The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".
[前] 註 |
The pilgrims of 33 Kannons of Kubota nail the slips of paper or wood to the wooden board prepared for nailing in each temple. Only the posthumous Buddhist names of the dead family members, which is called as "kaimyo", of each pilgrim are written on the slips.
[Table of Contents]久保田三十三所巡礼は、一般的な(どちらかといえば明るい?) 三十三観音巡礼とは毛色が異なっています。
それは、貼られてる札を見ると一目瞭然かと思いますが‥
上が、久保田 金照寺山三十三観音札所に貼られていた札です。 久保田三十三観音の札打ちで貼られている札とまったく同じフォーマットです (久保田三十三観音札打ちは深夜なので、文字がハッキリ写ってる写真がなくて‥)。 バラバラで統一性に欠く札‥というか、単なる紙の切端のようにも見えますが、それに 漢字がいっぱい並んでいます。何が書かれているかといえば、要するに 亡くなった身内の人の戒名が列挙されています。(「居士」「大姉」「童子」などの 単語が行末に来てますよね?)
つまりこれ、故人の冥福を祈るという追悼儀礼というか、供養・追善儀式の一環というか、 それ系の目的に特化した感じになってますよね。
[Table of Contents]しかし。私個人のイメージでは、一般的な「かんのんさま巡礼」というのは、 それほど深刻というか、故人追悼のイメージと、そこまで深く結びついては いないはずなのです。これは、いわゆる「札所」といわれる場所に 貼られた札を眺めてみると気付くのですが。
では、どう違うかといえば。実際に見てみましょう。 以下に示すのが仙台三十三観音でたまたま見かけた お札です。 (個人情報ぽいところは細工してます)
久保田三十三観音の札とは、かなり、雰囲気が違うと思いませんか?さらに以下は、最上三十三観音札所(19:黒鳥)で見かけたお札です。 (個人情報ぽいところは細工してます)
巡礼者本人の名前を明記したうえで、 「家内安全」「家内円満」「健康」「心願成就」「良縁」等‥についての 願いを書いてあります(最上三十三の場合、かなりの割合の札が統一された書式のもの、つまり、 どこかで売ってる札を購入して使用という割合がかなり高いです。 つまり観光のネタとしての地位を確立していると見ることができそうです。 それも、大半の札が自家製のものである久保田三十三と大きく違う点でしょう)。写真のお堂では「追善」的な所願を書いた札を 見つけることはなく、ひたすら現世利益的な所願のみ貼られていました。 これ以外の場所では「二世安楽」という所願をよく目にしますが、 この「二世」というのは現世と来世のことですので、純粋には 現世利益のみとは言えません。けど、この場合の「来世」というのは 「私が亡くなった後の世界で」、つまり かなり漠然とした自分の未来の安楽を かなり漠然と願っているわけで、それだとまあ現世利益のついで的 ノリとも理解できそうですし、そういう点では「二世安楽」も実質はほぼ現世利益と 呼べそうじゃないですか? いずれにせよ、間違っても故人の「追善」ではないですね。 あくまで「私の」来世の安楽をお願いしてる訳ですから。
まあ、観音信仰のキモは現世利益ですから、これは当然といえば当然の話ではあるのですが‥ [*註1][*註2][*註3]
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