しゃんからさま の おしえ
インド哲学のなかで中心的な 3 つの学派としてアドヴァイタ、
ヴィシシタードヴァイタ、ドヴァイタがあげられます。
これらの学派はそれぞれ、シャンカラ様、ラーマーヌジャ様、そして
マドゥヴァ様が最も中心的な論者とされています。ここで、ちょっと、
アドヴァイタの基本的な内容について勉強してみましょう。
- 本当の先生というのは、ヴェーダの中で述べられていて、罪のない、
欲望を持たない、ブラフマンを知るものである。
- このような先生を熱心に尊敬し、休むことなくお尽くしすることにより、
弟子は自分自身を理解することができる。
- 子供のころは遊んでばかり、若い頃は恋人との愛情に溺れてばかり、
年をとってからは若い頃を思いだしてばかり。ああ!
誰も本来の「高次の」自分自身を懐かしがることをしない。
- 財産を増やしたいという欲を持つことはやめろ。よき考えを養え。
正しい物事に専念せよ。自分が獲得したものに満足せよ。
- 自分の財産や友人、若さを自慢すべきできない。まばたきするほどの
時間がたてば、それらはすべて失せてしまう。この世界に執着してはならぬ。
それは幻影なのだから。すぐに、ブラフマンを理解し、その中に没入するよう
試みるべきである。
- 心が鏡のように純粋になったとき、知識がそこに映しだされる。
だから心を純粋にするよう努力すべきである。
- 「完全なさとり」を体得したヨーガ行者は、知識の眼によって、
世界全体が自分自身に他ならないことを見て、一切のものが自分自身であると
理解する。
- 欲望をおさえた結果、知識が獲得される。この知識は、
感覚的なよろこびを無意味にさせるものである。
これは自分自身についての至福の体験へと誘い、これにより、人は
平穏へと達するのである。正しい知識を獲得することにより、
その人はブラフマンに他ならないことを知り、
その人は生死という束縛から完全に解放されることになる。
- 「アートマン」こそが絶対的な存在であり、
不断の修業なしに、知識と至福に到達することはできない。よって
知識を追究するものは、求めるゴールに到達するため、
自分自身あるいはブラフマンあるいはアートマンについて、
暝想しなければならない。
- 心、感覚器官などは、アートマンによって照しだされているだけなのだ。
あたかもジャーやポットがランプに照されるように。しかし
それらの対象はそれ自身を照すことはできない。
聖シャンカラ様はこう仰せになっています。
「私は、韻律詩の半分だけで、数えきれない聖典の中で説かれている内容に
ついての説明をしてしまおう。それは次の言葉である。
『梵だけが 真実在で 他は偽 個我こそ梵で 他で無きに候』」
「よいこのための シャンカラさま ものがたり」おわり