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十王讚歎鈔

伝 日蓮上人 撰(伝 1254(建長6)年)『十王讃歎鈔』の大雑把訳です。

[ 底本: 立正大学宗学研究所編(1954)『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』総本山身延久遠寺, pp. 1966 -- 1993. ]


[前] 6:變成王/彌勒菩薩

7:泰山王/藥師如来

[p.1985] 七七日は泰山王、本地は藥師である。

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闇鉄所

この王へ詣る途中、闇鉄所という悪処あり。500里あり、その暗闇は譬えようがない。 昼夜の区別もない。 道は細く、左右ともに鉄の巌である。 罪人は身を細めて通るのだが、巌が剣のように尖っていて、 すこしでも触れると身体がスパッと切り裂かれる。 先に進もうとすれば巌が狭まって通られず、立ち止まると巌が開く。 七日七夜かような苦を経たのち泰山王の御前へ参る。

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泰山王の裁定・大勢の前で

何を言われるのか‥と、恐る恐る御前で畏る。 大王は罪人をご覧になり「汝が後生を他人事としか思ってなかったのは哀れである。 我が身を思わぬ者よのう。人として生まれるとは、 盲目の亀が浮木を掴むほどの貴重な機会であると仏は仰せだ。 ガンガーの砂粒の数ほどの数えきれない宿業を積んでようやく人間に生まれたというのに、 さらに得難き仏法に接することもできたのに、仏道修行をなさず、 夢幻のような一つの人生のみを思い、生涯をむなしく過ごして今かような憂目に会うことの愚さよ。 仏法と結縁しようとは考えなかったのか。説法は聴聞しなかったのか。 ありのままに申せ」と宣うと、 罪人は「仰せのとおり、生前ははかなく浮世を過ごすのに必死で、仏道修行もせず、 近くで説法はしていましたが、多忙であり、または格好悪く恥ずかしく感じましたので、 説法は一度も聴聞したことはありません」と申す。

 大王が「見てのとおり、この庭には天竺・震旦・日本、 [p.1986] あるいは様々な大国小国の罪人がいて、 至るところから冥衆冥官が集まっている場所である。 恥ずかしむならこの庭にいることを恥じるべきなのに、 恥ずかしいまま今ここで顔をさらしているのに、 格好悪いといって説法の聴聞もせずここに戻ってきて、 この群衆のいる場所で獄卒に打たれて泣いてることこそ、 見苦しいとは思わぬか。これほどの恥はない」と宣うと、 そのお言葉が心に沁みて恥ずかしくなり、泪が出てくる。

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ほぼ、ここで決まる

この王の御前にて、罪人はすべて転生先が決まる。 それゆえ泰山王の御前には鳥居が六つある。 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道につながる門である。 この王が罪人の行先をお定めになり、罪人どもはそれぞれ自分の転生先に趣く。 この鳥居をくぐると、地獄に行く者は地獄に堕ち、餓鬼は餓鬼の城に至り‥と。 この断罪の庭こそ、罪人たちの浮沈を決める最後の場所である。 もし追善あれば、悪処に行くはずの者が善処に転生する。 それゆえ四十九日の弔いはきちんと営むべし。

 しかし、ここでもなお転生先が決まらぬ者は百箇日の王へ送られる。

[次] 8:平等王/觀世音菩薩