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盂蘭盆経の目連救母のエピソードは、 親孝行好きな中国日本の人たちの心を捉えたようで、 いろいろなお話がここから派生したようです。
[Table of Contents]とくに中国の唐代に作られたらしい 『大目乾連冥間救母変文』(目連変文)[SAT]、 それより後代に作られたらしい『仏説目連救母経』などの文献は 有名なようです[*1]。 このうち『目連変文』では、目連母がケチゆえ阿鼻地獄(!)に堕ち、 目連の願いにより仏が地獄を破壊(!)、しかし母は餓鬼化、食物が燃える、 盂蘭盆供養、母畜生化、目連大乗経典読誦、母人間化、そして西方往生へ、と (岩本1979, pp.36--39の梗概より。「仏が地獄を破壊」は、大正蔵の たぶんこのへん(p.85:1312); ところで「地獄を破壊」については、 枉死城・血盆城を「打城」して亡者の魂を救済する儀式が台湾には現在も残っているみたいです。 糊紙で作った枉死城を直接打ち壊す云々。 丸山宏(2000)「道教儀礼の言語と民俗」『死後の世界 --インド・中国・日本の冥界信仰--』東洋書林, p.182) )。 ケチだったから阿鼻地獄(無間地獄とも呼ばれ、最苛烈な地獄オブ地獄)とは‥(絶句)。 ‥‥ちょっと厳しすぎないですかね。
他の類似文献ですと母親は生前 家畜を毎朝殺したりとか、師僧を見ると下男に棒で打たせたとか、 それゆえ阿鼻地獄に堕ちた‥こんな感じになっているみたい(岩本1979,p.40)ですけど、 これは先の『目連変文』とは違い、阿鼻地獄とのバランスを取ったらこうなったという 感じなんでしょうか。
盂蘭盆経では母親が餓鬼堕ち止まりだったのが、変文では地獄堕ちに変更されている点について。 岩本1979はこう推測しています:
また明代以降に出てくる宝巻文学の中にも目連伝説は入っていて、その中でも広く流布したと いわれる『目連三世宝巻』というやつ、これによると物語のクライマックスはこんな感じだそうです:
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[Table of Contents]中国では変文だけでなく演劇としてもよく演じられていたようです。北宋(10〜12世紀)の首都開封では、 七月十五日の中元節の頃、七月八日から十五日まで どうやら続き物の目連救母雑劇を 演じていたらしいようですし(澤田1991, p.133)、 また清代(18世紀)にも土俗の劇、それが「目連戯が冥界に棲む無数の亡者や餓鬼を超度するものであるから、 類推して妖魔邪鬼の聖霊をも鎮圧駆除する呪術的な効能をもつ」(澤田1991, p.137)ものとして 根強く、演じられていたようです。
[Table of Contents]日本でも さまざまな物語が派生し、 それらは岩本1979にいろいろ紹介されています(すごい)。
これらでは、目連の親孝行がかなり強調されているみたいで、たとえば 説経節『目蓮記』鱗形屋本(江戸初期)によると、 目連の出家動機として 「(大雑把訳) お経の一字でも読み覚えて、父母の孝養に役立てたいと思い‥」 なんて語られていたりします(岩本1979,p.136)。 亡くなった両親の供養、とかならまだ話の解釈としてわかりますけどね。 まだ生きてる親への親孝行として お経を覚えようというのは、現代的感覚では 立派なのか、そうでないのか、よくわかりませんけど。それはさておき。
親孝行で、仏教的な道徳観念にきちんと従って生きている目連とは反対に。 目連の母は
「数多の財宝を他人に奪い取られんも腹立ちや。如何がせん」という、施しとか布施なんてありえない! という感じの人なもんですから。たまたま やってきた尼に向かって
「(大雑把訳) バカを言うでない。 後世を願うというのは、つまり今生が思い通りにならないからじゃ。 我はすでに仏である」‥と、こんな感じに言ったようです。「自分の今生はすべて思い通りである」‥ 目連母、どこまで本気でこの言葉を言ったのかというのはよくわかりませんけど。 とにかく、こう言われた尼さんが激怒し、悪鬼となって
「(大雑把訳) この高慢ちきめ。私を誰と思っているのか。来世の苦しみを思い知らせてやる」こう言うなり、 母親を引っ掴んで八万地獄に堕としてしまう‥というビックリ展開(岩本1979,p.137)。 ‥仏を僭称してしまったのがアウトだったんでしょうか。 その程度で地獄に?!
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これ以外の、たとえば 『三国伝記』の「目連尊者救母事」(1407)では「坊主が家に来たら、棒で打って 殺しておしまい」なんてやって堕地獄してます(岩本1979,p.65)
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