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[しおり] 『菅江真澄集』(秋田叢書 別集)

題 [しおり] 『菅江真澄集』(秋田叢書 別集)
日付 2016.9



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しおり

『秋田叢書. 別集 第1〜6 (菅江真澄集 第1〜6)』(秋田叢書刊行会, 1930-1933)が 国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」で公開されているんですけど。 どの巻に何があるのか、わかりにくいです。 ‥そこで作成したリンク集です。

[ 巻1 ]:: 十曲湖 (59) / 恩荷奴金風 (54:男鹿の秋風) / 恩荷能春風 (66:男鹿の春風) / 小鹿の鈴風 (67:男鹿の鈴風) / 牡鹿の嶋風 (68:男鹿の島風) / 牡鹿乃寒かぜ (69:男鹿の寒風) // [ 巻2 ]:: けふのせばのゝ (11:けふのせば布) / 錦木 (58) / 辭夏岐野莽望圖 (47:しげき山本) / 阿仁迺澤水 (52:阿仁の沢水) / 雪能飽田寢 (48:雪の秋田根) / 秀酒企乃温濤 (49:すすきの出湯) / 美香弊乃譽路臂 (55:みかべのよろひ) / 贄能辭賀樂美 (50:にえのしがらみ) / 房住山昔物語 (110) // [ 巻3 ]:: 雪乃道奧雪の出羽路 (46:雪の道奥雪の出羽路) / 宇良乃笛多幾 (51:浦の笛滝) / 霞むつきほし (56:かすむ月星) / 雄賀良能多奇 (57:おがらの滝) / 夷舍奴安裝婢 (64:ひなの遊び) / 比遠能牟良君 (65:氷魚の村君) / 簷迺金棣棠(70:軒の山吹) / 雪のやま踰え (101:雪の山越) / 花のしぬのめ (94) / 梅の花湯の記 // [ 巻4 ]:: 齶田濃刈寢 (8:秋田のかりね) / 小野のふるさと (9) / 高松日記 (88?) / 駒形日記 (87?) / 比良加の美多可 / 月迺遠呂智泥 (79:月のおろちね) / 雪能袁呂智泥 (80:雪のおろちね) / 勝手能雄弓 (72:勝手の雄弓) / 花の眞寒泉 (111) / 『枝下紀行』 / 委寧能中路 (1:伊那の中路) / わかこゝろ (2:わがこころ) / 洲輪の海 / いほの春秋 (5:庵の春秋) / 來目路乃橋 (7:くめじの橋) / 蝦夷迺手布利 (26:えぞのてぶり) // [ 巻5 ]:: 楚堵賀濱風 (10:外が浜風) / 雪乃膽澤邊 (15:雪の膽沢辺) / かすむこまがた (13:かすむ駒形) / はしわのわか葉 (14:はしわの若葉) / 委波氐迺夜麼 (20:岩手の山) / 率土が濱つたひ (21:外が浜づたひ) / ひろめかり (24) / 蝦夷喧辭辯 (23:えみしのさへき) / ゑみしのさへき (23:えみしのさへき) / 智誌磨濃膽岨 (27:千島の磯) / ちしまのいそ (27:千島の磯) / 牧の冬かれ (29:牧の冬枯) / 於久能宇良 (30:奥の浦うら) / [ 巻6 ]:: まきのあさつゆ (31:牧の朝露) / をふちのまき (32:おぶちの牧) / 奧乃手風俗 (33:奥のてぶり) / 淤遇濃冬隱 (36:奥の冬ごもり) / 『津可呂の奧』 (38:津軽の奥) / 『外濱奇勝』 (40) / 雪乃母呂太奇 (41:雪のもろ滝) / 都介呂迺遠地 (42:津軽のをち) / 邇辭貴迺波末 (43:錦の浜) / 追柯呂能通度 (44:津軽のつと) / 作良かり赤葉かり (45:桜がり紅葉がり) / 栖家の山 (39:すみかの山) /

チェックが不十分なので、間違っていることもありそうです。 そのときは、すみません。

 ちなみにカッコ付けでつけた番号とタイトルは 内田武志編「菅江真澄著書目録」 (内田・宮本編訳(2000; オリジナルは1968)『菅江真澄遊覧記5』平凡社ライブラリー; pp.337--403.) によるものです。

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[おまけ] 男鹿地震

たまたま見つけたんですけど、1810(文化7)年8月27日の男鹿地震の様子は 「男鹿の寒風」のここに あります。曰:

たたすめはふりたをれ、軒端の山のくづれ落るなと、命ここに死なんと樹 にすがり、竹の林にのがれて、
「立っているとふり倒され、軒端の山も崩れ落ちるありさまで、生命の危険を感じて、樹 にすがり、竹の林にのがれた」(平凡社ライブラリー版,p.5:148)‥こんな感じで、 かなりの揺れだったことは間違いなさげですね。訳本の註部分によれば「その付近もあわせると 死者百六十三人」(p.160)とあります。

 あの象潟が隆起してしまった象潟地震が1804(文化元)年7月、 そして鳥海山も1801〜1804年にかけて噴火しており、 なんか秋田・由利地方は天変地異続きの大変な頃ですね。

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[おまけ] なまはげ

これもたまたま見つけましたが、生身剥(なまはげ)の話も出てきてますね。これも 「男鹿の寒風」のここに あります。曰:

あといひてゆくりなう入り来るを、 すはや生身剥よとて、童は声もたてずに人にすがり、ものの陰ににげかくろふ。
「「わあ」といいながら不意にきた。「それ生身剥だ」と、童はびっくりして声もたてず、人に すがりつき、ものの陰ににげかくれる」(平凡社ライブラリー版,p.5:157)‥こんな感じで、 私たちが知ってる「なまはげ」とほとんど同じですね。でも違う点もあって、それは日時。 1月15日の出来事となっております。典型的な小正月行事ですね。それが、いつの間に 大晦日行事になったんですかね。ちょっと不思議‥。


関連(?)情報

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