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宮城県「その他」です。

[前] 慈恩寺三十三観音(榴岡)

その他・未整理

吉岡一男(1992)『宮城の観音信仰』宝文堂 に、かなり依存してます。

  • 黒川三十四観音[1][2] ‥‥幕末(1850〜1860年代頃)創設か? 一般化したのは明治以降らしい。 大宮司慎一(1988)『黒川三十三所: 陸前黒川の観音霊場めぐり』という書物があるらしいですが未見。 27:富谷湯船寺。30:長楽寺観。
  • 牡鹿三十三観音[1] ‥‥「牡鹿」といいながら石巻市のみ。1750〜1760年代成立か[*1]
  • 女川三十三観音碑‥‥1824年造。距離約1.8km,約2時間程の遊歩道化してるみたいです[1][2][3][*2]
  • 洞源院 三十三観音石像 (石巻) ‥‥ 洞源院さんのページ[*]に「奉納者を募っています。現在までに19名の方々に奉納いただきました」とあります。14体は魂入れ待ち?? 「仏像図彙」的三十三です。 [1] [2]
  • 鷲巣山文殊堂 三十三観音(仙台市八幡6) ‥‥ 2002(平成14)年、文殊堂開山400年を 記念して建立されたようです。新しい‥。「仏像図彙」的三十三。 [1] [2]
  • 名取三十三観音‥‥詳細は不明です。 菅井幸弘(2002)『柴田郡三十三観音御詠歌』で「宮城県南の観音霊場」の一つとして紹介されているものの、いまいち詳細は不明でしたが。 [ 日本を巡礼する ] というサイトに、札所一覧が出てますね。「平成十年(1998)名取講中選定」とあります。‥そうか、勝手に「ほとんど忘却された、古いやつ」と思ってましたけど、逆に最近のやつだったんですね。古い本を見ても 全然言及されてませんので、どういうことかと思っていたんですけど。納得です。 名取本郷の真福寺観音堂[Map]が23番札所になってます。
  • 名取三十三観音(江戸時代)‥‥あるようです。『封内風土記』(1772)の名取郡のところに 「本郡順礼三十三処」として何箇所か言及されてますね。 01:前田釈迦観音堂; 05:増田観音堂; 06:茂庭峯岸観音; 18:飯野坂観音堂; 21:下増田観音堂; 33:前田宝泉寺観音堂。 私が見つけたのは今のところこの6箇所です。‥でも「増田観音堂」なんて、ヒントが少ないなあ‥
  • 富沢磨崖仏 三十三観音(柴田町)[Map] ‥‥三十三観音は江戸時代造らしいです
  • 角田 斗蔵山三十三観音 [1]
  • 三陸三十三観音霊場 ‥‥松島・円通院からスタートして、20番札所あたりから岩手県に入り、ゴールは宮古の常安寺です。かなり新しい成立ですね。16:岩松寺の平和観音様は1986(昭和61)年建立とあります[*]

*註1
01:長禅寺(石巻市湊)からスタート、途中17:寿福寺(石巻市羽黒町)などを廻って、 33:長谷寺(石巻市真野)がゴール、というものです。 まだチェックしてないですけど、廃寺になってる札所も結構ありそうですね。 そもそもスタート地点の01:長禅寺(牧山観音)からして廃寺じゃないかという‥ (奥州三十三の08番札所は長禅寺から梅渓寺に移ったらしいですけど、 牡鹿三十三に関していえば、梅渓寺は02番札所ですからね。でもWebで見てみると、 牧山観音は梅渓寺に移られたようなので、こちらも01,02を梅渓寺が兼ねるという 理解になるんでしょうか。なお長禅寺の場所は零羊崎神社だったようです[*])
「これらは真野の長谷寺観音堂内の板刻による「長谷寺牡鹿三十三所巡礼詠歌」に 記されており、明和五年(1768)三月十九日記銘のものである。  この牡鹿三十三観音は宝暦三年(1753)の同寺巡礼塔紀年銘を手がかりに成立したとさ れるが、このことはほぼ性格と考えてよいのではあるまいか。 これは「奥州三十三観音札所」もこの前に行われていたのを踏襲して、地域的な信仰拠点を この地に形成し、あわせて寺院相互の扶助行為を観音信仰を媒介に行っていたとも 思われる。」(吉岡一男(1992)『宮城の観音信仰』宝文堂. p.93)
*註2
きわめて個人的なことなのですが。「12日の土曜日に女川行ってみるか」なんて考えていたのですが、 2011(平成23)年3月11日(金)14時46分に発生した大地震、またその後に起こった大津波によって それどころではなくなってしまいました。数日の停電があけたのち、ようやく被災地の映像を見て ‥言葉が見つかりません。普通ならウチも十分被災地のはずなんですけど、あの映像を見てしまうと 自分が被災者だなんて とても言えないです。 被災された方々の一人でも多い無事と、亡くなってしまった方がたのご冥福を お祈りすることしかできない現状が歯がゆいばかりです。‥どうなるんだろう、これから‥ (2011/3/14)
 震災後の様子について。 「女川・三十三観音巡り(三十番碑~三十三番碑)」[URL]というページを見ると、 尾根伝いに点在していたのが幸いして、あの大津波の被害はそれほどでもなかったようです。 ただ12番碑だけ、震災後は行方不明と書いてありますね‥。(2012/8)