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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


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 (すみません。まだ、まとまってません。書きかけです)

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和歌と餓鬼

奈良時代『万葉集』にこんな和歌があるみたいです(宮1999, p.77):

相念はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくが如し (巻4 笠女郎)
寺々の女餓鬼申さく 大神の男餓鬼給はりて其子播まはむ (巻16 池田朝臣)
このことから、宮1999は「当時、大寺すなわち大安寺やその他の大寺院には 餓鬼の像があったことが知られる。しかし、この和歌にも感じられるように、 厭わしい、恐ろしげな存在というより、コミックな感じをもって、人々は みていたように思われる」(澁澤龍彦・宮次男(1999)『図説・地獄絵をよむ』河出書房 ふくろうの本(初出は1973), p.77)。

 地獄絵と餓鬼の関係でいえば、斎藤茂吉(1913)『赤光』の「地獄極楽図」 連作11首の2番目:

飯の中ゆとろとろと上る炎見てほそき炎口のおどろくところ
どうやらこれは「地獄極楽図」山形県上山市宝泉寺蔵 の中にある 炎口餓鬼の絵を詠んだ歌と考えられるそうです。 「茂吉は、原画の餓鬼のようすを、そういうことをした者の当然の報いと見ていると 考えてよいだろう。生前の行為が地獄で罰せられるという因果を見つめている」 (錦2003,p.245) とありますが。炎口といえば、あきらかに餓鬼のことですよね。 餓鬼なんですけど、まあ、地獄絵に描かれるうち、だんだん 餓鬼も地獄の一部という感じになって混同されていっても仕方ない流れでは ありますよね‥

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円潭(1850)『念仏吉蔵蘇生物語絵巻』

円潭(1850)『念仏吉蔵蘇生物語絵巻』山形県鶴岡市常念寺蔵 に、以下のような 記述があります(錦2003による梗概):

亡くなったとき、「気を失ったと思ったときから、暗い道を歩んでいった。」 ‥やがて少し明るくなったと思うと、地蔵尊が二体おられ、 その先に奪衣婆らしいのがいた。その先、宮殿作りの大きな門がある。 そこに「進んで行くと、餓鬼どもがたくさん集まって、吉蔵に向かい団子を 頻りにねだる。私には一粒の貯えもなかったので、「どう応えようか」とほとんど 迷惑しているところに、冥官(倶生神が描かれている)らしい者があらわれ出て、 「これは頓死した者だから、団子の貯えはあるわけがない。ねだってはならぬ」と お叱りになったところ、(餓鬼どもは)ようやく道を開けて(吉蔵を)通した。」 (錦仁(2003)『東北の地獄絵--死と再生』pp.213--215.; カッコ内が引用.対応箇所は p.206;p.224に図)
これによると、餓鬼どもは奪衣婆とそんなに離れていない場所にいて、 亡者どもにお供えの団子をねだる、そんな感じになってますね。 でも団子をもらったとしても、やはり「餓鬼がものを食おうとすると、 容器から炎が吹き出すのだという」(錦2003,p.215)‥意味ない。せつねー。

 ところで。「地獄と餓鬼の混同」という点から見てみますと、どうでしょう。 これまだ地獄に行ってないですよね。地獄(かどうかはまだ不明ですが)へと向かう途中、 閻魔大王の宮殿の周囲にタムロしてる感じですから。‥んー。なんか 「いかにも冥界らしさ」を演出するための小道具として使われてる感じ、かな?

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『妙応寺縁起』の妙応はケチ?

 江戸時代、禅宗の布教者として有名だった大徹禅師。この禅師にまつわる伝説のうち、 岐阜県関ヶ原妙応寺縁起となっている『妙応寺縁起』(1692)。ある夜、 怪物が出ると噂のお堂に泊まった大徹が見た光景です(以下、引用は錦2003による要約):

真夜中近く二人の鬼があらわれた。鬼が炭火に息を吐くと、ものすごい勢いで炎が 燃えあがる。鬼たちが「妙応、妙応」とよぶ。一人の老婆が出てきた。泣き声はいたく 悲しげで、姿は痩せこけている。鬼たちは鉄串に老婆を突き刺し炭火で炙り、 肉を引き裂いて食った。(錦2003, p.69)
この妙応というのは実は土地の領主長江の母で‥と話は続くのですが、それはさておき。 この記述自体は、どう考えても餓鬼というより地獄にふさわしいもののように見えます。

 ここでひとつ問題というか謎があって、それは母の妙応はなぜこのような地獄苦を 毎晩受けているのか、という説明がないことです。 たぶん、そのことにフラストレーションを感じる人が多かったから‥かどうかは 不明ですけど。後代になってから、その理由が説明されるようになったようです。曰:

妙応は年貢をとるとき基準より中身の大きい枡を用い、人々にものを与えるとき 小さい枡を用いた。それによって地獄に落ちたという話が生まれた。 右の話では、妙応がなぜ地獄に落ちたのかわからない。その原因を説くエピソードである。 (錦2003, p.70)
‥‥妙応の所業として挙げられたもの。これってズバリ「ケチ」じゃないですか? 「ケチ」はたしか「餓鬼」のカテゴリのはずでしたけど‥と考えてみると、 これはたぶん地獄と餓鬼の混同のひとつの例になるんじゃないかと思いますが如何に [*註]

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