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人は冥途に行かない説 [平田篤胤]

平田篤胤翁における死後世界観を紹介


[前] 夜見(ヨミ)≠黄泉

ヨミは重く濁った物の塊

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ヨミはどんな場所か

篤胤翁は「ヨミ」(夜見、泉)をどのように考えたのでしょうか。翁曰:

泉国は、この国土の重く濁 れる、其底に成れる国なれば、なほ殊に、重く濁れる物の、凝りて成れること知るべく、 かかる謂によりてか、師の翁のいはれし如く、万の禍事悪事の行留まる国なり。(pp.144--145) //
夜見の国は、重く濁ったこの国土の底に成った国であるから、特に重く濁 ったものが固まって成ったものであることがわかり、またそのためか、師宣長がいわれたように、 万の禍事・悪事が行きとどまる国である (tr.229b)
伊邪那岐大神の、「いな醜目穢き国ぞ」と宣へるを思へば、いとも汚穢き国な りけり。(p.36) //
伊邪那岐大神が、いな醜目穢き国ぞといわれたことを考えると、たいへんきたないところであると 思われる。(tr.171b)
夜見(ヨミ)の国というのは、全世界の禍事・悪事がたまる、醜い、穢い国である、と。 そして「この国土の重く濁れる、其底に成れる国」と書かれています。「この国土の底」って、 要するに地下では? そのへんは宣長師と同じなのかな?? ‥なんて 思ってしまいそうになりますが、それはちょっと違っています。

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ヨミは「地」とは別物

 「この国土の底」と地下は何が違うのか? そして何故にヨミの国がそんなに穢いかといえば。 これは本居門下の服部中庸が著書『三大考』によって提示し、篤胤翁が発展させた世界観を 知っていれば理解しやすいと思います。 『霊能真柱』にある図(右図)を見ていただくとわかりやすいと思うんですけど、 簡単にいえば:

  • この世界は原初いろいろなものが混ざり合った「一物」だけであったが、
  • やがて不純物が沈殿するようになり(泥水をイメージするとわかりやすい?)、
  • 結果、清いものが「上澄み」として天・日となりやがて他から分離(右図は分離前。細くなってる境界部分がやがてプツリと切れる)、
  • その後に穢いものが沈殿して固まった下の部分が泉・月・夜見となり分離(右図は分離前。細くなってる境界部分がやがてプツリと切れる)、
  • 残ったものが我々が今いる「地」、この世界になった、と。そういう感じみたいです。

そして。このような「三大考」的世界観は、 宣長師が明らかにしたヨミの設定と異なる(ヨミは地下にあるはずだが、 「地」とは分離して別の場所になってしまった場所にある‥)にもかかわらず、 宣長師は激賞していたようです(吉田真p.230/全379)。

 この点について、 おそらく宣長師は「死」や「夜見」についてそこまで深くは考えていなかったんだろうな、と 推測できます。 しかしそれらの問題は篤胤翁にとってはかなり大きな関心対象だったこともあり、 尊敬する師である宣長師の言葉を否定してまでグイグイ突き進んでいかれることになります。

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ヨミ国とは断絶している

このように「三大考」的世界観によれば、「地」と「天」「泉」は原初は一体だったものが やがてプツリと切れてしまった、そんな感じのようです。

 この「プツリと切れてしまった」ことから、それぞれの世界の間には 致命的な断絶が生じてしまったと篤胤翁は仰せです。そのあたりのことについて:

また、一度も、彼国の戸喫をすれば、この国土へは来たりがたき謂は、是こそは、伊 邪那美命の、還り坐しがたくおもほししにて、慥なる例もあるを、(p.164) //
また一度でも夜見の国の食物を食べると、再びこの国土に帰って来ることができないわけは、 これこそ伊邪那美命が帰ることができないと思われたという確かな事実によって明らかである。(tr.240a)
古事記などには イザナミ大神が夜見に行ったり、イザナギ大神が夜見を往復したりできたことが記載されており、 そこから大昔はこの「地」と夜見とで行き来できる状況にあったことがわかる。しかし 夜見に穢い物質が沈殿しすぎた重みでこの大地からブッツリ千切れてしまった後になると 両者の往来は不可能になってしまった(p.106)、 あのイザナミ大神をしても二度と戻ってこれないほど、それほど夜見国との間に 断絶ができてしまったのだ、とのことです。

 この状況をまた『霊能真柱』の図で表すと右図のような感じになります。イザナギ大神の頃は (前ページの図のように) まだ陸続きであった「地」と「泉」がその後にプッツリ千切れてしまって 完全に別の物体(天体?)になってしまった、と考えられていることがわかります。

[次] 古伝に基づく解釈