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十王讚歎鈔

伝 日蓮上人 撰(伝 1254(建長6)年)『十王讃歎鈔』の大雑把訳です。

[ 底本: 立正大学宗学研究所編(1954)『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』総本山身延久遠寺, pp. 1966 -- 1993. ]


[前] 3:宗帝王/文殊師利菩薩

4:五官王/普賢菩薩

四七日は五官王、本地は普賢菩薩である。

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業江

この王へ参る途中に、大きな江があり、業江と呼ぶ。 広さ500里、波静かだが熱湯のように熱い。40里にわたって悪臭を放ち、 悪臭で有名な伊蘭の比ではない。 罪人はこの江を渡りたがらないが、獄卒の棒に押し込まれ、 身体乱れる苦しみは果てしない。 鉄の嘴ある毒蟲が寄ってきて、罪人の身体を吸い喰らう。 七日七夜のこんな大苦悩の末、ようやく五官王の御前に参る。

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五官王の裁定・業秤

罪人は大王を拝し「ここまで参る途中の大苦悩により身心は消え果てました。 生前の罪業がこれほど大きいとは思えませぬ」 [p.1977] と申し上げる。

 すると大王は怒り「小因大果の法則を知らぬのか。小罪と思うものでも、 果報として感じる苦しみは大きいのだ。それなのに冥官を疑い恨むとは何事か。 汝の生前の悪業はすべて汝の身の内に埋まっている。 それを知る業秤という秤がある。さっそく秤で測ってみよう」と宣う。 これに従い、鬼どもが秤にかける。

 秤石は50丈の大磐石である。罪人の身体は5尺にすぎない。 だが測ると、石が兎の毛のように軽い。業の重さが秤石のように重いゆえ、 重者先牽といって秤は重いほうに傾くのだ。 そのとき牛頭・馬頭たちに一斉に指さされ「どうだどうだ」と辱められると、 やりきれなさを感じる。秤の台から下されると 「汝は好き勝手に悪業を作りながら、裁きで嘘つき疑い争うとは、罪科は重いぞ」と言われ、 鉄の棒で百度千度も全身を打たれ、身体手足ともに破られちぎれ、微塵のようになって死ぬ。 しかし業の報いゆえ生き返る。するとまた打ち砕かれる。

 しばらくして大王が「よく聞け。娑婆にある妻子による追善があれば、 ここまでの王のところで善処に生き返ったはずなのに、 汝の死後は自分のことだけ考えており、汝のことを忘れて弔うこともなし。 だからここまで迷い来たのだ。 仏言の『妻子は後世の怨なり』とは、このことに他ならない。 だが恨むべき自身を恨まずに、冥官を恨むとは [p.1978] バカの極致である。 しかし、ほんの少しでも仏法の結縁があったからこそ、地獄に堕ちずに ここまで来たのだろう。この罪人を次の王へ渡せ」と宣う。

 こうして次王へ送られる。

[次] 5:閻魔王/地藏菩薩