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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


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敵意むきだしの悪鬼(聊齋志異1-40画皮)

中国の清代の蒲松齢『聊齋志異』。この中に、いくつか「鬼」が登場しています。 ただ残念なことに原文をチェックしていませんので、それらが本当に「鬼」なのか、 あるいは翻訳者が別の語に「鬼」という語をあてたのかがよくわからないという 致命的な問題はありますが‥。

 「画皮(1-40)」に、 王という名の男に取り憑く「鬼」が出てきます。若い女の姿をしていますけど、 実は 若い女の皮をかぶっている鬼です。具体的にはこんな感じ:

そっと窓に近づいて覗いて見ると、なんと、青緑色の顔に鋸のように尖った歯という 一匹の恐ろしげな鬼が、寝台の上に人の皮をひろげ、絵筆をとって色を塗っているところ だった。塗り終わると皮を取り上げ、さっとひと振りして身体に羽織ったかと思うと、 みるまに女に変わっていた。‥(略)‥ 寝室の戸を打ち壊して入ってくるなり、王が寝ている寝台に登って王の腹を べりべりと引き裂き、心臓を掴み出して立ち去った。 (立間祥介編訳(2010)『蒲松齢作 聊斎志異』ワイド版岩波文庫321., p.上134--上136)
青緑色の顔に鋸のように尖った歯‥。 唐代の呉道玄が描いた鬼は「ウシとトラ」がベースという話を上で紹介しましたけど、 なんかちょっと違う気もしますね。鋸のように尖った歯‥。

 ちなみに、その後の展開です。

道士が追いすがって木剣で一撃すると、老婆はばたりと倒れた。その瞬間、人の皮が ぱっと剥がれて悪鬼の姿に変じ、地面を転げまわりながら豚のような声で吠えたてた。 道士が木剣でその首を斬り落とすと、もうもうたる煙となって地面に山形に渦を巻いた。 道士が瓢を取り出して栓を抜き、その煙の中におくと、ひゅうひゅうと音立てて吸いこんだ。 あっという間に吸いこんでしまうと、道士は栓をして袋にいれた。 (立間祥介編訳(2010).,p.上137)
道士が首を斬ったら、もうもうたる煙になった‥。「悪霊」的なイメージですかね。 王充(1c)がイメージしたような「人間以外の化け物」的感じもありそうですが、そのへん、 具体的な何かを感じさせる記述は見つけられませんでした。 (この「画皮」に関しては 「蒲松齢『聊斎志異』(17c)に見る道士とその敵対者」 [URL]もどうぞ。)

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愛される幽鬼(聊齋志異2-7聶小倩など)

なお、この『聊斎志異』を見ていくと、「鬼」はあちこちに出てきます。 特に多いように感じるのは「幽鬼」と書かれている女性。

 「聶小倩(2-7)」を見ると、気だてがよくて甲斐甲斐しくて二心ない、そんな まさに 「理想の嫁」な感じで描かれる幽鬼の小倩が登場しています。 しかも小倩は以下:

「子供は天から授かるものでございます。‥(略)‥ 幽鬼の妻などがそれを変えられるものではありません」(立間祥介編訳(2010).,p.上198)
とか言って子供まで産み、しかもその子は出世して‥と続いてます。普通に良妻賢母です。 デメリットがあるとしたら、最初「目を丸くして驚いた」「日が暮れてくると‥恐ろしくなって」 と感じる程度で、しかもそれも時間が経つと「母子は小倩を溺愛」するように変わっていくという‥。 「幽鬼ゆえの禍」的なトピックは、その予感すらも感じられません。

 「巧娘(2-33)」も 狐娘と幽鬼娘が出てきてますけど、これもやはり出会いが ギョッとする感じですけど。それ以降は 何というか、単に設定が「狐」「幽鬼」になってるよ、 でも普通の嫁さんだよね、といった程度にすぎないような気もします。 (それよりも、この話は主人公の男のナニが短小で蚕ほどの大きさしかなく、 おかげで嫁も取れない‥という設定が何なのかというほうが私には気になります。)

 いずれにせよ、最初「幽鬼」と聞くとギョッとするけど、実際に接してみると 人間と変わらないじゃん、そりゃたまに「画皮」のような悪鬼もいるけど、人間だって 極悪人ているじゃん、それと変わんねえよ、まったく普通だよ‥という印象ですよね。

 ただ人間とまったく同じかというと、実は微妙な違いもあって、たとえば 狐女に対しての以下:

「相手は幽鬼なのに、君の家ではどうしてあんなにへいこらしなければならないの」 (立間祥介編訳(2010).,p.上20)
この台詞。 幽鬼と人の違いというのは、たぶん この程度、つまり幽鬼は人様よりも 身分的なものがちょっと劣るもの、そういう感じなんですかね。 喩えて言えば、時代劇の お武家様と町娘の関係みたいな???

 んで結局、幽霊って何なの? ‥という点について、菊地2012はこのように解説しています:

日本人である私たちからすれば、幽霊はあの世の存在である。それが ときどきこの世に顔を出す。中国ではそうではない。そもそもあの世というものを考えてこなかった 民族である。幽霊も人間と同じくこの世の存在である。だから日本の幽霊のように、うすぼんやると はしていない。はっきりしている。足もある。幽霊に感情があるのは当然だが、それだけではない。 生理現象もある。おしっこもする。うんちもする。赤ちゃんも産む。
 もちろん人間とのちがいはある。人間は陽の気によって生命を得ているが、幽霊は陰の気に支配さ れている。それが本質的なちがいである。 (菊地章太(2012)『道教の世界』講談社選書メチエ520, p.103.)
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人間は陽の気、幽霊は陰の気‥。んー。陰と陽がよくわからないので何とも言えないですね。 チンプンカンプンなままです。『牡丹灯籠』だと、人は幽霊にとり殺されてしまうじゃないですか。 そんな感じで両立不可能な存在というのであれば わからないこともないですけど。 『聊斎志異』だと、なんか子どもまで産んで幸せな家庭生活送ってるからなあ‥。

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まとめ

『聊斎志異』を見ていくと、「鬼」には悪鬼、幽鬼の二種類あることがわかります。 この両者、人間との関係において ほとんど正反対といった感じではあるんですけど、 いちおう共通点としては「人間でないこと」。あとは‥あとは‥何ですかね。 本来的な意味であるはずの「人が亡くなったあとの魂」というニュアンスはあるんですかね。 たぶん、ないですね。幽鬼なんて、人間の子どもまで産んでますから、あきらかに 物体としての実在をともなう物理的存在ですから、決して「魂」ではありません。

 1世紀の王充の頃に話が出ていた「なにかしら 形をそなえたもの」(中野1983,p.176)に 近い感じですね。当時の少数派が ついに天下の趨勢となっていた、という感じなんでしょうか。

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