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「亀田領三十三観音霊場」の27番札所である秋田市下浜の珠林寺(しゅりんじ)[1]。 この裏にある金毘羅堂の脇あたりから裏山(つくし森; 筑柴森?)にかけて、 三十三観音様が安置されています。 「つくし森」については以下[URL]:
こんな感じの小径を進んでいきます。
観音様が安置された年代ですけど、金比羅堂が建立されたのが1887(明治20)年頃らしいですので、 その前後でしょうか。 「観音様は明治時代に作られたもので比較的新しく顔などもはっきりしています」 [URL] ともありますし、金照寺山の観音様よりは古いようにも思えますし。
この写真、向って左側が「廿壹番」「穴穂寺」(これは西国33-21穴太寺)とあるので21番、 向って右側が「善峰寺」(西国33-20)とあるので20番、ということがわかります。
ここでちょっと気になったのは全体に不揃いな感があるなあ、ということです。 観音様によっては風化・苔化がスゴくて字が読めないものも多いんですけど、でも 番号が書かれているもの、番号のないもの、 番号どころか西国三十三と結びつく情報が一切見当たらなくて そもそも番号不明なものが 混在しているように思われます。また番号がハッキリしているものについても、 並び順にちゃんと並んでないように思われます。
たとえばこの写真。これは金比羅堂横にへんにある平場に安置されているものですが、 ここにいきなり33番の観音様が三体、お並びになってます(!)。 これは西国三十三の「美濃の谷汲」の 3つのご朱印[URL]に対応している ということなんでしょうか。
ちなみに、このご三体と向かい合わせになる格好で、 シャカムニ仏が安置されていました[写真]が、こちらは「善光寺」枠のようにも思われました。 よく見てみると、仏様の足元のあたりに刻まれている「卍」字が 右卍(逆卍)になっています。 珍しいですね。(まあ、もともとどっち向きでもいいはずですので‥)
そしてその横にサイズがほぼ同じ大日如来像が安置されていました。そして大日如来像の向こう、
これはいよいよ金比羅堂の裏山に登って行くあたりになるのですが、そのへんに
番号不明な観音様があり、その次にいきなり19番の観音様が安置されている‥と、そんな具合です。
このあたり、おそらく いろいろな歴史的変遷の結果こんな感じになっているんだろうとは
思うのですが(イッキに作られたのではなく、それなりに長い時間をかけて少しずつ追加して
三十三体にしていったとか、土砂崩れがあったりして観音様を移動せざるを得なかったとか‥)、
詳しいことは不明です。
(なお、私の現地調査も「うわー、なんかグチャグチャじゃね?」と感じた程度でやめてます^^;
)
さて。それはさておき、観音様を参拝しながら つくし森の小径を進みます。 すると、ちょっとした平場に出ます。そこに、 観音様が4体、真ん中にシャカムニ仏をはさむ形で安置されていました。
平場の左側、ちょっと急な登り坂があります。そこを登ってみます。
すると‥ なんか日射しがまぶしい場所に出ます。山頂? 山頂! ずっと鬱蒼とした場所ばかり歩いてきたので、非常に開放感があります。 景色、すげーいいです。これは想定外でした。 ‥‥でも海は西側なので、これたぶん夕陽の時間帯だったら、 かなり見応えのある景色なんでしょうね。山頂に安置された観音様。番号などに関する情報が見当たらなかったので そのあたりのことは不明ですが、その柔和な表情を見てると、まあそうだよな、 毎日こんな景色のいい場所にいるんだから そりゃ柔和にもなるよな、 なんて思わないこともありませんでした。
なお「久保田三十三」[URL]の代替としての 役割を持っているかどうかについてですけど。 とにかく 観音様にお札を貼付けた形跡を一つも見つけることができませんでした。 よって、金照寺山の三十三観音[URL]とは 違っていて、「久保田三十三」のサブセット的な扱いにはなってなさそうな感じです。
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