The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".
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あちこちのページを見てみると「1月17日」と書いてるところもありますね。 私は16日未明(15日深夜)に出かけてますけど、 17日に回る人たちもいる、ってことでしょうか。‥とにかく私に言えることは: 16日未明に回る人は結構いるし、各札所の檀家さんかご近所さんかは不明ですが (たぶん檀家兼近所だと思いますが)ご接待の人たちも出てくださってます。 17日未明はどんな感じなのかは不明です。(「17日もやってるのかな」を確認する ためだけにあの真冬の深夜に札所まで出かけて行くのはちょっと‥)
また私は現在の暦における1月16日未明に回っていますが、 ひょっとしたら旧暦の1月16日に回る人たちもいるのでは? という疑念が 私の頭の中をよぎることもあります。そのへん、どうなんでしょうか。 ちなみに、次の 旧暦1月16日が何月何日かというのは、ちょっと不明 です ([次の旧暦の日は何曜日でしょうか]も どうぞ)。
『秋田県史 近世篇 下』には「久保田城下の札打ちは一月中旬、近在の農村部・城下の町人等が、それぞれ日を分けて一番から順次に巡つた。」(p.732)とあります。「それぞれ日を分けて」の 詳細は不明です。
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こちらは「秋田西国三十三観音(霊場巡礼)」だから「秋田西国三十三」、
あちらは「秋田三十三」でも十分区別可能では? と思う人もいるかもしれません。
‥しかし、しかしですよ。実際のところ、日本のあちこちにある「三十三札所」というやつは
ほとんど「西国三十三」の写しなわけですから。
つまり「秋田三十三」も「西国三十三」の写しなわけです。それを考えると、
「秋田西国三十三」と「秋田三十三」の区別というのは、かなり無茶だなと思う訳です。
そこで「久保田」「秋田」で区別しようぜ、と私は考えたのですが‥‥。
いや、「久保田」もそれなりに無茶というのはわかります。なにせ
「久保田」という名前も100年以上前に廃止された町名ですから‥(^_^;
ちなみに「西国三十三」というのは、一番札所・紀伊国青岸渡寺(和歌山県)から始まり、 近畿地方をあちこち回った末、最後に三十三番・美濃国谷汲山華厳寺(岐阜県)にたどり着くという、 たぶん日本で最も伝統権威人気のある三十三番札所です。 基本的に、日本のあちこちにある「三十三番札所」のほとんどが この「西国三十三」の写し、つまりモノマネという位置付けになってます。 「西国」という名前については、おそらく鎌倉時代頃に、関東地方の人たちが、 地元にある「坂東三十三」などと区別するため「西国」と呼ぶようになったのが定着したのでは、 という見方が一般的なようです(畿内の人が滋賀や岐阜を「西国」と呼ぶとは思えない)。 また「西国」定着の一因として、「西国」という響きが 「西方浄土」 [URL]を 連想させる点もあるのでは、という指摘もあるようです。 (清水谷孝尚(1983)『観音巡礼のすすめ』,p.142)
‥まあ、確かに日本各地に無数と言ってよいほどの「西国三十三の写し」が存在するのは何故か、 何故「坂東三十三の写し」があっても良さそうなのに存在しないのか、と考えてみると。 人々が「美濃のたにぐみ」に見ていたのは 岐阜県にある宗教法人およびその所有物ではなく、 その向こうにある(はずの)西方浄土に他ならない訳で。んで、そう考えてみると 「西国」という語の響きがもつ「西方」との類似性はやっぱかなり重要な気がしますね。
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