観無量寿経
「観無量寿経」の場合。この文献は、仏が韋提希(いだけ)夫人に西方極楽浄土の見方(ストーリー的には、
仏の超自然的なチカラによって 夫人は極楽浄土の様子を目の当たりにしてるはずなんですけど、
仏の語りは なんか極楽浄土を見てない人に向っての語りのようにも思えますので、ちょっと表現が難しい‥)を
説明していく的な展開になっており、そこではすでに観世音菩薩が
極楽浄土にいて 無量寿(アミダ)仏の脇侍であることが当然の前提という形で話が進んでます。
第八観のところに「仏の左に観世音菩薩を、右に勢至菩薩を」(大正蔵 0343b02 のあたり)とあるので、
こちらはほぼ確定ですね。なお
観音様の姿等については第十観の説明のところ、SATでいえば 0343c12 となってる
行の「次亦應觀觀世音菩薩」のあたり[SAT]
(山口桜部森訳(2002) p.232)
から少し書かれてますが、ここでは流します。
容姿以外の観音様についての記述ですけど、それが実は上で挙げたのでほぼ全部という感じのようですので、
ここに書いた程度のことしか伺い知ることができません。ただ、すでに「観音様」が西方極楽浄土に
おられるアミダ仏の脇侍であることは当然の常識扱いになってる、というのは確かでしょうね。