某マンガで「高句麗 安岳3号墳 手搏図」なるものが派手に紹介されているらしいのですが、 検索しても関連情報が 一発でスッと見つからないこともあるのでちょっとメモっておきます。
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Wikipedia の 「高句麗古墳群」の項目 を見ると、安岳3号墳は北朝鮮にあり、
平壌から南に約50km程度の場所のようです。
「高句麗古墳群」として世界遺産の一部となっているようですから、後代の捏造とか、
そういった類のことはなさそうです(^_^;
4世紀後半頃? といった感じなので、かなり古いですね。聖徳太子より200年ほど前。
[ 安岳3号墳: 高句麗で最初に出現した壁画古墳 ] というページに、 安岳3号墳の写真などとともに、紹介文が書かれています。1949年(日本の昭和24年)、 朝鮮戦争(1950--1953)の直前の時期に発見されたもののようです。へー。
[Table of Contents]Youtube に安岳3号墳を紹介する動画がありました。(現在は削除されてます。かわりに同様の動画を上にあげておきました) CGですけど‥。この 5:45のあたりで手搏図が紹介されています。 ナレーションを聞くと、こんな
それと、たまたま見つけましたけど。 九州国立博物館で「高句麗 壁画古墳写真展」というのを 2013(平成25)年6月4日〜2014(平成26)年2月2日 の期間 開催していて、 そこで「手搏図」も写真展示されていたみたいですね。へー。 (「手搏図」の本物の写真はこのサイトで見れます。また ここに関連動画も)
ちなみにこの「手搏図」については、「万能壁画」で検索するといろいろ出てきます。 すでに以前から 知る人ぞ知る、有名なネタ提供壁画だったようですね。 うわー。
[Table of Contents]ネットを見ると、この万能壁画たる「手搏図」以外にも、類似のものがあるみたいで‥
またこのページには「海東韻記」「帝王韻記」という本の記述も紹介してますけど。 どちらも わざわざ本借りてまで見たい内容でもないよな‥という感じで、 現状ではお手上げです。
[Table of Contents]ある韓国系のサイト(東北亜歴史ネット)によれば‥
別資料を見てみても‥
これらの典拠となっているのは 『高麗史』『高麗史節要』(15世紀)における 1170(毅宗24)年8月の記述で「命武臣爲五兵手搏戱」(高麗史128卷-列傳41-叛逆2-鄭仲夫-002) [Wikisource] [NDL]) あたりのようです。 15世紀に書かれた本に「12世紀頃、王は手搏戯を命じた」と書かれてるだけのようですから、 個人的には、「手搏」が10世紀というのはちょっと怪しい、12世紀なら(文献にも書かれてるし)あるかも、 しかし15世紀に「手搏」があったのは間違いなさそう‥と、そんな感じですけど。 でも資料がないからこれ以上何とも。 (実のところ、現存する朝鮮最古の歴史書『三国史記』が成立したのが12世紀ですから、それより前のことは わかないことばかりなのです。なので以下10世紀以前について「『手搏』が文献に出てこない」の ではなく、もっと正確には「文献がないから調べられない」のです。為念。 それと。ここで言われる「手搏戯」の内容についても、記述が少なすぎてよくわかりません‥)
[Table of Contents]話を安岳3号墳に戻します。この古墳は4世紀後半のものとされています。つまり 「手搏図」も4世紀後半に描かれたと考えるのが普通だと思われます。
しかし上で書いたように、文献資料でみるかぎり、10世紀より前に 「手搏」が存在した痕跡がないのです。その時間差は、なんと600年! 日本でいえば だいたい応仁の乱(1467-1477)の頃と現代の我々くらいの時間差!! すんげー昔!!! それだけ時間差があれば、普通に考えれば、安岳3号墳にあるあの絵は 文献に出てくる11世紀頃の「手搏」と同じとはいえないでしょう。 しかも
そのへん、韓国の人たちはどう考えてるんでしょう?
[Table of Contents]この絵を「手搏図だ!」と解釈する人たちが注目するのは、その起源です。 すでに上でも紹介してますが‥
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まとめると。4世紀の壁画と、10世紀以降ようやく言及されてくる「手搏」を結びつけるには、 その間にある600年という時間のギャップをどうやって埋めるか、というのが 問題になります。しかし、そのギャップを埋め得る情報は現在はないため、 つまり、例の「万能壁画」‥じゃなくて、 「手搏図」と勝手に呼ばれているもの、そこで描かれているものは 果たして何なのか、本当に「手搏」なのか。‥これらについては 「全然わからない。そもそも、何も手がかりがない」というのが正直なところで、それゆえ 多くの人たちがこの絵を使って勝手なことを言ってる。そういうことですね。
いや、ひょっとして。その後の中国の歴史書にも「手搏」が登場していて、そこに 「手搏」のヒントが何か書かれてたりするんじゃないか?? ‥なんて可能性もありそうですけど。 それはちょっと放置してます。
[Table of Contents]‥んで、ここまで書いたうえで 上で紹介した「ある韓国系のサイト(東北亜歴史ネット)」の文を読み返すと
しかし、その同じ人たちが作った動画ではこんなナレーションが付いてます:
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簡単にサッとしか調べてませんけど。
私が見たところでは、『漢書』芸文志(AD78年)によれば当時、「射法」「剣道」などと並んで 「手搏」に関する書物があったらしいことはわかりました[Wikisource]。しかし「芸文志」の当該項目は 当時存在した書物のタイトルだけを列挙した いわゆる「目録」ですので、 そういうタイトルの書物があったらしいことはわかるんですけど、 残念ながら 書物の中身は不明です(そんなタイトルの書物は現存していないため)。
同じ『漢書』の刑法志[Wikisource]にこんな文が:
たぶんこの文が「(手搏は)春秋時代にまで遡る」の論拠になるんでしょうか。 「手搏戯」とは書いてないんですけど、 「戲樂」と書かれてるやつが「手搏戯」と解釈されているんでしょう(「手搏は角抵戯のこと、角力の類」(小林武夫訳(1998)『漢書3 志(下)』(ちくま学芸文庫), p.608; 注362)との解説も)。