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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


[前] 餓鬼とは(1)六道の一つ

餓鬼とは(2)化物的な存在

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餓鬼とは、悲惨なバケモノ

そんな感じで餓鬼とは「六道」、つまり 「人(を含む生物)が生まれ変わる(いわゆる輪廻転生する)可能性のある6つ(5つ)の状態」の 一つである訳なんですけど。この「状態」というのが正直 何なのか よく理解しかねる感じではあるんですけど。 「生き方」とかいう感じなんですかね。 いわゆる一種の化物というか怪物というか、そういう感じの 人間というか生物的な存在として描かれることが多いですよね。餓鬼って。

 ということで。日本における一般的な「餓鬼」のイメージといえば、 『救拔焔口餓鬼陀羅尼經』『佛説盂蘭盆經』、あるいは 『餓鬼草紙』で描かれるような感じ、すなわち

「醜く、痩せこけ、口中は燃え、喉は針のよう、髪はバサバサで」 「食べることも飲むこともできなくて、骨と皮だけ」
そんな感じの怪物に決まり! という感じだと思います。

 でも実は、日本に「六道」を広めた、つまり「餓鬼」概念を広めた 契機となった『往生要集』によると、そんな感じでは描写されてないんですよね。

 その相、甚だ多し。いま少分を明さば、或は鬼あり。鑊身と 名づく。その身の長大にして、人に過ぐること両倍、面・目あ ることなく、手足は猶し鑊の脚の如し。熱き火中に満ちて、そ の身を焚焼す。昔、財を貪り、屠り殺せし者、この報を受く。 (源信(石田端麿訳注)(1992)『往生要集(上)』岩波文庫. pp.48) [SAT]
[大雑把訳] (餓鬼)の種類はムチャクチャ多い。その一部を紹介すると、 鑊身と呼ばれる鬼あり。身体はデカくて人の倍ほど、 顔も目もなく、手足は釜の脚のようだ。身体の中に火があって、 身体を燃やしている。過去に財物を貪り、屠殺した者が受ける 報いである。

 --- 日本における一般的な「餓鬼」イメージと 比べると「身体の中の火」は一致しますけど、 それ以外はなんか いまいちピンと来ないですよね。 いや、「手足は釜の脚のよう」というのは「手足が異様に細い」と 結びついては いるのか‥。

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日本の「餓鬼」イメージの源泉は

ということで。日本における「餓鬼」の一般的なイメージって、たぶん 『救拔焔口餓鬼陀羅尼經』『佛説盂蘭盆經』の影響が ものすごく大きいんだろうなー、という気がしています。逆に言うと、 このイメージを仏教の発祥の地であるインドまで遡っていくのは ちょっと‥いや、かなり難しいだろうなー、という気がします。




 ちなみに日本における「鬼」== バケモノ的なイメージである、という点については、 かの本居宣長公も『古事記伝』の「預母都志許賣(ヨモツシコメ)」の解釈のところで以下:

私記に、或説 黄泉之鬼也と云り。[ 但し、鬼とは、儒佛の書にとく鬼の意には非ず。ただ尋常の人の類ならで、おそろしき 物を、世に鬼といふ是なり。] 書紀欽明巻に、魃鬼とあるも其意なり。 (本居宣長『古事記傳』, 六之巻. 日本名著刊行会(1930), p.286; [国会図書館])
[大雑把訳] 私記(『日本書紀私記(弘仁私記)』のこと?)に、(ヨモツシコメのことを) ヨミの鬼と説くものもいる、と。[ ただし鬼とは、儒教仏教の書でいう鬼とは違う。 フツーの人と違う、恐ろしいモノをよく鬼と言うが、そのことだ。] 日本書紀の欽明巻にある「魃鬼」も同様。

‥このように書いておられます。つまり日本ではよく 鬼==バケモノ(怪物) という 意味で使われてきた、ということですよね。このこと、 どこに書けばいいのかわからなかったので、とりあえずここで紹介しておきます。

[次] インドでは餓鬼=亡者(死者)