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(すみません。まだ、まとまってません。書きかけです)
[Table of Contents]奈良時代『万葉集』にこんな和歌があるみたいです(宮1999, p.77):
地獄絵と餓鬼の関係でいえば、斎藤茂吉(1913)『赤光』の「地獄極楽図」 連作11首の2番目:
円潭(1850)『念仏吉蔵蘇生物語絵巻』山形県鶴岡市常念寺蔵 に、以下のような 記述があります(錦2003による梗概):
亡くなったとき、「気を失ったと思ったときから、暗い道を歩んでいった。」 ‥やがて少し明るくなったと思うと、地蔵尊が二体おられ、 その先に奪衣婆らしいのがいた。その先、宮殿作りの大きな門がある。 そこに「進んで行くと、餓鬼どもがたくさん集まって、吉蔵に向かい団子を 頻りにねだる。私には一粒の貯えもなかったので、「どう応えようか」とほとんど 迷惑しているところに、冥官(倶生神が描かれている)らしい者があらわれ出て、 「これは頓死した者だから、団子の貯えはあるわけがない。ねだってはならぬ」と お叱りになったところ、(餓鬼どもは)ようやく道を開けて(吉蔵を)通した。」 (錦仁(2003)『東北の地獄絵--死と再生』pp.213--215.; カッコ内が引用.対応箇所は p.206;p.224に図)これによると、餓鬼どもは奪衣婆とそんなに離れていない場所にいて、 亡者どもにお供えの団子をねだる、そんな感じになってますね。 でも団子をもらったとしても、やはり「餓鬼がものを食おうとすると、 容器から炎が吹き出すのだという」(錦2003,p.215)‥意味ない。せつねー。
ところで。「地獄と餓鬼の混同」という点から見てみますと、どうでしょう。 これまだ地獄に行ってないですよね。地獄(かどうかはまだ不明ですが)へと向かう途中、 閻魔大王の宮殿の周囲にタムロしてる感じですから。‥んー。なんか 「いかにも冥界らしさ」を演出するための小道具として使われてる感じ、かな?
[Table of Contents]江戸時代、禅宗の布教者として有名だった大徹禅師。この禅師にまつわる伝説のうち、 岐阜県関ヶ原妙応寺縁起となっている『妙応寺縁起』(1692)。ある夜、 怪物が出ると噂のお堂に泊まった大徹が見た光景です(以下、引用は錦2003による要約):
真夜中近く二人の鬼があらわれた。鬼が炭火に息を吐くと、ものすごい勢いで炎が 燃えあがる。鬼たちが「妙応、妙応」とよぶ。一人の老婆が出てきた。泣き声はいたく 悲しげで、姿は痩せこけている。鬼たちは鉄串に老婆を突き刺し炭火で炙り、 肉を引き裂いて食った。(錦2003, p.69)この妙応というのは実は土地の領主長江の母で‥と話は続くのですが、それはさておき。 この記述自体は、どう考えても餓鬼というより地獄にふさわしいもののように見えます。
ここでひとつ問題というか謎があって、それは母の妙応はなぜこのような地獄苦を 毎晩受けているのか、という説明がないことです。 たぶん、そのことにフラストレーションを感じる人が多かったから‥かどうかは 不明ですけど。後代になってから、その理由が説明されるようになったようです。曰:
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