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そして、上記のとおり玄応は「うらんばな」説を紹介している訳ですが、 当時の中国では「盆」は「盆器」であると理解されていたっぽいことがあります。 これについては玄応もすでにこう指摘しています:
八柳 樺細工 丸茶盆 中 桜 |
玄応がわざわざこう書くというのは、つまり、玄応の周囲、また玄応より前の時代の人たちの 大勢が「盂蘭盆は食器」と理解していたことを示しています。 だからこそ、玄応はわざわざ「そういう俗説が広まっているが、それは誤りだ」と 明言しているんですよね。
当時作成されたとおぼしき別の類似経典を見てみても。 盂蘭盆経と同様の類似な内容を述べる 「仏説報恩奉盆経」[SAT]というものがありますが、 この「奉盆」というタイトルが、すでに「恩に報いるため盆を奉納せよ」というものなわけですが、 内容についても「7月15日に、先祖のために供えよ」という点で盂蘭盆経と同内容ではありますが、 「盂蘭盆」についての言及が全くありません(岩本1979,pp.13--15)。 つまり、ここでは「盆」とは「盆器」と理解されていたから、だから 「恩に報いるため盆を奉納せよ」と書くだけで、 「盆」についての説明をわざわざしなかった、という感じに解釈できますよね。
また岩本1979によれば‥
さらに。時代が下がった12世紀後半頃? (南宋)の『老学菴筆記』に以下のように:
無論、一般常識的なものに対して専門家の人が「いや、それは違うよ」というのは、 啓蒙という観点からも、非常に大事であることは間違いないのですが。 しかし、ここで一つ重要な問題があって、それは何かというと 「盆は本当は『うらんばな』のことだよ」なんて啓蒙をしてるのがほぼ玄応一人だけ、 という点です。当時すでに中国では仏教はかなり盛んになっており、鳩摩羅什、法顕、 菩提流支、宋雲など、インド仏教やインド系言語を熟知した人たちの知識などが、 中国の広範囲にわたって浸透していたはずなのに、この語についての解釈を述べた人が 玄応しかいない点。そして、梁の武帝の頃から皇帝主催の仏教行事として盂蘭盆会が 行われていて(538年)、これに当時の高僧たちが関与しないはずがないのに、 それなのに中国では広く「盆は盆器」と思われていて、さらにそれに対して玄応以外、 誰も何も書いていない点。
また、
‥‥考えれば考えるほど、「盆」をめぐる問題は不思議としか言いようがないことが わかります。ここから岩本1979は以下のような判断を下すのです。 「すなわち、盂蘭盆という語の言語は西域あるいはインドの諸言語によっては 解釈しえられない語であった」(p.230) --- つまり、インド言語に精通した仏僧たちに とって「盂蘭盆」とはインド系起源ではない。だからたぶん、 中国のどっかの地方の土着の民俗信仰が仏教の影響を受けてそれっぽくなった行事じゃねえの? そんな土俗の風習なんて知らないし興味ないね、 程度にしか思われていなかったのでは? ‥ということですよね。 (次ページに、つづく)
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