[前] 註 |
『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(T1313)など、施餓鬼関連で
名前を呼ばれる四人の如来の方がた。
多宝如来、妙色身如來、廣博身如來、離怖畏如來。
この方々に帰依することにより、かなりの功徳が期待されているように思われますけど。 実のところ、最初の多宝如来を除く、三人の如来の方がたについては、 本経以外でその名前を見かけることは ほとんどなく、 いったいどこから この方々のお名前が出てきたのか(私には)まったくわかりません。
[Table of Contents]‥わからないんですけど。いろいろ検索かけてみたら、 宥範『大日經疏妙印鈔』(大正2213) [SAT]に こんな記述があるのを見つけました:
[大雑把訳] だから『秘記』では五如来をこの順で言っている: 宝勝如来(南方宝勝仏)、 妙色身如来(東方阿閦仏)、甘露王如来(西方無量寿)、広博身如来(中央毘盧遮那仏)、 離怖畏如来(北方釈迦牟尼仏)、と。ここでは南、東、西、中、北の順である。
文脈としては「東西南北などの各方角をどの順で呼べばいいのか」という 質問があって、それに対する答えとして 「方角の順番は状況ごとにバラバラだよ」と答える場面 [*註]。 その一例として聖典の記述が引用されているんですけど、その引用文の中に 四如来のお名前が列挙されている、と。 如来のお名前を見ると、施餓鬼では「多宝如来」とされている如来の名前が ちょっと違いますね。ここでは宝勝如来となっています。 そしてここに、それぞれの如来様の(有名なほうの)別名らしきものが 割注として書かれてます。 この対応は妥当なのか? 対応の元ネタは一体どこなのか? ‥なんてことが 気になるところです。
[Table of Contents]上で引用した『大日經疏妙印鈔』を書いた宥範という人は、検索してみると 13〜14世紀(1270-1352)の日本の人で、 真言宗、讃岐善通寺の中興の祖、といった感じの人のようです。さらに言うと、 如来の方々のお名前が挙げられている部分は『秘記』なる書物からの 引用と書かれてます。
この『秘記』が何なのかわからなかったんですけど、『秘蔵記』の略称だと 教えていただきました(滋賀県の松本様、ありがとうございます!!)。 そして『秘蔵記』について望月によれば:
そしてこの『秘蔵記』の第40章が「施餓鬼義」 [ 讃岐善通寺 | 国文学研究資料館蔵 | 高野山アーカイブ にも 「金剛三昧院寄託」の写本が2本と「定本」、それぞれ29ページ目、35ページ目、27ページ目。ネットで見れる写本の 多くで34章になっているのは謎 ] で、それが 宥範『大日經疏妙印鈔』に引用された、という感じのようです。
『秘蔵記』の由来について 望月で紹介されていた不空説、恵果説がどこまで確かなのかはわかりません。けど、 少なくとも弘法大師作とされる書物が日本で伝承されてきたということから、 これが平安時代の日本に存在・流布していたのは確かと思われます。
つまり日本の平安期的には、施餓鬼と関連した各如来は‥
こんな感じに考えられていた、ということでしょうか。
多宝如来(?) 南方 宝勝仏 妙色身如來 東方 阿閦佛 (甘露王如來) 西方 無量寿(阿弥陀仏) 廣博身如來 中央 毘盧遮那仏(大日如来) 離怖畏如來 北方 釋迦牟尼仏
‥でもこれ、金剛界曼陀羅の真ん中におられる「五仏」とほとんど同じですね。 「宝勝」が「宝生」と、ちょっと似ているけど違うお名前という点と、 金剛界曼陀羅では「北方 不空成就如来」になっている点が違うくらいです。 でもそれはネタ元が弘法大師作の『秘蔵記』で、それを真言宗で伝えてきたという 歴史を考えると、まあ、当然といえば当然の話ですね。
[Table of Contents]ところで [ 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(T1313) ] の 「多宝如来」に相当している如来が『秘蔵記』などでは「宝勝如来」となっている件について。 伝承にちょっとした乱れがあって、当初は「宝勝如来」であったものが 法華経などで有名な「多宝如来」に名前が寄せられてしまったのでは? サンスクリットの "prabhūtaratna" も「多宝」より「宝勝」と 訳すほうが自然というか近いような気もしますし‥ なんて簡単に考えていたんですけど。
でもそうじゃないかもしれないですね。弘法大師『秘蔵記』は 不空→恵果→弘法大師(空海)という流れの中で記録されたものである一方、 [ 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(T1313) ] は 翻訳者が不空! 両方の如来のお名前の出どころがどちらも同じ 不空(〜774) じゃないですか!! 不空没から弘法大師が恵果に師事して伝承を受け継ぐまで約30年。その間に伝承が変わった? いやいや高僧である恵果がそんな迂闊なミスするはずないよな‥
[Table of Contents]多宝如来は法華経にも登場している、かなり有名な如来です。
『妙法蓮華経』によれば多宝如来は「東方無量千万億」にある、と書かれています。
『正法華経』も東方、しかし
法華経のサンスクリット文は「下方において」(岩波文庫p.中171; 中公文庫p.2-24)
となっています。
たしかに法華経では多宝如来は地中から涌き出てくる訳ですから
「下方」のほうが文脈的には自然だよなー、とは思いますけど、それはともかく。
これら法華経の「東」「下」に対し、施餓鬼系では
多宝如来は「南」となっていて、ちょっと違和感があるのは確かです。
(まあ、方角についていちいち気にしてしても仕方ない気もしますけどね。
[ 「観音さま」も西も南もどっちもアリみたいですし‥ ] )
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