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久保田三十三所 (札打)

The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".


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大正時代末期(1926)の様子

[二〇世紀ひみつ基地] というブログ(このサイトはすごい‥)の 2009/1/18付の記事には、菅江真澄や「秋田風土記」の約100年後、 大正15(1926)年1月に26:當福寺で起きた、札打中の暴行事件の新聞記事が紹介されています。 口論の末、札を釘打つために持参していた金槌で相手の頭を強打、という シャレにならない事件なんですけど、それはともかく。この記事からは 以下のことがわかります。

  • 1926(大正15)年は、1月16日午前7時頃(だと思う。詳細な日付は別途調査しないと わからないけど)に巡礼の人たちで寺町が大賑わい
  • 巡礼の人たちは札を打っていた。だから、金槌が傷害事件の凶器となってしまった
  • 新聞記事の見出しに「地下の仏は泣くだらう」とある。「地下の仏」って、 亡くなった人たちを指しているんだろう(この時代は土葬が中心のはずなので) と思うので、てことは、この年の巡礼の目的は「追善」という 共通理解ができていた
んで、「大賑わい」という表現からは、今のような巡礼のスタイルはその時期に 始まったわけではなくて、すでにその時期には こういうスタイルは定着していたと 考えることができそうです。となると、今のようなスタイルの開始時期は 明治末期から大正初期くらいまでは遡れそうです。

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