[前] 韮神山三十三観音 |
慈恩寺は仙台三十三観音[*]の第12番札所と なっているお寺です。その観音堂の隣に、三十三観音があります。 実は、この観音堂・三十三観音の裏の道路は以前から時々通ってて「何か こんもり してるなあ」と思ってはいたんですけど。まさか三十三観音だったとは‥ なお建立年はどこを見たらよいのかわからず不明のままですが、いまの観音堂が 1978(昭和53)年建立ということですので、それと同時期かなという気がします。いや、 もっと新しいかもしれませんね。
七十七銀行のある十字路のところにある入口からすれば、三十三観音は 観音堂(仙台33-12)の奥側の隣にあります。
配置としては五層? 五段? に観音様が配置されています。いちばん上の層が普通の(?)観音像、 その次の層が六観音でしょうか。この六観音様はあからさまに古くからのものです。 江戸時代かな?
そして下の三層が三十三観音で、この層は上にある六観音とは一目で違いがわかります。 何というんでしょうかね。石像ではなくて、線画で観音様の姿を描いた石碑になっています。 女川三十三観音碑[*]みたいです。そして、かなり新しいです。 観音様を拝見いたしますと29番が「合掌観音」、19番が「能静観音」、 07番が「蓮臥観音」‥ですので、これは完全に『仏像図彙』な三十三観音[Wikipedia]になってます。 また『仏像図彙』についてなんですけど、実は 愛媛大学図書館[*]の 鈴鹿文庫[*](すごい!)の 『仏像図彙』[*]から 参照できます。この 025.jpg のページ[*]、ここからちょうど「七観音」が始まってるんですけど、 観音図が8つ掲載されてます。「七観音なのに、8つ?」‥つまり、最後の一つ 「楊柳観音」からは「七観音」ではなく「三十三観音」に入ってます。 なので次のページの最初の「龍頭観音」は三十三観音の二番目で、そこから三十三観音が 順に図示されています。どうでもいいことですけど、上の写真で確認できる石碑に描かれた 観音様のお姿、たとえば 19:能静観音とか、29:合掌観音とか。 この『仏像図彙』と見比べてみると‥似てますね。似てる、というより ほとんど 同じようにも見えてしまいます。 このへん、多少オリジナリティはあっても良かったかな、とは思いますけどね。 いやいや。必要ないところにまでオリジナリティを求めるのは現代的発想で、 逆に『仏像図彙』にあるような規範的理想的な姿に近づけて描くほうが 正解なんでしょうか。わからないですね。
なお、この三十三観音様を後ろから、道路のほうから見たときに気付きました。 三十三観音様の基礎というか土台となっている部分て、墓石なんですね。墓石に彫られた 文字を見ると明治とか書かれています。ずいぶん古いですね。‥ということは これ、たぶん いつしか参詣する人もなくなった無縁墓の供養として建立された、という感じなんでしょうね。
[次] その他・未整理 |