[仏説地蔵菩薩発心因縁十王経 (発心因縁十王経、地蔵十王経)]

地蔵十王経について

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』(12世紀?)
(発心因縁十王経、地蔵十王経)

に関する「めも」です。


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玉歴宝鈔(宋代,11c?)

中国に《玉歴鈔伝》という書物があるみたいです(正直このへんあまり把握してないです‥)。 これは清末民国初に流行(?)した 「勧善書」、つまり勧善懲悪的書物らしいんですけど、いろいろなバージョンがあり、 その《玉歴鈔伝》系諸文献の一つとして位置付けられるのが《玉歴宝鈔》。 これは

他本とは異なる点が甚だ多いのが特徴である [ 川崎 ミチコ(東洋思想文化学科) :: 競争的資金 ]
という感じ、つまり 《玉歴鈔伝》系文献の中でもちょっと特殊な内容になってる感じのものらしいんですけど。  この《玉歴宝鈔》、 中国版Wikipediaによれば宋朝期、遼の淡痴道人(11世紀?)という人が書いた(とされる)もので
對中國民間的地獄、因果報應觀念影響頗大。 [ 玉歷寶鈔 (Wikipedia中国版) ]
[ 大雑把訳 ] 中国の民間における地獄とか因果応報の観念に大きな影響を与えた。

 ‥と、そんな感じのものらしいです。 ただ、ここでちょっと気になるのは本書が「清末民国初に流行」ということ。 清は1912年滅亡なので、清末民国初となると19世紀後半から20世紀初に流行ということに なりますよね。当時の中国はいろいろと大混乱の時期で、 昔ながらの価値観が根本から崩れてきており、それゆえ昔ながらの勧善懲悪を 強調する本書のようなものが求められていた? ‥と、そんな感じみたいですけど。

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日本との関連は薄そう

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遣唐使廃止後の遼(中国東北部)成立か

本ページ的には、この《玉歴宝鈔》の中身が日本における「十王」と何か関係してるのか、 日本に何か影響を与えたのか、といった点が気になるところではありますけど。どうなんですかねー。 (伝説で)この本が書かれたとされる11世紀といえばそろそろ日本の平安時代末期、 894年の「白紙に戻された遣唐使」、つまり遣唐使の廃止から100年以上経過していて、 その時期の遼、つまり 中国の北のほうで書かれた書物ということならば、なんかちょっと日本とは遠い気がしますよね。 どうなんでしょう??

(ちなみに10世紀中国の杭州あたりに実在したとされる 布袋様について、 中国では「布袋=弥勒」説が定着するんですけど、そんな説は日本(沖縄以外)にはまったく 入ってこなかったですよね。《玉歴宝鈔》はそれより100年くらい後の書物とされてますから、 んー。厳しい感じはしますけどね‥)

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地獄との結びつき

んで《玉歴鈔伝》で検索しても情報がほとんど出てこないのでアレなんですけど。 その中でちょっとユニークとされる《玉歴宝鈔》については、中国系のサイトでは いくつか情報がないことはなくて

などのサイトがヒットします。

 ザッと見てすぐ気づく点として、 一部の十王と地獄とが関連付けされてますね。 1:等活地獄が2:楚江王と、2:黒縄地獄が3:宋帝王と、3:衆合地獄が4:五官王と、 4:叫喚地獄が5:閻魔王と、5:大叫喚地獄が6:卞城王と、6:焦熱地獄が7:泰山王と、 7:大焦熱地獄が8:都市王と、8:阿鼻地獄が9:平等王と、それぞれ結びついてます。 そして逆に日本でお馴染みの「死出の山」「三途川」「奪衣婆」などが見当たらない‥。 まあ確かに、各地獄と無理無理にでも結びつけとかないと「この十王って、いったい何??」という 質問に答えられないよなー、とは思うんですけど。でも それぞれの王と それぞれの地獄との具体的な関連付けって、日本ではあまり見かけない気が しますから、やはり中国での独自展開という感じなんですかね。

 ちなみに。たまたま見つけたんですけど、以下:

こんなページがありました。 2003年、台湾の江逸子さんが描いた「地獄変相図」のネタ元がこの《玉歴宝鈔》のようです。

(関連情報、どこかに書いたなあ‥と思って探したら、 [ 21世紀的地獄絵図(台湾(中国),21C) :: 餓鬼について ]でした。)

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