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『大野の撫斬』

元禄九年、出羽国河辺郡二井田村支村大野邑にて起こりし惨劇につき。


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事件のあらすじ(2)

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原文

とに角件の武士は夜になってほうぼうのていで帰宅し、ことの顛末を 同僚たちに訴えた。それは自分の身に余程有利な訴へをしたものらしく
「土民の分際で武士を侮辱するとは言語道断、このまま捨て置くは武士の 権威にかかるものである。よって以後の懲しめのため重科に処せよ」
などといふ同情を得たので同志を語らひ、積極的な報復を企てたのであった。 だが内内人を遣はし四ヶ月にわたり下手人を探索したが村人たちは 挙って口を閉ぢて語らなかった。そこで下手人の挙がらぬのを歯痒く思って ゐた武士を始め復讐組は、この上は村の主人全部を斬罪に処するの外なし として私刑を企て、部落の西部を流れる古川辺の低所に急造の藁小屋を建てた。 だが故無きことに百姓だちの来らざるを慮り、専断にも取調べの筋があると 称しその旨部落の家々に伝えさせ、其の家の主人を呼び出した。

これが今生の別離になるとも露知らず、素朴な顔に一抹の不安を 漂はした村人だちが、三三五五秋陽の高い赤とんぼの群飛ぶ中を 小屋の前まで来ると、一人の武士がつかつかと進み出て
「只今から公儀により詮議致す故、主人一人づつ速かに小屋内に 入り取調べに応ぜよ」
といひつつ前方の菰をまくし上げ、一人づつ小屋内に入れた。

[p.5] 一方小屋の中には穴が掘られてあり、穴の傍には拔刀の武士数人かたまり、 百姓だちが一人づつ小屋内に入るや無言のまま槍で突き刺し、倒れやう とする所を後方の刀がばっさり首をはね、其穴の中に落すといふ 仕掛になってゐた。

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概要

しかし黒沢は死んでいなかった。夜中になって、なんとか帰宅した黒沢は、 ことの顛末を同僚たちに言いつけた。何を言ったかは定かではないが、 「土民の分際で武士を侮辱するとは。ぜったい許すな」となり、 協力者を得て復讐することとした。しかし黒沢を襲った、復讐すべき対象が誰なのか、 よくわからない。4カ月かかっても相手の正体がわからないことに しびれを切らした 黒沢らは「村にいる男衆を全員殺すしかない」と覚悟を決め、 事件の発端となった古川近くの低所に藁小屋を急ぎ建てた。そして 「取り調べがあるから出頭しろ」といって、村の男衆を呼び出した。 黒沢らは、集まった村人を一人ずつ藁小屋に入れた。 藁小屋の中には 穴が掘ってあり、穴の脇には刀槍をもった武士たちが立っていた。 村人が一人ずつ入るたびに 武士が槍でつき刺し、首をはね、村人が穴の中に落ちる、 そういう仕組になっていたのだ。

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