[Top]

盂蘭盆経について

佛説盂蘭盆經 (大正0685) に関する「めも」です。


[前] 語源「うらんばな」説

盆はやはり容器くさい

[Table of Contents]

盆は盆器、が当時の一般常識?

そして、上記のとおり玄応は「うらんばな」説を紹介している訳ですが、 当時の中国では「盆」は「盆器」であると理解されていたっぽいことがあります。 これについては玄応もすでにこう指摘しています:

舊云盂蘭 盆是貯食之器 者此言誤也 (一切経音義(大正2128) ; pp.v54:535b11--535b12 [SAT])
[大雑把訳] 「盂蘭盆は食器」との古来の説は誤り。

商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。お買い物される際には、必ず商品ページの情報を確認いただきますようお願いいたします。また商品ページが削除された場合は、「最新の情報が表示できませんでした」と表示されます。

八柳 樺細工 丸茶盆 中 桜
価格:5400円(税込、送料別) (2016/8/8時点)


玄応がわざわざこう書くというのは、つまり、玄応の周囲、また玄応より前の時代の人たちの 大勢が「盂蘭盆は食器」と理解していたことを示しています。 だからこそ、玄応はわざわざ「そういう俗説が広まっているが、それは誤りだ」と 明言しているんですよね。

 当時作成されたとおぼしき別の類似経典を見てみても。 盂蘭盆経と同様の類似な内容を述べる 「仏説報恩奉盆経」[SAT]というものがありますが、 この「奉盆」というタイトルが、すでに「恩に報いるため盆を奉納せよ」というものなわけですが、 内容についても「7月15日に、先祖のために供えよ」という点で盂蘭盆経と同内容ではありますが、 「盂蘭盆」についての言及が全くありません(岩本1979,pp.13--15)。 つまり、ここでは「盆」とは「盆器」と理解されていたから、だから 「恩に報いるため盆を奉納せよ」と書くだけで、 「盆」についての説明をわざわざしなかった、という感じに解釈できますよね。

 また岩本1979によれば‥

盂蘭盆を盆器と理解することは、六世紀以降中国仏教徒の間で行われた。『法苑珠林』(668) 巻62の記事に依れば ‥(略)‥ そこに引用される『大盆浄土経』には ‥ (大雑把訳。十六国王は、盂蘭盆経の目連救母物語を聞いた。そのとき瓶沙王は盆を作らせた。 金盆を500、銀盆を500、瑠璃の盆を500、‥そのそれぞれに とりどりの飲食物を一杯に載せ、 仏僧に献上した。)‥ と記されていて、「盂蘭盆」が明らかに盆器として理解されていた ことが知られる(岩本1979.p.20; 省略だらけ+大雑把訳ありの引用で申し訳ないです)
省略部分が多くてわかりにくくなっていて申し訳ないのですけど。6世紀頃の 『法苑珠林』(大正2122)中で引用されている『大盆浄土経』には「『盂蘭盆経』を聞いた王が 金銀銅の盆を作り、それに飲食物を満載して仏僧に献上した」と書いてあることから、 当時「盆」=「盆器」という解釈があったこともわかるみたいです。

 さらに。時代が下がった12世紀後半頃? (南宋)の『老学菴筆記』に以下のように:

(大雑把訳) 盆の倒れる方角で気候を占う。北に倒れると冬は寒い。南だと暖かい。東西だと平年並み。 これを盂蘭盆という」(岩本1979.,p.22; 岩本1979が紹介する引用文を、さらに私が大雑把訳したものです)
「盆」がどの方向に倒れるかで占いをする。それを「盂蘭盆」という、と書かれています。 占いに使う、倒れる「モノ」‥‥これ、どう考えても盆器ですよね? と。

[Table of Contents]

「うらんばな」説を言うのは玄応だけ

 無論、一般常識的なものに対して専門家の人が「いや、それは違うよ」というのは、 啓蒙という観点からも、非常に大事であることは間違いないのですが。 しかし、ここで一つ重要な問題があって、それは何かというと 「盆は本当は『うらんばな』のことだよ」なんて啓蒙をしてるのがほぼ玄応一人だけ、 という点です。当時すでに中国では仏教はかなり盛んになっており、鳩摩羅什、法顕、 菩提流支、宋雲など、インド仏教やインド系言語を熟知した人たちの知識などが、 中国の広範囲にわたって浸透していたはずなのに、この語についての解釈を述べた人が 玄応しかいない点。そして、梁の武帝の頃から皇帝主催の仏教行事として盂蘭盆会が 行われていて(538年)、これに当時の高僧たちが関与しないはずがないのに、 それなのに中国では広く「盆は盆器」と思われていて、さらにそれに対して玄応以外、 誰も何も書いていない点。

 また、

玄応と同時代の玄奘(600--664)も、少し後の義浄(635--713)も、永年インドに 滞在したにもかかわらず、自恣の日に祖先の祭祀を行なったという事実の片鱗も伝えて いないのである。 ‥(略)‥ 玄奘がインド留学の時期に仏教における自恣の行事が 祖先祭と結合していたとすれば、六朝時代の末より以後7月15日の盂蘭盆会が祖先崇拝に つらなる行事となっていた中国の慣習を知っていた玄奘として、必ずやなんらかの 記事を遺したことと考えられる (岩本1979, p.227.;省略は引用者すなわち私による)
つまり玄応と同時代人で、インドに行って戻ってきた あの玄奘、また義浄が、 インドにおいて盂蘭盆会と類似の行事が行なわれていたなんてことを全然書いてないことから、 インドには それっぽい風習はなかったのでは? という推測ができる点。

[Table of Contents]

語源はインドでも中国でもない?

 ‥‥考えれば考えるほど、「盆」をめぐる問題は不思議としか言いようがないことが わかります。ここから岩本1979は以下のような判断を下すのです。 「すなわち、盂蘭盆という語の言語は西域あるいはインドの諸言語によっては 解釈しえられない語であった」(p.230) --- つまり、インド言語に精通した仏僧たちに とって「盂蘭盆」とはインド系起源ではない。だからたぶん、 中国のどっかの地方の土着の民俗信仰が仏教の影響を受けてそれっぽくなった行事じゃねえの? そんな土俗の風習なんて知らないし興味ないね、 程度にしか思われていなかったのでは? ‥ということですよね。 (次ページに、つづく)

[次] 語源ソグド語説