伝 日蓮上人 撰(伝 1254(建長6)年)『十王讃歎鈔』の大雑把訳です。
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六七日は變成王、本地は彌勒菩薩である。
[Table of Contents]この王へ詣る途中、鉄丸所という難所あり。距離800里もの河原である。 この河原には大きく丸い石で溢れているが、それらが転がってぶつかる音、雷のごとし。 石ごとに光を出して雷のようだ。恐れおののく罪人が立ち止まるが、獄卒が後ろから追い立てるので そこに入ると、石に当たって五体を粉砕されて死ぬ。でもまた生き返る。 生き返るとまた粉砕される。これを七日七夜繰り返してようやく変成王の御前に参る。
[Table of Contents]罪人は懲りずまた自身が無罪である旨を申し上げ、さらに「ここまで受けた苦悩の大きさは、 どんな罪業の報いとしても十二分なものでありましょう。しかしそれはもう申しません。 大王様のご慈悲をもって特別にお許しいただき、また娑婆へお返しいただきたい。 一心不乱に功徳善根を積みたいと思います。さもなくば、そのときはどんな罪科でも受けます。 今回ばかりはお助けを」と泣きつく。
大王は [p.1983] 「今後、功徳をなすのかもしれぬが、それはその時の話であろう。 今は過去の善悪を裁定するのだから、汝が犯した罪業がある以上、逃げることはできぬ。 特別扱いはない。汝自身の悪業が責めるのだから、許しなどない。 汝の罪業はまだ尽きていない、なぜそんな話をするのか」と宣い、 獄卒を召して「この罪人の罪の有無を確認しよう。あの二本の木の根元に道が三本ある。 心のまま、どれかの道を行け。汝が善人ならば悪道へは行かない」との裁定あり。
鬼どもが罪人を三つ辻に引きたて、はやく行けと責める。罪人が どれが善道かと悩むのを、獄卒が棒もて急かすので、目を閉じ 足にまかせて進むが、これが業果の悲しさよ。悪道向かって走り行く。 善道かと思うがたちまち銅の湯にまみれて罪人の身体を焼く。
大王が「やっぱり。汝が善人ならその道を行かぬはず。 なのに冥衆を軽く見て、無罪などと嘘を言うなど何事か」とお怒りなさると、 罪人は何も言えない。口を閉じ、身を縮めて恐れ入っているときに、 孝行息子の善根があれば大王それをご覧になり 「この罪人には娑婆で追善があったぞ、早々に許そう」と獄卒どもに下知なさり、 すぐ縛縄をほどき、善処に転生を決めなさる。そのときの嬉しさは、譬えようがない。 「この嬉しさを子どもに [p.1984] 知らせたい」と泪ぐむ。 逆に子どもが悪事をなすと、その親の苦ますます増え、地獄へ送られるのだ。
[Table of Contents]だからこそ亡者を弔うべきである。 身体髪肌を親にもらい、撫育慈愛を受けたのに、 親の菩提を祈らず、逆に種々の悪業をつくって亡者を苦しめるのは、 あってはならぬことだ。 酉夢が父を打ち、が母を罵ったのと同罪だ。 酉夢・のように天雷に身を割かれたり、霊蛇に命を吸われることはなくても、 後の報いは避けられぬ。だから孝行として追善すべし。 唐の叔雄という者は、身を投げて孝養をなした。 そこまでいかずとも信心を持ち、菩提を祈るべきである。
孟宗の「雪中の筍」、王祥の「臥冰求鯉」など、孝行の志は感銘を受ける。 まして孝養する家には梵天・帝釈・四天王がお住みになるという。 これは如来の金言に他ならぬ。疑うことはできぬ。 孝養すれば皆、諸天の擁護を受けることができる。
ただし孝養には三種ある。 衣食の施しが下品、父母の言に従うを中品、功徳の回向が上品である。 父母が存命中であっても、功徳を回向するのが上品である。 亡親に対してなら尚更である。 雪中の筍も、法喜禅悦を食べる味には及ばず。 叔雄が身を投げても、出離生死(輪廻からの解脱)には及ばず。 善根を修めて、父母の得度解脱を祈るべし。
ここでも罪人の処遇が決まらぬときは、七七日の王へと送られる。
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