あの「手搏図」(俗称「万能壁画」)が ある現・北朝鮮の「高句麗 安岳3号墳」。 この古墳の壁画の中に、牛車が描かれてるようです。 Youtubeで見かけた右の動画、その7:39あたりに牛車が紹介されてます。こんな感じ:
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そこで別のソースを探したところ、ありました! 2013年6月、九州国立博物館で開催された 「世界遺産 高句麗壁画古墳写真展」のニュース映像の中に、 あの「手搏図」とともに じっくり紹介されているのを見つけました (0:46のあたりから)。
何を描いたのかサッパリわからない「手搏図」とは比べ物になりませんよね。 これは誰がどう見ても、明らかに牛車です。車輪、ハッキリと描かれてるのは 片方だけですけど、これは誰が見ても車輪二つあるだろう普通‥と思える絵ですよね。
つまり。この古墳が作成されたと推定される4世紀後半頃、朝鮮半島のうち 平壌など高句麗の支配下にあった地域では、牛車は知られていたのはほぼ確実、 たぶん実際に使ってる人もいたはずです。
さらに中村金城 画(1910;明43)『朝鮮風俗画譜』富里昇進堂. を見たら、そこに「荷車」の風俗画がありましたので、 紹介しておきます。1910年、20世紀に入ってますからまあ当然といえば当然とは思いますけど。 その時期の朝鮮には二輪の荷車はあったみたいです。
[Table of Contents]ところで以前からネット上で出回ってる、たぶんそれなりに有名な 【朝鮮半島の水車の歴史】というネタがあって、いちおう念のため以下に紹介しておきます:
朝鮮半島の水車の歴史あれー?? 4世紀に牛車に乗ってたのはほぼ間違いないはずなのに、 それから1000年たっても水車作れてないの?? ‥と驚いてしまう訳です。
※829 天長6年5月27日 日本、支那に倣って水車をつくろうとする
1362 恭愍王11年 白文宝の上奏「江南の人民が農事に水旱の心配をしないのは水車の働きによる。(以下略)」→ 黙殺
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告。
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 中国も日本も水車の利を得ているが我が国(朝鮮)にはそれがない。
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述がちらほら。
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる。
1451 文宗元年11月18日 どうやら水車の導入に失敗。
1488 成宗19年6月24年 水車導入の試みがあります(そして音沙汰無し・・・。)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試みが書かれています(そして音沙汰無し・・・。)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試みが書かれています。琉球(沖縄)と中国で教わった福建式の水車の様です。
ここから60年間水車の記述が有りません。消滅したようです。
1607 第一次朝鮮通信使の記録『海槎録』に日本の水車の記録あり、後の通信使の記録にもたびたび出てくる
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み
1655 孝宗6年8月3日 水車の制を広めようとするも、民衆が反対して進まず
そして20年あまり記述無し。
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。 (‥以下略。 [ 水車のコピペ・改訂版 ] )
[memo] ちなみに。『日東壮遊歌』(1763〜1764)でも日本の水車の話が出ていて、 1764/1/27 に淀城で水車をみて「まこと驚嘆の極みである」(高島訳1999, p.249)、 復路も3/14に箱根近辺で水車をみて「馬を下りて子細に見る」(高島訳1999, p.311)と 書き残されてます。箱根ではかなり詳細に仕組みを観察してます。 よほど興味深かったんだろうなと思います。
そこで。水車のテンプレで挙げられてるもののうち、最初のへんの項目:
1342 恭愍王11年 白文宝の上奏「江南の人民が農事に水旱の心配をしないのは水車の働きによる。(以下略)」→ 黙殺このへんについて、簡単に状況を確認しておきたいと思います。確認においては、 ネット上でたまたま見つけた [ ハムスターの日本史研究所 ] というブログが非常に参考になりましたし、以下でもかなり参照してますので、 その旨をあらかじめここに書いておきます。 [Table of Contents]
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告。
テンプレの最初をかざる1362(恭愍王11)年(1342年というのは間違いらしい)の用例。 これは「高麗史」に出てるみたいですので、探したところ、ありました。 URL で書くと、 [ ここ ] 。 ページ番号で書くと、 鄭麟趾 奉敕修(1908-1909)『高麗史 第2』国書刊行会, pp.606b-607a. です。
中身は‥。何だかよくわからないですけど、こんな感じでしょうか (この解釈、まったく自信なし):
なので、ここではたぶん「水車という便利なものを民衆は知らない。 だから造るよう命じてください!」という感じになってるんだと思います。 水車を造るのに必要な技術がすでにあるのか、ないのか、という点については、 まったくヒントがありません。わかりません。
そしてこの上奏の結果、どうなったか。例のテンプレには「黙殺」と書いてますけど(笑)、 上奏したという以外のことは何も書かれていませんので、実際、この上奏は王に無視されたのか、 いちおう王命は出たけど効果なかったのか、そのへんのところは全く不明のままです。 だから「黙殺」の主語が「高麗王」じゃなくて「高麗史編纂者」であるというのなら、 このテンプレの「黙殺」は正しい、とは言えそうです。というかたぶん『高麗史』の編纂者も、 この上奏の結果については資料がなくてわからない、だから何も書くことがない、 そういう感じなんでしょうね‥。
[Table of Contents]そして1429(世宗11)年に「日本の水車が凄いと報告」があった件。 これは「朝鮮王朝実録」にあるみたいで。 [ 朝鮮が水車を作れなかった理由(3) ] を手掛りにしていくと [ 韓国古典総合DB ] というサイト、ここから 「朝鮮王朝実録」を探ってみたところ、あったあった。世宗11年12月3日の項です(右図)。 すげー。
中身はこんな感じでしょうか:
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過去にあった人力の水車が、上で紹介した「江南の水車」なんでしょうかね。 中国で水車というと、昔「NHKシルクロード」で紹介されていた、 蘭州のあたりで使われていた「左公車」(こういうの)が頭に浮かんでしまいますので、 きっとその水車は自動回転かと早合点していたんですけど。 でも「日本式は、なんと、自動だぜ!」と言ってるのを見ると、江南式は 手動(足動?)だったんでしょうか。まあ、言われてみると確かに長江下流域とか、 かなり流れは緩やかでしょうから、自動回転の水車はキツいかもしれませんね。
でもこの言葉を素直に信じると「人力の水車なら、あったよ」と言ってる訳ですから、 当時の彼らも、人力の水車でよければ作ることは可能だった、と言えそうですよね。 もちろん不安要素もあって、「昔年所造之車」と、わざわざ「昔年」という言葉を 入れていることです。「昔の話」というのは普通 それなりの過去の話、 古老とか古文献からしか得られない情報をイメージするでしょうから、 昔、人力の水車を彼らが本当に作っていたのか? となると、かなりあやしい感じに なってきそうですね。んー。
ちなみに [ 朝鮮が水車を作れなかった理由(3) ] のブログによれば、 ここで試みた自動回転式水車の実用化が失敗した理由について、記録によれば
「滲漏」「本國土性浮踈, 不能載水」こんな感じに書かれているようです。土の問題で、せっかく水を汲んでも すぐ 漏れてどこかに行ってしまう。溜まらない。だから水車作っても効果がない、と‥。
ただこれは本当のことなのか、水車建造失敗→処罰 を避けるために 嘘ついた可能性はないのか?? というか、そもそも「面倒くさいから、テキトーにごまかして何もしない」戦略では?? とかいうことがちょっと気になりますけど (とくにまあ、嘘が多い国民性らしいという話は よく耳にしますからね‥)、 そこは何とも言えないところですね‥。
[Table of Contents]