「かんのんさま」と浄土往生
(以下、大幅改稿準備中です。
ここまで書いてきた内容と、文脈が合わなくなってしまいましたので‥)
では、何故「かんのんさま」と極楽浄土、往生が結びついたのか。正直言ってよくわからないんですけど、
たとえば密教系経典のひとつ
「佛説十一面觀世音神呪經」(大正No.1070; [SAT])に、こんな感じの部分があります。
T1070_.20.0149b13: 洗浴其身。若不洗浴當漱口澡手。誦持此呪
T1070_.20.0149b14: 一百八遍。持此呪者現身即得十種果報。何
T1070_.20.0149b15: 等爲十。一者身常無病。二者恒爲十方諸佛
T1070_.20.0149b16: 憶念。三者一切財物衣服飮食。自然充足恒
T1070_.20.0149b17: 無乏少。四者能破一切怨敵。五者能使一切
T1070_.20.0149b18: 衆生皆生慈心。六者一切蠱毒一切熱病無
T1070_.20.0149b19: 能侵害。七者一切刀杖不能爲害。八者一切
T1070_.20.0149b20: 水難不能漂溺。九者一切火難不能焚燒。十
T1070_.20.0149b21: 者不受一切横死。是名爲十。現身復得四種
T1070_.20.0149b22: 果報。何者爲四。一者臨命終時得見十方無
T1070_.20.0149b23: 量諸佛。二者永不墮地獄。三者不爲一切禽
T1070_.20.0149b24: 獸所害。四者命終之後生無量壽國。世尊我
簡単に状況を紹介しておくと、観世音菩薩が説く「十一面」という呪があって、それを
早朝に入浴してから、入浴が無理なら うがい手洗いした後に108回唱えると
即得十種果報(10種の果報が得られる)、
復得四種果報(また4種の果報が得られる)、と述べられている文脈です。
この並べ方を見ると、前者の「十種果報」が果報の本体であり、
その後ろにつけられている「四種果報」は ついでの付録というか、
後になってからの追加分のように、どうしても見えるわけですが。
この(後になって追加されたと疑いたくなる)「四種果報」の
最後4つ目に「
命終之後生無量寿国(命が終わった後に、
無量寿国(アミダ仏の国)に生まれる)」とあって
[*1]、ここで
「かんのんさま」と「極楽往生」との繋がりを見ることができます。
果報の本体のように思われる「十種果報」の内容を見てみますと、
「無病」「一切飲食自然充足」「能破一切怨敵」など「かんのんさまの章」的な
果報が列挙されていることがわかります。そして「四種果報」のほうは、
ちょっとそれとは違う種類の果報が述べられているように思われます。
‥‥てことは、こんな感じでしょうか。まず「かんのんさまの章」には
「観世音菩薩は、皆から恐怖を取り除くゆえ『施無畏者』と呼ばれるのだ」という
文があります。「かんのんさまの章」には、恐怖の例として盗賊とか遭難とか
見える形のものだけが挙げられていますが、「皆から恐怖を取り除く」という表現に
注目するかぎり「死」に関することもその範疇に入るはず、いや、入れてくださいお願いですから‥
という人々の願望を受ける形で、まず
ついでに「四種果報」に
入った。のみならず、それが人々の願望とマッチしていたので
いつのまにか前面に出てきた。という妄想はいかがでしょうか
[*2]。
註
- *註1
-
私はずっと思っていました。「でも極楽往生って、いわゆる『生天(天界に生まれ変わること)』と
何が違うの?」と。これについて。とりあえず
「往生要集」(源信;大正2682[SAT])によれば、天界は確かにイイんだけど、でもどうしても死は避けられないと。
んで天界での暮らしが快適すぎるせいで、そこを離れるゆえの苦痛はかなり大きく
源信曰「(大雑把訳)この苦痛は地獄以上。
経によれば16倍」[SAT](岩波文庫v1p70)‥なんだそうです。天界に生まれる
ことにより、最終的に地獄以上の苦しみが‥というのは面白いですね。でもそれって、
極楽往生にもそのまま当てはまってしまうのでは? と思うのですが。
源信曰「(浄土は)寿命が無限なので生老病死の苦なし。好きな人と別れる苦も、
嫌いなヤツに会う苦もない」[SAT](岩波文庫v1p109)
‥死なないのか! それだと確かに生天ではダメで極楽往生を、という感じになりますね確かに。
でもなんか「生天」が浄土思想の生贄になってしまった感はありますね。
(「岩波文庫v1」とは、源信著・石田瑞麿訳注(1992)『往生要集(上)』岩波文庫.)
- *註2
-
「摩訶止觀」(大正1911;智顗説;[SAT])に「六字即是六觀世音。能破六道三障。所謂大悲觀世音破地獄道三障。此道苦重宜用大悲。大慈觀世音破餓鬼道三障。此道飢渇宜用大慈。」(0015b01)とあります。
鎌田茂雄(1997)『観音のきた道』(講談社現代新書)は、この「摩訶止觀」の記述から
人々を六道輪廻の苦から救う観音(六観音)が生まれ、また平安時代には
欣求浄土などへの要求の高まりとともに「観音は、現世利益的性格だけでなく、
来世的な救苦的性格を持つようなものとして」「六道に迷う亡者を救い、浄土に
導こうとする個人的来世的信仰として信奉されるようになった」(pp.197--199)
と述べています。「かんのんさま」信仰には元来、来世的な要素はなかったはずなのに、
人々の願望によって来世的な要素が追加されていって、やがて
それが前面に出てきたという感じですかね。私の妄想もそんなに間違ってないという
ことですね。
また同じ鎌田1997の別のところで紹介されているエピソードなのですが。
天台大師(智顗)が観音信仰を鼓吹した結果、
その臨終の際には「合掌して顔面に喜色をたたえて侍者を顧みて、「観音来迎し給う、
久しからずして応に去くべし」と言った。そうして僧衣を持ってこさせ、それを
自ら着て静かに身を起こし、西方に向って端座して往生したという。」(p.115)
‥‥この臨終の時期は隋のとき、597年とあります。
たぶんこのエピソードは、時代的に考えても
このページで紹介した望月仏教大辞典p.806の「現に大同、龍門、駝山等に‥(中略)‥
銘記あるものに依れば、概ね皆補陀落浄土に往生せんことを願じたるが如し」
と重なりますよね(まあ天台大師は「西方」に往生したっぽいですけど)。
ということは、5世紀の中国ですでに往生と観音像は結びつけられていたということ、か?