタイプ的な描き方がダメだったのか、というのは アフリカじゃなくてアメリカ独自の問題ようにも思います。日本における黒人差別表現問題の 契機となったのがワシントンポストの1988/7/22号に書かれた、日本では 「多くのアメリカ人がとっくに滅んだと思っている黒人の人種差別的な戯画化」(p.99)が 流行していて、日本人は海外の文化に対する理解や共感に欠ける、と非難した記事ですけど。 まさかアメリカ人に「海外の文化に対する理解や共感に欠ける」と言われるとは! という 感じなんですけど。でも、これってつまり、本当のワールドワイドではどうだったかは ともかく、少なくともアメリカでは(まあ知識としては知ってますけど)黒人差別問題と いうのは非常に大きな社会問題で、その流れの中でこういう記事が書かれたということですよね。 そしてその問題は根本的には たぶん今も残っていて、 白人たちの間では今だって「ブラックは怖い。犯罪の温床。こっち来るな」的な ことを心の底では思っている人も多いはず。(映画「Bowling for Columbine」(2002)で、 その手の話が出てましたよね。「犯罪24時間」みたいな犯罪ドキュメンタリー番組の 犯人は 判で押したように黒人かヒスパニックばっかりで、その理由として、 そうしないと視聴率が良くないから、とかいう感じ(ごめん。うろおぼえ)の話。 そして何故、何に怯えて白人たちは銃を決して手放そうとしないのか、など。) そんな社会情勢の中では、黒人のステレオタイプ的描写というのは、それを見る人の心の中にある 大いなる差別問題が写し出されていることは間違いない訳で、それは許せない と感じる人が 出てきてもおかしくない感じですよね。 黒人のステレオタイプを云々する前に、まず、黒人に対する悪感情が もうどうしようもない レベルにまで達しているから。だからステレオタイプ表現が問題になる、と。 でも日本はそうじゃない訳で。黒人に対して「ニガーのくせに」なんて思わないですよね。 あるとしたら外国人一般に対する「あっちの人たち」的な意識くらいでしょうか。 なので、日本人にとって「黒い人」というと、なんというか、 (その裏に「未開」への偏見を含んでいるものの、基調としては のんびりとした) 「南方へのあこがれ」(p.130)が強いもので、何というか、ゴーギャンにとってのタヒチ と同じような感じでしょうから。そうなると、黒人のステレオタイプは、 少なくとも日本では、差別問題? はあ?? ‥という感じではないかと。 正直、私なんかはそう思いますけどね。いや、無論、これは日本国内での日本人についての話であり、 アメリカでは通らない話だとも思いますので、アメリカ在住のアメリカ人が黒人のステレオタイプを ついうっかり見てしまわないように注意する必要はあるとは思いますけど。 ‥ん? これって、ひょっとして「くさいものにはフタ」と同じこと 言ってることになってしまう?? 意外と難しい問題か、やっぱ? でも文化とか表現てやっぱ地域差ありますし、 「国際文化」なんて あり得るのか? という これもまた根本的な問題が‥


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3.怨霊となったオバケ(オバケのQ太郎)

藤子不二雄コンビ解消の原因が、ひょっとして、将来 確実に起こったであろう遺産相続の ゴタゴタを今のうち片付けておきたいと思ったからかもしれない (p.183; ただし長谷邦夫『漫画に愛を叫んだ男たち』の引用)、というのは 興味深かったです。 そこでF単独でもA単独でもない、 共作のカテゴリに入った代表作「オバQ」が宙に浮いてしまった、と。 たぶん藤子・F・不二雄先生が存命だったら話は簡単だったのでしょうけど、 「鶴の一声」を出せる人がいなくなると、いろいろ大変。 ‥この一言に尽きてしまうような感じですね。

2009年に復刊されて良かったです。

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4.ウルトラとガンダムの間に(サンダーマスク)

 シンナーマンが登場する「19:サンダーマスク発狂」、 ゲンシロンが登場する「21:死の灰でくたばれ!」(^o^;、 最終回の「26:さらば勇者輝く星よ」‥などの回がよく取り上げられ、 B級カルトな、苦笑まじりでしか語れない特撮番組、との位置付けとなっている本作は、 どうやら権利関係が問題らしい。負債をかかえて倒産してしまった会社の作品の扱い。

 個人的に「へー」と思ったのが 「70年代の特撮会社が倒産したときなどに権利を譲渡する契約書には、たぶん地上波の 権利しか明記されてないはずなんです。当時は衛星放送が登場することなんか想像できませんからね。 衛星放送を独断でしてしまった場合に、誰か『自分が権利を持っている』という人が出てきた場合、 裁判で莫大な損害賠償を支払わされる可能性がある」(p.228)こと。 実際、電人ザボーガーの衛星放送をめぐった裁判(〜2003)では、全権を譲渡されたはずの 東北新社が敗訴していて、つまり「地上波放映権」しか明記されていない契約書では 衛星放送やCSで放送する権利は持ってない、ということ。‥‥面倒くせー。

 本作に関しては、本来権利をもつ「ひろみプロ」から「東洋エージェンシー」が全権利を 持っていった(p.232; 本書では なぜ全権利をムリムリ強奪されたのかについては触れず、 ただ単に「否も応もなくフィルムを持っていってしまった」という ひろみプロ元社長の 言葉しか述べられていません。これは東洋エージェンシー側から取材できなかったため、 理由を書こうにも書けなかったということなんですけど。 たぶん多額の負債のカタとして差し押さえられてしまったのではないかと‥) ことが書かれています。つまり、東洋エージェンシー(現:創通)が 本作をメディア化したいと 思えば、たぶん、交渉できる余地はあるんですよね。なにせ ひろみプロ の元社長は たぶん所在が明らかなんですから。でもたぶん、そこに連絡してわざわざ交渉してまで メディア化するほどのもんじゃないだろう、 それよりはガンダム絡みで何かした方がずっといいじゃん‥‥と、やっぱり考えますよね普通!


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つぶやき

 本書の半分を占める藤子不二雄作品、「ジャングル黒べえ」と「オバQ」。 これは『藤子・F・不二雄大全集』が2009年に刊行開始された際に 堂々刊行されましたので、良かったですね(^o^)


関連(?)情報

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