[前] 「十王」について |
仏教における基本的な世界観として「業がすべてを支配する」というものが あげられます。
つまり。生前におこなった行為が生み出す「業」、その業の結果に基づいて 人は六道のどれに生まれ変わるかが自動的に決まり輪廻転生していく。 ‥それが仏教の基本的な死生観になる訳ですけど。
本経で挙げているような、審判者としての閻魔王ら十王の存在というのは、 その仏教の本来的な世界観とは合っていない考え方といえそうです。 つまり。転生先は業が勝手に決めるのだから、 それぞれの人の生前の善悪をわざわざ裁決する人など本来不要なわけです。
[Table of Contents]ということはつまり「人を裁く閻魔王」のような設定は、仏教が伝播していく過程のどこかで 仏教の中に紛れ込んで来たものということになります。
たしかに閻魔(ヤマ)という名前そのものはインド仏教からありますけど、しかしそれは 死後に人を裁決する裁判官のような存在ではなく、何というか、 もっと抽象的な存在であったはずですからね(このへん、ちゃんと確認してない‥)。 となると、一体どこから?
‥ええと。 まず言えることは、中国や日本に伝わる地獄変(地獄絵)などを見ると、 閻魔王などは まるでお役人、とくに中国のお役人のような姿で描かれることが 多いです。そのため、地獄絵に出てくるような閻魔様の姿、ああいう姿・設定が パターン化されたのは中国だろうな、と考えるのはごくごく自然の成り行きのように 思われますし、それに異議を唱える人も見たことないです。
[Table of Contents]しかし他方では、こういう説もあります:
‥んー。つまり「死後裁判」という発想は、仏教にもなかったし、 中国にもなかったということか。じゃあ、一体どこから?? というのが 不思議になってきますよね。
[Table of Contents]沈黙の宗教ー儒教 [ 加地伸行 ] |
ちなみに、古代中国の「死後」観については、こういう指摘もあります。
古代中国では人が死ぬと(精神を主宰する)魂と(肉体を支配する)魄が‥
このへん、「人は死後に冥界におもむく」とする岩本1979の説明と、 「人が感覚的に関わることができる範囲のところへ」という加地2011の説明は、ちょっと 食い違っているんですけど(たぶん、同じ「古代」とか「昔」という語を使いながら、 加地のほうがずっと古い時代のことを語っているような印象です。中国文明は歴史が長すぎるので‥)。
でも、どちらにせよ、古代中国には死後裁判の発想は なかった、というのは同じですね。
[Table of Contents]そして岩本1979によれば、中国で死後審判の発想が出てきたのは六朝時代(3〜6世紀頃)、 つまり仏教の影響を受けてから、ということではないかと。
‥え?! でもさっき、仏教にはもともと「死後裁判」という発想はなかった、という 話してたじゃん!! ‥‥つまり、たぶん、こういうことですね。 死後裁判の発想は、インドにもなく、そして中国にもなかった。 インドで生まれた仏教が、数百年かけて いろいろな地域から地域へと伝播していき、 やがて中国に到達した訳ですけど。その途中のどこかの時点で、 誰かが「死後裁判」という発想を仏教の中に混ぜこんでしまい (意識的に混ぜ込んだのではなく、どこかの土着思想なんかと いつのまにか 混ざってしまっていたんだろうと思います)、 それが中国に伝わったのではないか、ということですね。
[Table of Contents]閻魔王について「その住処と地獄とは直接に結びつけられていない。この 両者が同一とされるのは仏教に死後審判の思想が導入されてから後のこと」(岩本1979, pp.222-223) だそうです。 [詳細な情報はこちら :: 閻魔王はどこに?]
つまり「死後裁判」の思想が仏教に混入したのは 「インドから中国に仏教が伝播する途中のどこか」ということですから。 「地獄主としての閻魔さま」というキャラ設定もそれと同様、 インドと中国の途中にあるどこかの地域で生まれた、という感じになりそうです。
仏教が中国に伝わったのが 六朝時代(3〜6世紀)ということなので、それよりちょっと前くらい、といった 感じなんでしょうか。 仏教の歴史という観点からみてみると、そんなに古いものではない、という感じですね。
[Table of Contents]日本人と地獄 [ 石田瑞麿 ] |
十王とか閻魔王が日本人に浸透する前、閻魔様はどんな感じに考えられていたか。
石田2013は、源信『往生要集』[往生要集しおり](10c)における閻魔王の登場のしかたから 以下のように指摘しています:
時代が下がって「あの世」世界の中心に「閻魔王」が鎮座ましますような 世界観ができあがってしまうと、誰もが閻魔王の存在を受け入れざるを得なくなってしまう 訳なんですけど。そんな世界観ができあがってしまう前だと、 「閻魔なんて、どうでも良い。無視だ!」的な考えかたも当然アリですよね。
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