[仏説地蔵菩薩発心因縁十王経 (発心因縁十王経、地蔵十王経)]

地蔵十王経について

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』(12世紀?)
(発心因縁十王経、地蔵十王経)

に関する「めも」です。


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十王の起源

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十王は道教起源?

その起源がどうやら仏教系典籍から辿れないこともあって、 仏教関連の人たちはこの「十王」を「道教起源では?」と 推測することが多いですけど。

 でもそれはどうやら「仏教じゃないみたいだから、 きっと道教じゃねえの?」というレベルのノリに留まっているみたいで、 具体的に何か証拠があったうえで「道教起源では?」と言われてる訳ではないみたいです。

 ‥と。そんな、根拠にとぼしい「十王の道教起源」説について。澤田1991(pp.22--23)は、 その証拠はないものの、理論的にはその可能性は高そうだ、と述べています。 つまり仏教であれば冥界の主は閻魔王になる訳でしょうけど。 道教であればそれは酆都大帝です。ですから、道教からすれば異分子の「閻魔王」を その酆都大帝の部下として位置づけるのはそんなに無理がない。 また「転輪王」などについても、やはり道教からすれば外来の異分子ですから、 それを「なんか有名みたいだから、酆都大帝の部下に組み込んじゃえ」的なことが できてしまう。そんな感じで、道教のほうで「あの世を司る酆都大帝と、 その部下の(閻魔王を含む)十王たち」というパッケージが作成されたと。 後に、そのパッケージが仏教に逆輸入される際、 「仏教だと あの世を司るのは閻魔様だから『酆都大帝』を『閻魔王』にしちゃえ」となって、 その結果「あの世を司る閻魔王と、その部下としての(閻魔王を含む)十王たち」という 不思議なパッケージができあがった、と。 ただこれは あくまで「その可能性もありそう」というレベルの話である点には注意が必要です。 またマニ教にも十王説があったことが言われており、そうすると「十王」の起源はもっと 複雑怪奇になっている可能性もありそうですけど、たぶん、もう、わからないでしょうね‥。

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十王の起源は西域か

 中国の典籍をあちこち見てみても、いまいち何だか由来がよくわからないと 言われていた「十王」。この起源について、岩本1979は以下のような指摘をしています:

宋の端拱2年(989)に僧常謹の撰述した『地蔵菩薩像霊験記』に引用する知祐の『感応地蔵記』に、 西インド出身の知祐が清泰寺に来たとき持参した地獄菩薩の像に十王が描かれていて、 「その本は西域に在り」と記されていることは、実に重大な示唆を含む記事と いわねばならぬ。なぜならば、スタインが敦煌の千仏洞で発見した地蔵十王図は二種あって、 十王の信仰が西域地方に相当に行なわれていたことを示しているからである (岩本1979., p.322)
‥つまり。証拠がかなり少ないので仮説を立てるところまでは 行かないものの、 西インド出身の僧・知祐が持っていた地蔵菩薩の像には十王が描かれていて、 その元ネタは西域にあると書かれていたことから、 「十王」という概念は インドよりもっと西のほう、 西アジア(イラン、ペルシア)から来たのではないか、と。

 なるほど。それならば、いくら中国系の典籍を見ても、そこに十王の起源を 探るヒントが見つかる訳ないですよね。

 それはそうと。上記引用における「地獄菩薩」というのはたぶん誤植です。 望月仏教大辞典(1909) p.2216c. を見ると、そこに上記の岩本1979 と ほぼ同じ話が書かれていて、そこには「地蔵菩薩」とあります。

 また望月1909は引用で紹介されている『感応地蔵記』も紹介していて、それによれば 知祐が持参した地蔵菩薩の像には 中央に地像菩薩、その左に (1)秦広王、(2)初江王、(3)宋帝王、(4)五官王、(5)閻魔大王。 右に (6)変成王、(7)太山王、(8)平等王、(9)都市王、(10)五道転輪王。 ‥そんな感じ(順番どおり)に描かれていたと 『感応地蔵記』に書いてあるみたいなんですけど。

 この王たちの名前、および 王たちの服装が中国風な ことから望月1909は「此の伝説は固より信ずるに足らず」(p.2217a)と判断しています。 つまり、それら十王のキャラ設定が ほんとうに西域から来たのであれば、 王様はもっと西域っぽい名前になってるはずだろ、なんで「初江王」とか「太山王」とか、 妙に中国っぽい名前ばっかりなんだよ! 服装だって、 もし西域起源とするなら、もっと西域っぽい服装じゃなきゃ嘘だろ?! なんで、いかにも中国風な服装なんだよ!! と。 つまりその「知祐が持参した地蔵菩薩の像」というやつは 西域のものじゃなくて、中国で作ったものだろ?! と言いたいのでしょう。

 この点について すでに紹介した岩本1979も、地蔵十王図の中身にはまったく興味を示さず ただ「その本は西域にあり」という記述のみに注目しているのは、やはり望月1909と同じ理由からだと 思います。「知祐が持参した地蔵菩薩の像」はどうでもよくて、 西域出身の知祐が「十王の話は西域にある」と言っていた、そのところだけに注目してます。 閑話休題。

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十王の起源はゾロアスター?

もっと言うと、岩本1979は実はこう言いたいのです:

さきにゾロアスター教の流布した ソグディアナ地方に西暦紀元前後と思われるころに進出した仏教徒が、ゾロアスター教が もともと持っていた死後審判の思想を仏教に採り入れたことも、 あながち否定できない (岩本1979., p.325)
来たか、ゾロアスター。

 古代ペルシア、今でいうところのイランのあたりですよね。 そのあたりで盛んだったゾロアスター教(紀元前6世紀以前)は 善悪二元論が特徴的と言われていて、 その世界観がシルクロードなどを通じて東西に伝わり、西はユダヤ教そしてキリスト教、 東は仏教に影響を与えたと考えられています。 Wikipediaによると 唐代中国においてゾロアスターはそれなりに盛んであったらしい(唐代三夷教)です から、以下のような可能性もありそうです:

  1. まず中央アジアにおいて、西アジアの影響を受け「十王」なるものが仏教に混入。
  2. 中国においてゾロアスターなどの影響を受けながら十王思想の整備および「十王経」の完成。
‥こんな感じもアリでしょうか。無論、まったくの私の妄想ですけど。

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閻魔王以外は‥ (妄想)

‥とまあ、こんな感じで「十王」の起源について考えてみると、なぜ「5:閻魔王」の ところだけ記述が充実しているのに他の王については記述がスカスカ‥というか、 ほとんど名前しか出てこないのかがわかってくる感じですよね。

 つまり。ハッキリ書いてしまうと、 閻魔王以外の王たちについては、ほとんど名前しかないから。

 由来はわからないですけど、とにかく「冥界で我々を裁く、十人の王たち」というアイデアが たぶん先にあって、その十人は誰かを とりあえず埋めようとしたときに、 閻魔王の名前だけはすぐに埋まったけど 他の名前は何かよくわからない名前を あちこちからかき集めてきて、それでとりあえず埋めた。 だから閻魔王以外について何か書こうとしても何も書けない、という感じじゃないかな、と。

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[おまけ] 冥道十二神

日本の陰陽道の世界では「冥道十二神」なるものが存在しているらしいです。曰:

祭神とされた12の神は「冥道12神」と称され、泰山府君・天曹・地府・水官・北帝大王・五道大王・司命・司禄・六曹判官・南斗・北斗・家親丈人を指し、 [ Wikipedia::六道冥官祭]
ここで中心となっているのが「泰山府君」。「十王経」における閻魔王と似た位置づけですかね。 「泰山府君」については、とりあえず [ 泰山府君の冥府 ] をどうぞ。

 泰山府君はすでに中国で「閻魔王」と存在が重なっていて、その両者のイメージが 絡み合いながらキャラ付けされていきます。そしてそれが日本に入って 陰陽道の「冥道十二神」の中心となっていくのですけど。 『日本霊異記』(9c初)にはまったくその存在は語られず、 確認できるのは『延喜式』(10c)あたり、 「泰山府君祭」が始まったのもおそらく10世紀初頃なので、 日本に入ったのは9世紀後半といった感じ (でも十二神中の地府=泰山府君じゃないの?)。また「冥道十二神」化したのは 10世紀後期くらいのようです。 (増尾伸一郎(2000)「泰山府君祭と<冥道十二神>の形成」『死後の世界』東洋書林, pp.238--244)

 でもここでの「五道大王」ってたぶん「五道転輪王」と同じ神格だと思うんですけど。 一人だけ重複というのも不思議ですね。

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