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よいこのための ねはん ものがたり

「ねはん ものがたり」の元ネタとなった文献を発掘しましたので、 こちら: [ねはんものがたり[資料編] Experimental] に 出してみました。興味がおありの方はどうぞ。和訳は適切なものがなかったので、とりあえず この「ねはん ものがたり」で代用してます。


[前] 大般涅槃4種(3e)供物に肉があるとき

大般涅槃4種(4a)戒律とは何か

カーシャパ。どういうのが 『(4) 因果関係の意味について熟達していること』かというと、こういった (59a5)感じになる。 4種類の弟子たち、つまりビク・ビクニー・ウパーサカ・ウパーシカーらが 私の近くに集まってきてこう言ったとする。

世尊すなわち如来たるあなた様は、これらの意義について、はじめて ハッキリとお悟りになられました。ですが、プラセーナジット王には、 この法の中のすっげー深い部分をお説きになっておられません。 何故にお説きにならぬのですか。 場合によっては、すっげー深いことさえもお説きになられ、 場合によっては、深くないことをお説きになられ、 (59a6)場合によっては、破るということを扱いになられ、 場合によっては、破らないことを扱いになられますよね。 ですから、この機会に 《堕落》をどう扱うのか、《戒律》とは何か、《プラティモークシャ》を どう扱うのかについてお説きください。
世尊である私は、こう仰せになってやった。
《プラティモークシャ》というのは、十分ということを知り、威儀を持ち、 何も所有しないこと[を示すもの?]であり、生活が正しく清浄なもの [のガイドラインとなるもの]である。それに対し、《堕落》とは 《四趣》に堕ちていくことである。さらに《堕落》について言うと、 これは地獄とアビ地獄のあいだに堕ちていくものであるが、 それが速いか遅いかについては、雨の強さについてのように、(59b1) 考えるほどのこともないことである。(??) まあ、それについて 耳にした者は、それだけでビビって恐怖し、戒律に従い、威儀を固持する ようになり、また知識の蓄積に励むようになる。そして《不浄》な 事物すべてを受け付けなくなるのだ。恐いねえ。 そのうえ《堕落》というものについては、地獄(59b2)・畜生・餓鬼と いった者どもの世界に生まれることを意味している。まあ、そういった 意味が知られているゆえ《堕落》というわけだね。

あ、そうそう。《プラティモークシャ》だけど、これは身体・言葉・精神 に不徳があると《悪いカルマ》ができてしまう訳だけど、こういったものを 正しく捨て去るためのものなんだ。いいかい。そして 《戒律》というのは、 戒律と経典の(59b3)すっげー深い意義に入った場合に、 《不浄》な事物の全部とか、《不浄》の原因になるもの・結果になったものを 受け付けさせないものなのだ。さらに4つの基本的な罪悪とか、 13個の《僧残の罪悪:-)》・2つの《不定の法:-)》・30個の《捨堕の法:-)》・ (59b4)91個の《堕》・4つの《悔過の法》・《衆多学法》・7つの《滅諍法》などを 破ることを許さないものだったりする。(すみません。タームは手抜きです)

(59a3,note.p.37/76)

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